このレポートは、「日本の廃道」2010年2月号および4月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.26」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 山形県飯豊町〜小国町
探索日 平成21(2009)年5月10日

1914 雪渓が残る谷の中

ワレ遂ニ路盤ヲ見失イタリ!

痛恨!

だが、ここまで自分の意思で進んで来た結末としては、おそらく一番可能性が高かったパターンに嵌まったと思う。すなわち、廃道上で真っ暗になってしまったために、大きな崩落箇所で、進むべき道を見失ってしまった。ある意味、当然の帰着。しかし、このまま座してはいられない。なんとかしないと朝までこのままだぞ。

私が道をロストした場面は、雪渓上部で2回連続して谷を渡った直後のガレ場だ。思えば、1回目の谷を強引に横断した時点で、道は見失っていたのかも知れない。ただなんとなく斜面をトラバースしてきただけで…。そう思うと、ロストしたのは直前ではないということだ。

登山における道迷い時のセオリー的には、即座に引き返して最後に道を確認した場所へ行くのが良い。だがそのためには、もう完全に真っ暗になった状況で、直前に渡った危うい2度の谷を戻る必要がある。谷だけでなく、最後に横断したガレ場斜面は極めて危険な地形と感じられ、そこへ戻ることには恐怖を感じた。

これは周辺の地形の概念図。ピンク色の矢印は、ルートを見失った私が苦し紛れに路盤の捜索を行った範囲である。密生する灌木にすがって、現在地の上下にある急斜面を広範囲に調べてみたのだが、道を発見することは出来なかった。

今から思えば、焦りに突き動かされたとしか思えない、この闇の中の闇雲な捜索が、一番危険だったかも知れない。これには20分以上の時間を費やした。そして道が見つからず、駄目だと諦めたときには……

1941 

……という時間になっていた。

結論。

これ以上の道の捜索を断念する。

廃道の先を見たい読者諸兄には申し訳ないが、この状況に至ってはやむを得ない。完全に私の判断ミスだった。これ以降は探索を中止し、無事な下山へむけた善後策を考えることにする。

さてどうする。

一番無難なのは、エマージェンシーシュラフを被って、朝までここで蹲っていることか。まだ8時間もあるが…。残雪があるような山だけに寒さが不安だが、エマージェンシーシュラフがあればどうにかなるだろう。ただ、周りがすべて急斜面なので、本当にただ座って待つだけになる。火もおこせない。出来るなら、今すぐここから下山してしまいたい。

そうそう、これは重要なことなので書いておく。

断じて「遭難」ではない。

この状況は、ただ単に、私の探索が夜の時間に被ってしまって継続が困難になったというだけである。その証拠は、これから私が独力で無事に下山して明日を迎えることで見せる。サイクリングをしていて夜になってしまった。それと同じことだ。

現在地は地形図の上で大まかには把握しているが、念のため、ケータイ電話のGPS機能での現在地確認も行った。当時使っていたタフネスを売りにしたケータイの独自アプリだった。

普段の探索では使うことのなかったGPS機能。小さな画面に表示されたのは、等高線のない簡易な地図で、山中での現在地把握には甚だ不足だったが、宇津川の形がかなり細かく描写されていたので、それを地形図と照らし合わせて、詳細な現在地を確定させた。

そして現在地の把握をもとに、これから行う下山ルートを次のように計画した。

何のひねりもない、単なる最短の下山ルートである。とはいえ、これはこれで、「勝ち取ったもの」だ。そこまで下りればまず大丈夫と思える下山の目的地は、宇津川沿いに描かれている車道だ。その車道はあまり南までは通じてはいない。だから、ここまで来られたことには大きな意味があった。もし、もうひとつ手前の谷でルートを見失っていたとしたら、谷を下った先に道がない可能性が高かったのだ。

2000 緊急下山開始!

下りはじめた直後は、相当の急斜面で、釣り針のように湾曲した灌木を両手で掴みながら、後ろ向きで下降を続けた。数分後には傾斜が緩くなり、普通に前を向いて、両手で藪を払いながら下れるようになった。

右側に下れば藪のない雪渓があるだろう事は分かっていたが、溶けつつある雪渓を歩くのは危険すぎるし、谷に入ると戻れなくなる不安があったので、ひたすら灌木を掻き分けて下った。

すると今度は、左側から水の音が近付いてきた。地形図には描かれない小さな沢が、左にもあるらしい。真っ暗で周りが見渡せないので、どんなところを下っていっているのか分からず、怖い。結局私は、この左側の谷へ入り込んでいく形になった。

2012 

下りはじめて12分後、水が流れている谷に入った。幸い、周りに雪渓は見当らないし、それほど急傾斜でもない。だがまだここは山腹で、林道があるのはもっと下だ。今度はこの谷を下っていくことにする。

ここまでの私の疲労の蓄積は、精神的なものを除いたとしても、おそらく皆さんが想像している以上だった。清明集落を出てから、焦りが常に心にあって、普段よりも休まず歩き続けたのもあるし、先ほど道を見失ったとき、がむしゃらに斜面を上り下りして探してしまったダメージが大きかった。

何もかも自業自得とはいえ、精神的な疲労も当然に大きかった。たぶんこの感じ、無事下山は出来るだろうが、今夜の行動は、宇津川沿いの林道に出て終わりではない。峠の頂上近くに止めていると、(もう読者の大半はお忘れだろうが)清明集落跡に置き去りにしている自転車を回収しなければ、次に進むことは出来ないのだ。あと何時間、動き続けなければならないのだろう……。気が重い…。

そんなわけで、疲労困憊の私の歩行ペースは、極端に遅かった。

2033 宇津川沿いの林道

ふはーーー。

とりあえず生還だぁ…。

19時過ぎに路盤を見失ってから、約1時間半後、ようやく麓へ通じる「道」へ辿り着いた。死地を脱出できた。この宇津川沿いの道は初めて来る場所だが、もう大丈夫だ。

ケータイのGPS画面上に表示された、私の下山ルートの軌跡。道を見失ったところから、距離にして400mくらいの移動であったことが分かる。この間の高低差は70~80mくらいあった。

あわやという場面だったが、どうにか死地は脱した?!