このレポートは、「日本の廃道」2005年9月号、10月号、11月号に掲載した「特濃!廃道あるき」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 岩手県八幡平市(市道 藤七温泉線)
探索日 平成17(2005)年7月24日

P地点 謎の橋
2005年7月24日10:48

午前10時48分。
北ノ又川に架かる未知の橋梁に遭遇。 

橋は水面から約5mの高さに架かっており、両岸を結ぶ橋の長さは目測15mほど。橋脚は1本もなく、谷を一跨ぎにしている。

ここは北ノ又川と黒石沢の合流地点のすぐ下流だ。地形図にはここで川を渡る徒歩道が描かれている。橋の記号はないが、まさかこんな立派な橋が架かったまま残っているとは完全に意想外だった。我々が辿ってきた市道藤七温泉線(旧県道であり旧登山道)が、この200mほど下流で同じ沢を渡る地点には、たいそうザコい木造橋台の残骸しかなかったのに…! 完敗だ! でも発見には乾杯!

構造はアーチ橋。全体にコンクリートを部材としている。専門用語で表現すると、上路充腹コンクリートアーチという型式だ。単純な構造ゆえに強度があり、現存する古い橋では比較的よく見かける型式である。道路用でも鉄道用でも渓流のような橋脚を立てにくい地形の場所によく架けられた。年代的には昭和の前半が主流であるから、この橋もその頃のものではないだろうか。表面の老朽化した具合も年代を感じさせる。

橋の上にはコンクリートに鋼管を積み合わせた頑丈そうな欄干が見えており、通路として使われた橋であることが分かる。だが現状では橋の上にも木が生えており、明らかに廃橋だ。コンクリートから木が生えた姿は、いかにも廃墟然としていて、幽玄だった。

橋を下から見上げてみる。アーチに埋め込まれた鉄筋の格子模様が透けて見えていた。コンクリートの表面が剥がれたり、鉄筋が錆びたりして、こういう模様が出てきてしまう老朽現象である。また、雨水の酸性分によってコンクリートの中のカルシウムが析出して生じる白華(コンクリート鍾乳石ともいう)も見て取れた。これも老朽現象。

もはや誰の手入れも受けられない深山の渓で、橋は幾星霜を孤独に過ごしてきたのであろう。思いがけない出会いに興奮した我々だが、その姿は楽しいばかりではなかった。

我々は続いて橋の左岸によじ登った。目指す藤七温泉があるのとは反対の岸である。登って、そして橋を渡ってから、藤七温泉を目指そうと考えた。

Q地点 橋の左岸
10:50

橋はコンクリートの築堤から架かっていた。写真は築堤の壁を見上げている。アーチ橋に続いて、この築堤もダイナミックにコンクリートを使用している。比較すべきは、さっきまで我々が辿っていた旧県道である。向こうの道には石畳舗装という稀有なものがあったが、コンクリートによる構造物は、廃道区間に入ってからは全く見られなかった。どうやらこっちの道の方が作られた年代が新しいようである。あるいは、より重要な道であったか…。

改めて地形図を見てみると、アーチ橋が発見された道は、ここ(北ノ又川)から松尾鉱山跡へと伸びている。距離は約5.5km。地図上での表現は旧県道と同じ徒歩道である。道の存在自体は地図上で知っていたが、どのような背景を持つ道なのかは、探索時点で全くノーチェックだった。旧県道にのみ着目していた。だが、発見されたアーチ橋やコンクリートの築堤は、ここが相当に大量の資材と人員を投じて建造された道であることを物語っており、想定を遙かに超えて重要な道だった可能性が高まった。

この道は、いったい……?

家がある!

築堤が切れた所から路上に復帰した。そこは橋から50mほど松尾鉱山側に移動したところだった。周囲は道の内と外が区別出来ない強烈な笹藪だが、目が届くところに、妙に色鮮やかな朱いトタン屋根を乗せた小屋が佇んでいた。

…………もし人が居たら、

鬼ババかもしれねーな。

そんな軽口で怖じけた内心を隠しつつ、謎の小屋へ近づく……。

次回、謎の小屋を暴く!