このレポートは、「日本の廃道」2008年12月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.18」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 秋田県男鹿市
探索日 平成20(2008)年12月3日

11:37
隧道深部への進行を開始

入洞後、最終的には外に残ることを決断した細田氏とのやりとりなどがあったので、既に中に入って10分近く経過している。この間、洞内に充満している甘ったるい香気にはいくらか慣れて、目も闇に十分慣れた。細田氏から受け取った予備の照明も点灯させて、いざ、洞奥への進撃をスタートする。

これは現在地から坑口を振り返って撮影した。入ったばかりだが、もう出口の光はほとんど見えず、瓦礫の山が視界を遮っている。左上の辺り、崩れた支保工の隙間に、ようやく一人ずつ通り抜けられる程度の竪穴が存在する。それが出口であった。

薄々、この隧道の通り抜けは絶望的と察している現状において、万が一ここが塞がったら私は生き埋めになるはず。それだけに、この眺めはとても息苦しくて、心中は穏やかではなかった。早く探索を終えて地上へ戻りたいと思う。

それにしても、ここの木造支保工は随分と原形を留めている。古い隧道の工法を実見するうえでは、なかなか貴重なものである。現在もう、こういうものを新たに作る技術は国内にほとんど遺存していないと思われる。聞くところによれば、こうしたトンネルにおける木製支保工は、斧指(よきさし)と呼ばれる特殊な技能工の手に依るもので、かつては各地の鉱山やトンネル現場で活躍していたそうである。それはさながら地下版の大工さんだった。

坑口から10mばかり奥へ進んだ地点である。飽和した水蒸気のせいでフラッシュ撮影が遠くへ届かず、非常な近視的探索を余儀なくされているのだが、頭上を取り囲む鳥居形の支保工が、ここにもよく残っていた。

しかもこれ、単純な「冂」字型に。「内」の形に斜材を加えて補強したもので、いわゆる有効断面の大きさを多少犠牲にしてでも、より強く天井を支えておかなければならないほど、地質が不安定だったことを物語っていた。

なお、この形の支保工は後付けではなく、完成当初からのものだったように想像する。なぜなら、これは入洞直後から感じていたことだが、この隧道、林鉄用としては断面が大きめだ。もし支保工を取っ払ったら、大型トラックが通行できそうなくらいに。すなわち、あらかじめ頑丈な支保工による有効断面の縮小を織り込み済みで、この大きなサイズの断面にしたのだろう。地質の悪さも、織り込み済みだったということだ。まあ、一番良いのはコンクリートで内壁を巻き立てる覆工を施工することだったろうが、それは経済的な面からできなかったのかもしれぬ…。

相変わらず写真が見苦しい事をご容赦いただきたい。さらに10mほど進んだと思うが、洞内は相変わらず大荒れだ。洞床には、崩れた天井が降らせた瓦礫と、倒れた支保工の残骸が山積している。私も今まで多くの素堀り隧道を見てきたが、これほど荒廃したものは稀と言える。

未だ出口の光は現れず、その期待度も一向に高まらない。

フラッシュを焚いて撮影すると画像が曇るので、敢えてノーフラッシュで手元の照明だけを使って撮影してみた。帰宅後に画像処理で明度を強制的に高めたのが、この画像である。そして、探索中に実際の目で見た景色の印象、光の明るさは、こんな程度である。フラッシュで撮影した写真のように、広い範囲が明るく見えるわけではない。恐ろしさ、不安さが、伝わるだろうか。

この日の洞内には、天井から常に滴り続ける水滴のほかに、動く物はなかった。廃隧道をしばしば生息地としている小型哺乳類のコウモリたちも、ここには見当らなかった。

しかし、翌日の聞き取り調査では、隧道が現役だった当時に山仕事で歩いて通過したことがあるという方からは、洞内には気持ちが悪くなるほどたくさんのコウモリが棲んでいたという話を聞いた。

闇を愛するコウモリでさえ、今のこの隧道の行き過ぎた荒廃と、異様な香気は、愛することができないのかも知れない。

濃厚な香気の元凶は、周囲の朽ちた支保工のそこかしこに、花開いていた。怪しく蔓延る大量の菌糸たちである。

これらにうっかり触ろうものなら、見た目は太い支保工であっても、太いキノコの茎くらいの堅さの抵抗しかなく、容易く指がめり込んでいく。これでは当然、いまある支保工は自立しているだけで精一杯で、天井を支えるような仕事は全くしていないといえる。

そして支保工が失われた部分には、素堀の地山が露出している。その濡れた岩の表面に、乳白色の滑らかな表面を持った、まるで鍾乳石のような析出物が、多量に生成されていた。だが、この山はどちらかといえば土山で、石灰岩質ではない。貴重な鍾乳石ではあり得なかった。触ってみると案の定、鍾乳石のような堅さはなく、実体は泥だということが分かった。なぜ白いのかは分からないが、グニョっとした泥の塊だったのである。

この隧道は、生理的に受け付けがたい不快感に満ちている。

廃の景色の中には、芸術的な美観(頽廃美)を供えたものも多くあり、それが廃の人気の秘訣であろうが、この隧道はそれと対極にある。廃なものには当然含まれている「汚れ」や「穢れ」の部分だけが、凝縮されたような存在だ。とにかく気味が悪い洞内は、おおよそ生者の世界とは思われなかった。

崩れた支保工が、侵入者を阻むバリケードのようになっていた。朽ちた根元から弱っていき、立ったままズブズブと崩れ続けた姿が、これなのだろう。せめて手袋でもすれば良いのかも知れないが、カメラ操作の都合上もあって、常に素手で探索している私にとって、触りたくないものにも触れて進まねばならなかった。

まだ奥行きがあるのか……。

苦しい……。