東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた去年の秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

再開

 夜が明けて、今日からまた歩く日々の始まりだ。荷物をまとめてフロントにキーを戻し、トレイル本線に向かって歩き出す。昨日、一昨日と、主に日が暮れて町が夜の闇に沈んでから出歩いていたせいだろうか。朝の光の下、幕が開けた瞬間のような静けさで満たされている久慈の町に、自然と気が引き締まった。空は白みがかった灰色っぽい青色で、曇りの朝の色をしていた。
 大きな通りに出て、あとは道なりに東へ向かうだけというところでコンビニに通りかかる。一瞬の逡巡の後、誘惑に負け肉まんを買ってしまった。次いつ食べられるかわからないおいしいものは、食べられるときに食べるのが吉である。

 海岸線に突き当たったら、海沿いの道をひたすらに歩いていく。1時間ほど歩いたところで、旅が始まってから初めて(私が気づいていなかっただけかもしれないけれど)目についたものがあった。東日本大震災の、津波到達地点の青い板。ここに津波が来たんだ。今まで歩いてきたところも、津波の被害を被っている。今まで私の目に見えていなかっただけ。みちのく潮風トレイルの憲章には、震災をいつまでも語り継ぐための記憶の道、という言葉がある。2011年におこったこの震災の話は、ともすると人を傷つけてしまいそうで思わず避けてしまいそうになるけれど、ここで何があったか、私たちがこれからできることはなにかを、忘れてはいけないと思った。

ウニ

 小袖海岸をずーっと歩いていく。松林のない海の近くの車道を歩くのは、今までとはまた違った開放感と静けさがある気がする。数メートル下にたゆたう海は、近いけど触れられるほど近くない、どことなく写真に映る海を見ているみたいだ。海の延長線上に含まれるもの、例えば砂浜とか、岩場とか、そういうものに足をつけていないからだと思う。兜岩の少し前あたりの道の上で、ウニの殻を見つけた。中身は空っぽで、ぱっくりと半分に割れた片側だけが落ちている。鳥にでも食べられたのだろうか。でもどうやってここまで来たのだろう。どこからか拝借してきたウニを、道路に落として割って中身を食べたとか?ウニって落としただけで割れるんだろうか。トゲトゲがうまい具合にクッションになったりしそうなものだけど。道路にウニが落ちているなんて東北の沿岸部では日常茶飯事なのだろうかなど、初日に海岸にホヤが落ちていたときと同じような気持ちになりながらウニを後にした。

ウニ

 兜岩、つりがね洞、と立札の立てられたポイントを通り過ぎていく。兜岩は初め何をもって兜と言っているのかわからなかったけれど、よく見ると二本のツノのようなものが生えている。あれが兜なのだと自分の中で納得してしまうことにした。つりがね洞の釣り鐘の部分は、震災の際失われてしまったそうだ。こんなふうに名前の付いた地形、特に岩のような自分の生きている時間より圧倒的に長い時間を持ったものが、自分の生きている間に大きく変わってしまったことが、なんだか現実離れしていて実感がわかなかった。

つりがね洞

 少し先に五丈の滝という滝があるのだけど、車道沿いにいきなりポツンとあるものだから驚いてしまった。私の中の滝のイメージはまずもって山奥のものであって、海岸沿いにあるものではなかったし、ついでに車道から少し横に入っただけで見られるようなものではなかったからだ。車道から右に入り込むように伸びる道を進むと、滝に削られぽかりと空いた空間に着く。大々的に滝の宣伝がされていたり出店が出ていたりするわけじゃないから、一人滝の前で佇むことになる。この、周りとは少し切り離された空間で、一人。しかも場所は滝壺。気分はさながら秘密基地を見つけた小学生だ。幼い頃、公園の生け垣の中に空洞を見つけた時の感覚に似ている。滝のふもとには「五丈の滝」の立て板がある。新しい方と、そのもう少し奥にある、いつ立てられたのだろう、傾いて字もかすれてしまっている古い方のふたつだ。昔の方の字は墨汁で書かれたのだろうか、いつからこの滝には名前がついているのだろうか、この道路ができる前、ここはどんな場所だったのだろうか…色々妄想が広がる。こういう、説明書きすらついていない、しかし確かに人の手の入った時間の層を見つけるとワクワクしてしまう。ロマンはちょっとの真実と、未知の間に宿るのだ。その間に膨らむ、想像力の中に。

 そこまで思いを巡らせて、ふと後ろを振り返ると順番待ちのように人が立っていた。あ、すみません。気づかなくて…。自分だけの秘密基地で思いを馳せる若者から、滝の前でただ一人呆けている変な奴、になった私は、そそくさと後続に基地を明け渡したのだった。そもそも自分の物でもないんだけど。

五丈の滝

小袖海女センター

 北限の海女を謳う看板に出迎えられ、左手に小袖漁港の波止場、その奥に夫婦岩を望みながら進むと、道の右脇に公園の注意書きくらいの立て看板を見つけるだろう。連続テレビ小説あまちゃんの話と、その奥にひっそりとある急な坂についての説明書き。私は当時あまちゃんを見ていなかったから、並べられた数々の偉業を見てはへえ、こんなすごいことになっていたのか、そういえば能年玲奈はどうしてのんになったんだろう、などと思いながら説明書きを読んでいた。看板の奥にある狭くて急な坂は、縄文時代から集落の人が海辺の作業をするのに使っていたらしい。海女さんなどは重さ30キロの荷物を背負って、一日に何往復もこの坂を行ったり来たりしていたんだとか。私なんてたった7キロ弱の荷物を背負って平坦な道を歩くだけでこんなに肩が痛くなったり足が痛くなったりしているのに、その4倍以上の荷物を背負って、この急な坂を、一日何往復も?!信じられない体力差である。昔の人はすごい。しかも縄文時代からの道が今も使われているなんて、まるで生きた遺跡のようではないか。ここがたとえルートじゃなくたって登らなきゃいけないだろうと、謎の使命感に駆られえっちらおっちら、本当にきつかった。急な斜面をジグザグに上がっていくから終わりが見えなくて、まだ終わらない、まだ終わらない、こんな道一日一往復だってしたくないと思いながらなんとか上の集落に到着した。見晴らしのいいところにベンチが一つ置いてあって、ありがたく座らせてもらって朝ご飯を食べた。さっきまでいた海面が下を向くとヒヤッとする程遠い。こんなに登ってきたのか、そりゃ大変なはずだ。

 休憩ですっかり冷えてしまった体を軽くゆすって立ち上がる。さて、後は下って本ルートに戻るだけだ。つま先が少し痛くなるくらい急な坂を下っていると、ポコペポコペ、と電話が鳴った。あっ、この間予約をすっぽかしてしまった歯医者さんからだ。トレイルを歩くと決める前に歯医者に予約を取ってあったのだけど、季節やその他諸々の事情でその前に東京を出ることになってしまったのだ。連絡しなくてはいけなかったのを、てっきり忘れてしまっていた。はい、申し訳ありません、え、今外出中でして、12月には行けると思いますので、はい、よろしくお願いします…。ふう、何事も後回しにするのはよくない、よくない。

 坂を下りて一本道を進むと、すぐ突き当りに小袖海女センターがある。普段は昼食を食べられるのだけれどコロナの影響で今は食事の提供はしていない(2020年秋当時)という情報をNさんから貰っていた。それでもせっかくあるのに行かないのはもったいないと思って扉をくぐってみた。アルコール消毒をして店内に入ると、コロナ対策のために個人情報を記入していかなくてはいけないそうだ。名前と住所、職業は…無職。学生でもなく、何か仕事をしているわけでもなく、好き勝手プラプラさせていただいていたので事実だ。私の荷物を見て、トレイル?と聞いてくれる。そうなんです、できるところまで歩いてみようと思ってと言うと、頑張ってねえ、と応援してくれた。上の食堂はやってないけど、海女の展示とかあるから見ていってね、と声をかけてくださったのが嬉しくて、結構しっかり時間を割いて展示に没頭してしまった。北限の海女の歴史や、道具、生活、今につながる活動など、海の近くだからこそ発展した文化と歴史に触れることができた。始まりは、男性たちが家を空けている間、畑仕事などの空き時間に女性がアワビや海藻を採り、お金にするようになったことからだそう。驚いたのはその始まりが明治初期ごろだったことで、というのも私の中の海女のイメージには、百人一首の「見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変わらず」があったから、ここの海女さんにもてっきりもっと古い歴史があるのだと思い込んでいたのだ。そもそも男性たちが遠洋漁業で家を長く開けるようになったことがきっかけならば、19世紀の日本の北海道進出や、船舶の大型化、近代化の進んだ明治時代以降なのは納得なのだけれど、その前に海女の職業は定着しなかったのだろうか。男性がいなくなった分家事に割く時間が減って時間ができたのだろうか、海岸で作業する場が空いたからだろうか、海女の仕事ではなくて男性の海の仕事を手伝っていたのだろうか、男性がいない間稼ぎがなくなってしまったのだろうか…などなど、ちょっと考えてみたが、詳しく調べていないからわからない。たまに潜っている途中に網が引っかかって身動きが取れなくなることもあるそうで、想像するとぞっとした。大変な職業だ。

 一通り絵や展示を見終えて階下に下る。温かい声をかけてくれた海女センターの人たちになにか貢献したいと思い、できるだけ軽くて、調理しなくても食べられるもの…と探した結果、酢だこ?という名前だっただろうか、酢漬けした乾燥タコを一袋買って、おしゃべりしてくださったお礼を言ってセンターを出た。

 ここから高台の集落に登るのだけど、この道がなんとも見つけづらい。本ルートから少し進んだところにある海女センターまで行ったのはその道を探すため、という目的もあったのだけれど、センターの先は行き止まりだった。道を引き返し、あまちゃんの紹介が書かれた立て板のところまで戻る。もう一度目を皿にして読んでみたけれど、どこにも地図は書いておらず。いったいどこなんだ、とお手上げ状態でGPSに頼ることにすると、なんと先程あんなに苦労して登った縄文時代坂を示しているではないか。一往復だってしたくないと思った伏線を綺麗に回収しながら、私はまたひいひい言って坂を上ったのだった。

坂の上から見た景色