このレポートは、「日本の廃道」2008年12月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.18」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 秋田県男鹿市
探索日 平成20(2008)年12月3日

10:42 博奕打ちの丸太橋

 またも路盤を切断する谷。そして木橋の跡。前回の谷よりも大きな橋が架かっていたようで、太くて長い主桁の丸太が散乱していた。
 そしてこの丸太の一部が、墜落した先で、偶然にも――

架かっていた。

 いや、こういうのは「橋が架かっている」とは言えないと思うが、橋材が、谷に架かっているという状況にはなっていた。そしてそこに細田のイタズラ心がリンクした。こんなものをわざわざ渡って何になるのかという理性を超えた所に、細田はいた。このふざけが伝染した私も渡ってみたが、予想外に博奕だった。一見すると充分太い丸太だが、体重を預けるとぐらぐらと揺れる。芯まで腐っているのである。突然ぼっきりいっても文句は言えない。そして、こんな無意味な行為の果てで怪我でもしたら、我々はそのことを、ひた隠しにしなければならないだろう。

 にもかかわらず、この満足顔よ(笑)。

 ……この笑顔がやがて凍り付くとも知らずに……。

10:52 さらに大きな橋

 さらに大きな橋……の跡が現れた。ここは地形図でも、谷沿いの徒歩道(=軌道跡)が沢の本流を渡るように描かれているので、橋の存在が予想されていたところだ。
 実際に現地へ来てみると、これまでの小橋とは比べものにならない大きな橋であったことが想像できる谷の深さであった。残念ながらまたしても橋は架かってはいなかったが、残骸が散乱しており、その量からも、いかに大きな橋であったかが感じられた。

 想定される橋の規模は、高さ10m、長さ20mといったところだ。もしも架かっていたら、男鹿半島最大の木橋と思える規模だが、我々は地面にへばり付いて突破するよりない。
 谷底の部分に、桁や橋脚の残骸が大量に残っていた。谷にはほとんど水量がなく、残骸は押し流されずに残っていた。

 笹藪の急斜面をよじ登り、路盤の続きへ復帰した。依然として枕木もレールも見当らないが、幅や勾配の緩やかに鉄道の匂いを感じさせる道形が残っていた。
 しかし、ここまでの廃線状況は決して良いとは言えない。廃止(昭和34年といわれる)から時間が経過しているうえに、周辺の地質がボロボロと崩れやすい土山や砂山である。長年の経験からして、この立地での隧道の現存は、赤寄りの黄色信号といった印象である。

11:05 隧道擬定地前の難関

 太い丸太を組み上げた中規模の桟橋が、辛うじて架かっていると言えなくもないギリギリの形態で路盤上に踏みとどまっていた。
 長さは10m以上あるだろうが、全体的に大破していて、写真でもどこがどう橋なのか伝わりづらいかと思う。これはおふざけで渡れる状況ではないので、山側斜面を迂回する。

 大破した桟橋を越えると、谷沿いの路盤は、谷を横断して対岸へ移っていた。橋の痕跡は残っていない。状況が良くない。まるで谷全体が蟻地獄のように崩れている。登山的な意味での山の険しさとしては中の下以下だが、地形の風化が著しく、人工物を長く留めておくには極めて不利な状況と見て取れる。

 しかし、谷は急速に狭くなってきており、そのドンズマリが擬定地点である隧道が、いよいよ近そうだ。

11:14 ファイナルジャッジ・ストレート

ドキドキする。

 寄り添う谷は、もはや路盤とほぼ同じ高さになった。笹が浅く茂る路盤は、意を決したように、谷のドンズマリへ向けて直進していく。

 何百何千回も見てきた典型的な隧道前風景だった。

次回、ジャッジの時。
……というか、わざわざレポートを公表しているくらいだから、隧道はあった(ネタバレ)。
あったんだけど……ね…。