東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた去年の秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

川岸にて

 それにしてもNさんがなかなか来ない。電話もつながらないし、メッセンジャーなどももちろん繋がらない。さっき電話で何となく交わした「いざとなったら川で」という口約束だけを頼りに、私はひたすら川岸でNさんの到着を待った。そうこうしているうちに時刻は午後3時を過ぎようとしていて、だんだんと日が傾いていく時間に差し掛かってしまった。調子のいい日ならそろそろ歩き終わるくらいの時間だ。何かあったのだろうかと心配になってくるけれど、電話が通じないからには何もわからない。いかに文明の利器が染みついた生活と思考回路なのだろうと自分に呆れながらも、待つことしかできないのがこんなにもどかしいとは。これは一人で渡るという選択肢も考えておく必要があるかもしれない、と再び川に向かおうとしたその時、遠くからこっちに向かって一台の軽トラが走ってきた。近くに漁港があるとはいえ、こんなところで人に会えるとはと、その白い軽トラックが奇跡のように感じたのを覚えている。駐車の邪魔にならないよう端に寄り、おじいさんが車を降りてくるのを待ってこんにちは、と声をかけた。お嬢ちゃんこんなところで何をしてるんだ、川を渡るのかと聞かれたので、そのつもりだったんですけど、と濁す。声に否定の色が見えたので、私も渡りたいわけではないんですよ、と伝えておきたかったのだ。すると案の定、やめたほうがいいと忠告される。その時点で既に川を渡る気は失せてしまっていたのだけど、極めつけはその後続いた「流されたら終わりよ」という言葉だった。私の気のせいではなく、ここ数日の雨で川の水位は確かに上昇しているらしいのだ。地元の人の忠告という免罪符を得た私は、川は渡らないと決意した。無理は禁物である。最悪ここでテントを張り、明日引き返して迂回路を行こう。おじいさんは鮭の様子を見に来たようで、しばらく川を眺めた後助手席にワンちゃんを乗せた軽トラに乗り込み、気をつけてな、の一言を残して行ってしまった。本音を言うと車で今日の宿泊予定地である北侍浜の野営場まで乗せてもらいたかったのだけれど、荷物とワンちゃんでいっぱいいっぱいの車内を見て断念したのだ。断念と言っても、頼めば乗せてもらえるわけではないのだけど…。しかしいざまた一人になると、行ってしまった…という薄い絶望感と後悔が漂い始め、私はぼーっと、走り去った軽トラの白い背中を見つめていたのだった。

 そのあとも何人か鮭を確認しにきた人はいたのだけど、Nさんと待ち合わせしていることが気になって結局私が川岸を離れることはなかった。ずっと座っていたせいで体が冷えてしまいウロウロと歩き回っていると、不意にスマホが鳴った。飛びつくように画面を確認すると、Nさんからだ。電話通じるじゃん!と勇んで電話に出ると、Nさんからひとこと。「ニコちゃん、今どこ?」。
 川だと伝えNさんの居場所を聞けば、今までずっと踏切のところにいたというではないか。ひどいすれ違いをしてしまった。きちんと集合場所を決めておかなかったせいだ。私は川岸で、Nさんは踏切で2時間互いを待ち続けていたとは…とりあえずNさんがこちらに向かうということで決まり、電話を切ってから30分、私たちはあっさりと合流を遂げたのだった。

北侍浜へ

 合流できたはいいものの、さすがに今から川を渡ったら日が落ちる前に北侍浜に着けない。どうしようかと悩んだ結果、Nさんが連絡して、Cさんが車で迎えに来てくれることになった。細かい経緯は忘れてしまった、すみません。ここから北侍浜までのルートは歩けないけれど、もう気分的にはそれどころではないのでしょうがない。疲れた、足冷たい、ちょっと寒い。Cさんのご厚意に甘えることにして、ここからのルートはまたいつか歩こうと気持ちを切り替え、来た道を引き返していった。

 数時間前は不安を駆り立てるような圧迫感を纏っていた松林の道も、誰かと歩けば全然怖く感じなかった。この先ちゃんとしたテント場に泊まれることは確定したわけだし、なにより、一人でないことがこんなにも安心感につながるとは。すれ違いはあれど合流できてよかったですね、などと話しながら歩いているとき、ふと思い出して実はNさんの乗ってる電車が踏切を通った時ちょうどそこにいたのだ、と話してみた。そうなの?あと少し待っていてくれたら合流できたのに、というような返事を予想していたのだけれど、Nさんから返って来たのはいや、実は電車乗りそびれちゃったんだよね、という意外なものだった。話を聞いたところ、事の次第はこう。電車が来るまで随分時間があったNさんは、余裕でタバコを吸いながら電車を待っていた。ほどなく電車が到着し乗り込もうとするのだが、ボタンをいくら押してもドアが開かない。他に駅から乗り込む人もいなかったためそれに便乗する手法も使えず、焦って何度もボタンを押すのだけれどドアはうんともすんともいってくれなかった。様子に気付いた車内の人も内側から開けようとしてくれたのだが、努力もむなしく、そのまま電車は走り去ってしまった…。電車が去ってから、Nさんはようやくそのワンマン電車が前方の運転席側のドアしか開かないようになっていたのに気づいたそうだ。乗り方とか、駅に張ってなかったんですかと聞いてみたところ、地元のワンマン電車と大して勝手は変わらないだろうと読まなかったとのこと。結局タクシーを呼んであの踏切まで来て、着いた時間は電車の到着時間とほぼ変わらなかったそうなのだが…おもしろい人だなあと、ひとしきり笑った。ということは、私が踏切を出発したすぐ後にNさんはそこに到着していたということで、本当にタイミングが合わない日でしたねと、2人でまた笑った。

 少し歩くとCさんの車と合流、そのまま乗せてもらって、北侍浜の野営場に向かった。今思い返しても、私の旅はこうやっていろんな人たちに支えられていたのだなあと実感する。お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。
 この時は高家川が通れないときの迂回路を走ったのだけれど、歩いていたら日が暮れてしまうほど長いはずのみちのりも車で走るとあっという間で、時間の進む尺度とか、地球の大きさとかの感じ方が全然違う。車窓から見える景色は歩いているときとは桁違いの速さで通り過ぎていくから、ビデオテープをぎゅっと早送りして見ているような気分になる。車から降りると気分はまるでタイムワープしてきた時間旅行者のようだった。何はともあれ、Cさんのおかげで日が落ちる前に野営場に到着することができた。お礼を言ってお別れしようとしたら、なんと大量の差し入れまでくれた。数々のカップ麺や、おかし、ゆで卵などなど…今夜は楽しくなりそうだと思いながら、重ね重ねお礼を言って、今度こそお別れをした。

 Nさんは前ここに泊まった時管理人さんに毛布を貸してもらったらしい。とてもいい人だったと聞いていたから私もお会いしてみたかったのだけど、10月から冬季の無人期間に入ってしまったらしく、会うことは叶わなかった。野営場というからもっと殺伐としたところのイメージがあったのだけれど、高い松林に囲まれ、緩く傾いた地面の先に木々のすき間から海の見える気持ちのいい場所だった。その上しっかりしたデッキとトイレ、水場、水はけのいい地面も揃っていて安心感がある。近くにきのこやという温泉があるのだけれど、さすがにそこに行っていると暗い中テントを張ることになるから諦めた。高家川からここまでの道歩きも含めて、また今度来た時に行ってみよう。
 私のツェルトは地面にペグが刺さらないと立てないので、デッキの脇の地面にテントを張る。四隅を止めて、上辺の角とポールを結びつける。ぐっと引っ張って片側を立ち上げたら、逆も同じように。ポールの高さを調整してすべての辺がぴんと張ったら完成だ。荷物を入れて、食べ物を出す。海側のテーブルに陣取ったら、夕飯の時間だ。

 海側に少し下がったところにあるテーブルに集まって、Nさんと各自夕飯の準備をする。食事関連のケースとして兼用していたクッカーから五徳とライター、風防とアルコールストーブを出して、ストーブにアルコールを注いでいく。
 このアルコールストーブはアウトドア初心者の私がこの旅のために新しく購入したものの一つで、真鍮製のまるいフォルムがかわいい。アウトドア用のストーブの種類は大きく分けて2つ(たぶん)、ガスストーブとアルコールストーブがある。それぞれに長所と短所があって、ガスストーブの長所は燃料が軽いこと、短所は燃料を手に入れられる場所が限られてしまうことで、アルコールストーブの長所は燃料が手に入れやすいことと本体が軽いこと、短所は燃料が重いことだ。まあ工夫次第でそれぞれの短所は補うことができるし、自分に合ったものを選ぶのがいいのだろう。私がアルコールストーブを選んだ決め手は、その構造のシンプルさとデザインだ。アルコールストーブは簡単に言えば器にアルコールを注ぎ、それに着火するという仕組みで、なにも不透明なところがない。そのいたって単純な構造の中で、素材や穴の位置、本体の形を工夫してより火力を強くしようというのがいいなと思った。色んなものの構造が複雑になって不可視化されている現代社会を生きている身として、できるだけ始めから終わりまでその仕組みが目に見えるものを使いたいというのは、道具選びにおいて一貫して大事にしていたものの1つかもしれない。あとはやっぱりこの金色いまあるいストーブの、私を使って、という強いまなざしに、私はどうしても屈するしかなかったのである。

 アルコールに直接ライターで着火したら火が大きくなる前に五徳を置き、自作の風防でストーブを囲んで火が安定するのを待つ。上部に開いた穴から等しく炎が出るようになったら、水の入ったクッカーを上に乗せる。火が安定する前にクッカーを乗せてしまうと酸素不足で火が消えてしまうのだ。小学生の時理科の授業で使ったアルコールストーブも蓋をして火を消した、その仕組みと一緒だなあと思い出す。あと、この時クッカーの取っ手を広げておかないと、一緒に熱されてゴムのところが溶けてしまうので要注意。これはクッカーを使うようになって4回目にしてようやく気付いたことだ。今日の夕飯は、たらこパスタと差し入れにもらったカレーメシ。出発日にCさんにもらったたらこをサラダパスタと和えたら、思った以上においしくできて感動した。パスタのゆで汁はティーバックと一緒にペットボトルに入れてお茶にして飲んだのだけれど、まだ熱々の状態で入れたためペットボトルが溶けてべこべこになってしまった。ゆで卵を乗せて食べたカレーメシもおいしかった。Nさんはパウチのカレーを冷えたサトウのご飯にかけて食べていて、熱を入れなくても大丈夫なのかと少し心配になったのだけど、本人曰く案外いけるそうだ。Nさんはアメリカのトレイルも経験していて、今回のみちのく旅では自分史上最軽量の挑戦をする、といってストーブも持っていなければ靴もサンダルで貫き通している。夏ならまだしも、今は秋。旅の後半はもう冬といっていいような気温になるし、ここは日本の中でも北に位置する東北地方だ。荷造りの時は驚いたけれど、本当に世の中には色んな人がいるものである。

 夕飯中は、互いに今まで歩いたところの話をして過ごした。Nさんはサンダル歩きで足を痛めたそうで、見ると足全体が絆創膏だらけで思わず笑ってしまう。私より2週間ほど前に出発したNさんは既に普代村まで歩いていて、村に補給にぴったりな大き目のスーパーや、おいしそうだったけれど時間がなく買えなかったコロッケ屋さんのことなどを教えてくれた。ストーブがないのにどうしてもラーメンが食べたくなり、袋麺を水と一緒にジップロックに入れ、一日かけてふやかして食べたこともあったそうだ。おいしかったですか?と聞くと、おいしくなかったとのこと。ですよね。私のここまでに歩いてきた道はほとんどが舗装路だったけれど、高家川を越えてからは自然歩道の道も増えていくそう。アスファルトの道は足の裏が痛くなるのでやわらかい土の道が増えるのは嬉しかったけれど、初めて一人で自然の中を歩かなくてはいけないというプレッシャーで、当時はまだ始まってほしくないなあという気持ちが胸の大半を占めていたと思う。

 この時Nさんと話していたことはこのくらいしか覚えていないけれど、久しぶりに誰かと過ごしたこの夜は、歩いていた中でも特に楽しかった時間として記憶に残っている。いつもより夜更かしして、とはいえ東京にいた頃よりはよっぽど早く、各々のテントに戻り、スマホのメモ帳に日記をつけて眠りについた。

Nさんのビールと私の夕飯 この回の写真、これしか撮れてなかった