東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた去年の秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

ゼロのおはなし

 今日はゼロデイ。一日も歩かない日だからここに載せるのもどうかと思ったのだけれど、これも含めてトレイル歩きだから今回は一応書いてみることにする。

 この日は仕事で近くまで来ていた母とハイカーさん2人に会うことになっていた。1週間前に家で会っているのにすごく久しぶりな感じがするのはどうしてだろう。色んなことがあったから、時間の流れる速さが違うのかもしれない。私が高家川を渡らなかったということは伝えてあったので、今日はもう一度そこに行ってみて渡渉をするか決めようということになった。正直、休みの日にわざわざ…と思う気持ちもあったのだけれどしょうがない、私は何かをするときはまず「やりたくないな」と思ってしまう質なので、これでいいのだ。まあ行かなかったら一日中部屋にこもっていただろうし、結果行ってよかったのだろうと思っている。川まで行ってみたけれど、まだ水位が高いこと、気が乗らなかったことから結局渡渉はせず、またいつか来た時にしようと決めて道を引き返した。この日も傷ついた鮭がうようよと川岸に集まっていて、こんなに大きな魚が川にいることが、やはり異様に感じられた。

 久慈市内の海鮮丼屋さんで昼ご飯を食べる。贅沢に盛られて色とりどりに光る海鮮丼は、食べ物という視点を離れて見てもその外見の魅力だけで充分魅力的だと思うのだけど、いざ目の前に出されてしまうとその具の豊富さや空腹感に圧倒されて、そんなことを考える暇もなくいつの間にか丼は空になっているのだった。

おいしそー


 ここらでみんなとはお別れ。Nさんも母たちの車に乗って自分の進んでいたところまで戻るので、また一人旅が再開する。ホテルまで送ってもらって、じゃあ、と声をかけると、ハイカーのKさんがこれあげるよ、と言って小さなジップロックに入ったマツタケをくれた。Kさんもこの時期同じようにトレイルを歩いていた人の一人で、道中キノコ採りの方と話が弾み、数本譲ってもらったのだそうだ。太っ腹。その人の心の広さとKさんのコミュニケーション能力の高さにあやかって、ありがたくもらうことにした。キノコを受け取って、車が発進する。誰かと歩き始めてたった2日、母たちに至っては会ってから半日も経っていないのに、ホテルの前で小さくなっていくレンタカーを見つめ、車が消えていった曲がり角に思わずカメラを向けてしまうほどには寂しいものだ。ひとりで歩いていたとき特に何も感じなかったのは、はじめからひとりだったから。今までは確かにあった何かがなくなったとき、その穴を覗いて人は寂しくなるらしい。

 部屋に戻り、気を取り直してぐうたらする、いや、しようとしたけれど、この寂しさをテレビやSNSで散らしてしまうのはもったいないような気がして、しばらくぼーっとその日のことを思い出していた。鮭がうようよと泳いでいた増水気味の高家川、きらきらつやつやとした海鮮丼、去っていくシルバーのレンタカー。鮭の川、海鮮丼、レンタカー、川、丼、車…。だんだん感傷に浸るのも飽きてきて、しばし休憩に入ることにした。

 買っておいたおつまみをつまみながら数時間、ひとりの時間は静かで、さっきまで人に会っていたなんて嘘みたい。昨日の話じゃなかったっけ?など思いながら過ごしていると、あっという間に夕飯の時間になっていた。暗くなった町に出ていっていくつか店を回るも、ひとりで見知らぬ土地の店に入るのはなかなか勇気がいる。この日は勇気の出ない日だったらしく、調理してもらおうかと持ち歩いていたマツタケと共に、近くのローソンで鹿児島産桜島どりのチキン南蛮を買って帰った。いいじゃないか別に、外で食べなくちゃいけないわけじゃない、これは自分の旅なのだから…と、地域の食に貢献しなかった言い訳をしながら、レンジで温めた夕飯を食べた。

久慈市街