このレポートは、「日本の廃道」2008年12月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.18」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 秋田県男鹿市
探索日 平成20(2008)年12月3日

11:20 開口部発見と葛藤

奇跡でも何でもない。
それはそこにあったから見付けられた。
ただそれだけのこと。

だが、我々は抱き合わんばかりに歓喜した。廃隧道的不作が叫ばれていた男鹿の地で、今ついに廃隧道に遭遇。盛んに通っていた当時からは10年近い年月が流れているとはいえ、この遅れてきた成果を前に、個人的な喜びの度合いは通常の廃隧道発見時以上であった。

しかし、

開口部を見つけた喜びも束の間。

うあぁー ……

こ、これは

入れるの?

「 ……入る? これに? 」

思わず声に出た問いかけ。

答えは返ってこなかった。

あんなに嬉しかった発見の喜びは、もう遠い。見つけてしまった廃隧道に入るかどうかは、全て己の判断だ。結果は、身体で試してみるより無い。だが、未だかつて、ここまで入洞が躊躇われる姿を見せた開口部は、ない。

もちろん、狭すぎるとか、水没しているとか、ひと目見て入れないと分かるものは、こういう気持ちにはならない。

陳腐な表現だが、咄嗟に浮かんだ「ことば」は、

死の穴。

この画像は、預けたカメラで細田氏が撮ってくれた私の姿。早くも、入洞への「調べ」をはじめている姿だ。とりあえず無難に入れる地点まで潜って奥の様子を調べている。

リュックに忍ばせていたメットを着用しはじめたが、こんなものは実は気休めでしかない。生き埋めにはあまり生存効果を期待できない。髪に砂が入るのを防ぐくらいの効果だ。あとは、人間らしくあるために、冷静な判断を保つために、身につけたもの。

そしてこれが、上記位置で私が撮った、足元に口を開けた穴。洞内へは、ここを潜っていくしかない。あるいは、開口の有無がまだ分からない西口が開いていれば、そこから入れる可能性もあるが。

足元は濡れた泥まじりの瓦礫が支配的だが、その中に丸太の枠組みが露出している。これは隧道を落盤から守るために用意された支保工である。立ったままのものと、倒壊した残骸が絡み合っていて、とにかくおぞましい。

物理的には、支保工の隙間には、大人がどうにか滑り込める程度の空間が存在する。

なんと悩ましいのだ!

もしこれよりも隙間が狭ければ、物理的に入れないという、誰もが納得する理由を盾に撤退できた。この絶妙すぎる穴のサイズは、私に激しい葛藤をもたらし、その上で恐ろしい挑戦をするかどうか、判断を強いた。

私がギリギリのラインで葛藤しているのを、上から覗き込む細田氏の表情は、微笑んでいるが、不安げ。きっと彼の脳裏に去来しているのは、かつて一緒に行った 【大間線跡の焼山隧道】 での出来事だろう。あのときは、塞がれた隧道に無理矢理入った私が、一人では出られなくなった。なんとも苦い体験だ。そして得た教訓は、怪しい穴に潜るときは外に一人以上残るということ。

今回も、この教訓をなぞるべきだ。私だけで洞内へ下り、それから自力で戻ってこられるかどうかを十分に確かめてから、細田氏の入洞を促そうと思う。

偵察の続き。

支保工の隙間に上半身を突っ込んで、奥を撮影した。結果、支保工の隙間こそ身体が通るギリギリの狭さだが、そこさえ突破できれば、下にはかなり広い空洞があって、本来の隧道の空洞へ通じている可能性が高いと分かった。

その本来の隧道内までは、まだ視線が届かないが、ここにいても濃厚に感じられる木材の甘い発酵臭と、無風という状況から、内部もどこかで閉塞していて西口へは通じていないことが疑われた。

匂いのきつさと、無風という状況は、酸欠の不安さえ感じさせるが、これまでの経験上、自然に開口している隧道で酸欠の危険はない。

坑口に止まること4分。私は、決断した。

単独入洞!

次回、拒絶の穴。