このレポートは、「日本の廃道」2008年12月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.18」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 秋田県男鹿市
探索日 平成20(2008)年12月3日

11:27 甘香の穴

ほとんど垂直方向に口を開けている、おとな一人がギリギリすり抜けられる程度の狭い開口部を足から下りると、その下は濡れた瓦礫が堆積した崩れやすい斜面になっていて、そこをさらに3mほど尻で滑った所が、本来の隧道の床……洞床……の在処だった。

だが、その本来は整然とあるべき地平もまた、荒廃の極みに没していた。足の踏み場がないとはこういうことをいう。至る所から崩れてきたらしき大量の瓦礫と、朽ちて倒伏した木製支保工の残骸が入り交じって散乱していた。

私は洞内の惨状を一刻も早く「記録」したかった。どれだけ長居が出来るか分からないという印象を即座に私に与えるほどの劣悪な洞内空間だった。だからこそ、撮影によって、他者に伝えうる記録を持ち帰ることを急ぎたかった。当時持っていたコンデジの非力な暗所撮影能力では、フラッシュを焚いてもたかが知れていたのであるが、その頼みの綱であるフラッシュがうまく機能できなかった。なぜなら、肉眼でもはっきりと水の粒子が見えるほど、洞内は水蒸気が飽和して曇っていた。非常に分かり易い、湿度100%の洞内であった。だから酷い見づらい写真なんだと言い訳をしたい。

あと、これは写真では伝えられないだろうが、もの凄い臭気が立ちこめていた。理由は分かる。大量の朽ちた支保工が発する、カビと発酵が混ざった、甘ったるい、鼻の曲がりそうな臭い……。

こんな穴には長居は無用だと感じたが、まずは地上で待ってくれている仲間に私の無事を伝えなければ。もう入口の小さな穴からでは、私の姿は見えないはずだ。

「今、洞床に着いたぞ!」

すぐに彼の元気な返事が返ってきた。それが私を安心させた。今日の退路は、断たれていない。

呼吸を落ち着かせつつ、目を暗闇に順応させる。それから周囲を見回していく。

空洞自体は、十分に広かった。入口の状況からは想像できないくらい、広い空洞がある。そして闇の奥は見通せないが、少なくとも10m先で閉塞ということはないようだ。空間の広がりがなんとなく感じられる。だが、トンネルであれば当然あるべき反対側出入口の光は、全く見えなかった。なぜ見えないのか。内部がカーブしているのか、それとも崩れていて光を遮っているのか…。または、出口まで穴が繋がっていないのか……。

目が慣れて、ますます周囲の様子が見えてきた。両側の壁面に沿って、まだ立ったままの支保工が、大量に残っているのが分かった。道理で、なみの隧道では醸し得ないほど、臭いがキツイ。外見的にも、この朽ちた支保工の列は、常人には耐えがたいほど気色が悪いものである。かくいう私も、見慣れてなお苦手である。触れることを、生理が拒む。

支保工が支えている内壁は、黒く凹凸に満ちた素掘りの地山に他ならないが、その触れた質感は、手の力で容易に表面を剥がしてしまえるほどに、脆く風化して崩れやすかった。

朽ちた支保工に、脆すぎる壁。それだけでも十分だったが、黒い天井からは、ひっきりなしに水の大きな粒が垂れていて、ぴちょんではなく、しゃばしゃばという繋がった音を奏でていた。

なにもかも、良くない。

数分が経って目は慣れた。もうこれ以上の順応は進みそうにない。だが、まだ前進をはじめていない。細田氏が、入ってきていないからだ。

私は開口部を見上げられる位置に戻って、細田氏に声を掛けた。そして、「洞内は十分に広いし、下りてきても自力で戻れる状況にある」ことを伝えた。写真は、洞床から見上げた開口部だ。

だが、彼は悩んだ。それから、開口部に腰を沈めはじめた。だが、下降を開始した細田氏を萎えさせる出来事があった。足下の瓦礫が蟻地獄のように大量に崩れて、彼の足を地下へ引きずり込むように不安定にさせたのだ。これは私が下りた時も起きていた現象であった。ただ、私の時には、いま私がいる場所に人はいなかったから、いくらでも石を落して遠慮することはなかった。しかし今は、彼の足の下にいた私の顔の辺りにバラバラと大量の瓦礫が降り注ぎ、あっという間に私のヘルメットの上に山を作ったのだ。

私のヘルメットが土にまみれる姿を見て、細田氏は急に動きが止まった。彼は私に申し訳ないと思ったのもあったろうが、それ以上に、私の姿に生き埋めの恐怖を間近に見たらしかった。降りてしまうと、この蟻地獄に捕まって出られなくなるのではないかという不安が、大きく膨らんだそうである。

実際には、外から見る以上に洞内は広くて、それを知っている私にとっては、いくら入口から瓦礫を降らされても心配はしていないし、折角二人で見つけた虎の子の隧道だけに、ぜひ彼にも味わって欲しかったが、最終的な判断が各人に委ねられねば、廃道探索は強要の拷問になりかねない。彼は入洞を辞し、深部探索は私一人で行うことになった。

ちなみに、結局洞内へ入らなかった細田氏であるが、彼が一番深く「入った」時には、ここまで来ていたという写真である。私はこの姿を目の前に見ながら、「もう入ってるから。後はそのまま下りるだけだから」と言って聞かせたが、彼はそれでも、これ以上は入ろうとしなかったのである。

嫌な穴だよ、ほんとうに。

次回、穴の奥へ……。