このレポートは、「日本の廃道」2008年12月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.18」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 秋田県男鹿市
探索日 平成20(2008)年12月3日

11:40
破滅の断面

坑口から30mほど入った地点で、洞内の様子に変化があった。

ここまでずっと視界に入り続けていた木製支保工の姿が消えた。天井が高くなり、側壁も遠くなった。ようするに、断面が広くなった。

だがしかし!

これは隧道が健全性を取り戻したということでは断じてない。洞床一面を覆い尽くし、もはやうねりのように大きな起伏さえ見せるようになった大量の瓦礫が、その答えである。本来の洞床は、完全に崩れた瓦礫によって埋められてしまったのだ。

これは紛れもなく、健全性の悪化だ。当初の整形された断面の面影をほとんど残さない、自然洞窟のように歪で扁平な断面は、天井と側壁の全てが、それを支えようとしていた支保工を巻き込んで崩壊した結果に他なるまい。支保工の残骸は全て、瓦礫の中に埋まっているとみるべきだ。

ここに来て、ついに本格的な内部崩壊の場面に遭遇したのである。果たして、この崩壊は終局的な隧道閉塞に結びつくカタストロフの前兆なのか、それとも部分的な崩壊に過ぎないのか、それを確かめるためには、この奥へ進む必要がある。

うわああああ!

瓦礫の山が、天井まで駆け上がっている!!

「貫通」への願いも空しく、どうやら破滅につながる崩壊だったらしい。瓦礫の山は、坑口から40mを過ぎた辺りで、一挙に天井の高さまで駆け上がっていた……!

天井の高さに届く瓦礫の山が出現している大崩落現場。地元の方の話によると、昭和32年の林鉄廃止後もしばらくは山仕事の人たちなどが歩いて通っていたという隧道だが、最近の状況について知っている方は、我々が聞き取りをした中には一人もいなかった。

崩壊をきっかけに通る人がいなくなったのか、通る人がいなくなってから人知れず崩壊したのかは、分からない。

瓦礫の山を背に、もと来た方を振り返って撮影した。やや見下ろすようになっているのは、既に私が瓦礫の山の裾野に足を踏み入れているからである。

この大量の瓦礫の直接の供給源である天井は、その分だけ上に向かって広くなっている。このような大規模崩壊によって、地中における隧道の位置が上方へ遷移することが起こる。

この現象(崩壊に伴う坑道の上方遷移)の起こり方次第では、トンデモナイことが起こったりする。

トンデモナイコトが…

閉塞。そして撤収。

一見、それしか道はないと思われた天井にまで達する大崩壊だが、実は、先へ進める可能性がまだ残っていた。

私の視線は、瓦礫の大山が天井に接するところの一点に吸い寄せられていく。これは、隧道の落盤崩壊現場を多く目にしてきたオブローダーなら必ず行う、ひとつの確認の動作だった。撤退前にこれだけは確かめなければならない。

天井の隙間の有無を。

天井裏ノ世界ヘ、ヨウコソ。

今までにも何度か、このような天井の隙間から閉塞寸前の隧道を突破した経験があった。私は失敗よりも成功体験を忘れられない質だった。

瓦礫の大山の裾野から天井の隙間を見上げると、そこには、ほとんど竪穴のような、極めて細長く奥行きの感じられる空洞があった。

高さ20mではきかなさそうな、底知れない……いや、天井の知れない竪穴が、人間の操作を完全に離れた状態で天然のうちに形成されていた……。きっかけは人が造った隧道だが。

こんな得体の知れない穴に身を任せれば、いよいよ、再び地上へ戻れるのか不安にならないでもないが、冷静に考えれば、根本的に大地は安定しているものであり、人が出入りしたことをきっかけに崩れるなんて脆弱なものではない。

勇気を持って、男鹿の真髄、深奥の極みを、この目に刻みこんで

やる!

いよいよだ……。