東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた去年の秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

夜明けごろ

 午前4時くらい、尿意で目覚める。唯一寝袋から出した顔に当たる冷気から想像できてしまう外気温の低さに、思わず眉根を寄せてしまった。外はまだ日が水平線をまたぐ前で、テントから地味に距離のあるトイレに行くのはちょっと怖い。二度寝を決め込もうとしたのだけれど、生理現象には抗えず。しぶしぶテントを出た。やっぱり寒い。帰ってからもう一度寝ようと思っていたのに、トイレの蛍光灯で意識はより冴えていく。もう二度寝は望めないな…と思いながらテントに帰宅し、スマホで天気やルート情報を確認して時間をつぶし数十分、テント越しに太陽を感じて、折角起きているのだからと入り口の結び紐をほどいた。

 夜の間に冷え切って、まだ眠りから覚めていない、そんな空気を押し出すように、青地の空にピンクの絵の具が広がっていく。すごくきれいなものをひとりで見ている。誰にも感想を言わなくていい。言葉にしなくても本当にきれいだと思っていることを、自分がちゃんとわかってくれる。ずっと見ていたかったけど、やっぱり寒くて、すぐ閉じた。

この日の朝焼け 

出発と、道具について少し

 6時くらいから出発の準備を始める。ブースターとして前日買っておいた菓子パンを食べて、広げていた荷物をバックパックに詰めていく。まずは断熱マットを骨組み代わりに。 次は水濡れ防止のポリ袋を敷き入れて、底に寝袋。クシャっと入れた寝袋の中に炊事道具やアルコール(燃料用)などの形の決まった固い物たちを沈ませて、そこまでしたら一旦テントの外に出てツェルトを畳み、それをペグと一緒に元寝袋用の袋に入れてバックパックに詰める。昨日使い切らなかった水1L分をバックパックの背面に配置し、服、浄水器、食料の順に詰めたらパッキングはほぼ終了。口を絞って丸めたら留め具でとめて、ツェルトを立てていたトレッキングポール、空のペットボトル500mlをバックパックの両側外ポケットに一本ずつ差したら準備完了だ。

 ここまで結構さっくり書いてしまったけれど、このバックパックには色んな人が、色んな所を、何度も歩いてようやっと形になっているようなアイデアがたくさん詰まっているのだ。ここから少し、その道具とパッキングについて少しお話したいと思う。

 まずは、なんでわざわざ断熱マットを骨組みにするのかについて。そもそも長距離の旅を支えられるような大きなバックパックには、大体その形を保つために金属の骨組みが入っている。けれど私のは軽さ重視でおすすめしてもらったのでそれがなくなにも入れないとペシャンコになってしまうので、代わりに断熱用に寝袋の下に敷くしっかりしたマットをバックパックの内径に合わせてカットし、輪になるよう丸め入れて骨組みとして使っているのだ。

 次は寝袋について。寝袋を入れるときのコツは、ギュギュっと固めないこと。私は今まで、寝袋のイメージとして使った後はすごい力かけてウンショウンショと苦戦しながらちいさい袋に詰めなくてはいけないというのがあったのだけど、聞くところによると、小さい袋に詰められた寝袋は形が円柱に決まってしまうから、他の物との間にすき間ができて荷物がコンパクトに収まってくれないのだそうだ。一方、袋に入れず適当にくしゃくしゃっと底に押し込めば、その中に炊事道具やアルコール(燃料用)などの形の決まった固い物たちを沈ませることができて、衝撃緩和とスペース確保の一鳥二石を達成することができるらしい。

 これらは全部、私が考案したのではなくて、この旅を計画するにあたってハイカーさんたちから教えてもらったアイデアたち。できるだけ軽く、小さく、少なく。アウトドア用品のバリエーションは多種多様で、“あったら便利なもの”はたくさんあると思う。私自身それを見たり、使ったりするのは本当に楽しいし、すごくワクワクするのだけれど、「長い期間バックパックと身一つで長距離を歩く」という場面に置かれたとき、道具の意味はまた少し変わる気がするのだ。一日中歩くとなると、持ち物が多いこと、つまり荷物が重いことは結構ストレスフルなもので、そのせいで気が滅入ったりケガにつながったりと、道具の多さが逆に楽しさを損なってしまうことがある。だから長く歩くときには、できるだけ持ち物を少なく、軽くしようとするわけだ。このマットの工夫もそのうちの一つなのだけど、当時教えてもらわなかったらきっと今でも思いつかないままだっただろう。何度も歩いて、なんとか荷物を軽くしようと試行錯誤した、色んな人の歩いた距離の詰まったアイデアたち。それをこうして誰かに話せることは、なんだかいいなあと思う。

 持てる荷物が少ないと言われると、なんだかできることも少なくて、つまらなさそうと思うかもしれない。確かに同じテント場で焚火をしている人や、広いテントを使う人のこと、ホントはちょっと羨ましい。けれど、より軽い、少ないものの中で色々考えて、なにかを生み出す作業も結構楽しいものなのだ。というか、アウトドアのそもそものおもしろさって、そういう不便さを楽しむってところにあるんじゃないかとも思う。私は小さい時からモノ作りが好きで、保育園の時、誰からともなく教えてもらった草の舟、小学生のころ木の枝で作った笛、憧れたツリーハウス、中学の部活で作った段ボールコスチューム…。生まれた時から都会の中、どこかで完成されたものに囲まれて育ってきた私にとって、自分の手は何かを作ることができるという高揚感はすごく魅力的なものだったのだと思う。ハイキングにとどまらず、今の社会には便利なものや魅力的なものはたくさんあるし、これからもどんどん開発されていくのだろう。私たちはそういう余裕、娯楽で日々をつないで楽しく生きんとしている側面があるし、不要と言ってしまうのはあまりに軽率だ。ただ、飽和だけでなく欠乏から見いだせる楽しさも世界にはあって、何かが足りないことが必ずしも退屈につながるわけではないことを知っておくと、私たちはもっと自由になれる気がする。今これを書いていて、自分自身確かにそうだなあ、と改めて実感した。何かを得ることは何かを失うことと同義だけれど、何かを失うことが何かを得ることにつながるのも、また事実なのだと思う。

 話が随分広がってしまった。種差海岸の朝に戻ろう。そんなこんなで荷造りも終わり、一晩お世話になったキャンプ場に別れを告げて歩き始めた。 あたりの空気はまだ青い。インフォメーションセンターの前の水道で、空のペットボトルに水を満たすと荷物がずんと重くなる。この日はほぼ一日中アスファルトの道を歩く予定だ。海沿いの町。家々の間からちらちらと舌を出す海や、頻繁に見られる漁業関連の看板がそれを実感させる。右手に感じる海に気を取られていたら、開始早々道を間違えた。曲がるところを通り過ぎてしまったのだ。危ない危ないと引き返して右に曲がり、ルート修正。ようやく空が白んできた。一日の始まりだ。

ありがとうございました、そして、バイバーイ