東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた去年の秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

出発 水を捨てる

 さわやかな朝だった。が、寝起きの心の中に広がっていたのはもくもくとした曇り空だ。前回の記事で少し触れたとおり、今日は高家川渡渉の日。旅を始める前にトレイルを歩いたことのある人たちから話を聞いたとき、高家川と力持川の渡渉だけは気を付けてと言われていた。気をつけるポイントや歩き方も十分教えてもらったけれど、それでもそんなふうに言われている川を一人で渡るのはこわい。このまま一日ここで休んでしまいたいとウジウジ弱気になるけれど、この道を進むしかないのである。否、まだ進み続けたいのである。どうにも重くなる気持ちを何とか持ち上げて支度を済ませ、足首や手首をほぐすストレッチをして宿を出た。
 早朝の港町をしばらく歩いていると、ふとあることに気付く。水、2Lも持たなくていいんじゃないか?今までの補給を思い出しても、毎日1Lほど余っていた。けれどそもそも宿泊場所は大体水の補給ができることを条件に選ぶから、到着してからの心配はしなくていいはずで、つまり、日中飲む分があれば十分なわけだ。思い立ったが吉日、善は急げということで、その場で排水溝に1L分の水を流してしまった。水を1L捨てたから、荷物は1㎏減ることになる。だいぶ肩が軽くなった気がして、こうやって荷物は変わっていくんだなと実感した。なるほど。いくら考え込んだって、初めから全部うまくいくはずないよなあ。

宿の部屋から 朝日

昼時

 海が見え隠れする今日の道には、沿うように八戸線が通っていて、たまに線路の脇を通ったりもする。夏が終わってぼさついた草に囲まれた踏切などは、写真に収めたくなるような風情があってつい立ち止まってしまうものだ。田んぼはもう黄色く染まり始めていて、歩き始める前の夏、くりこまにいた頃は青々としていた稲穂たちとのギャップに季節の移り変わりを感じる。宿戸の漁港脇、木の下でマットを敷いて、誰かに見つかってとがめられたりしないだろうかとびくつきながら朝ご飯を食べる。また歩く。有家浜に差し掛かったところで、工事の関係で迂回路を歩くよう看板に言われてしまった。母の一番好きな海岸だというので行ってみたかったのだけれど、工事関係のショベルカーがどしんと鎮座しているのを見て諦めた。道を引き返す途中、小さな女の子を連れたおばあさんと出会い、まわり道への行き方を教えてもらった。ここ最近、私の他にも何度か道を引き返してくるハイカーさんに会ったことがあるそうで、その度道案内をしてくださったのだという。ありがとうございます、とお別れして迂回路を進んだのだはいいのだけど、もうすぐ昼になるのにお昼休憩を取れるような場所が見当たらない。国道の方に迂回してきたからか大きなダンプがたくさん通っていて、道の脇に座るのではとてもじゃないけどくつろげないだろう。どうしよう…と思っていた矢先、そのまま国道に向かう道とは別に、もう使われていないような細い下り坂の道を見つけた。しっかり車道だけれど、先は行き止まりになっているし、座り込んでも上からは見えない。ここしかないと思って坂を下り、体が若干斜めるもののなんとか、というところで、朝ご飯の時と同様にマットを敷いて昼ごはんの時間にする。 このマットというのは、2日目のところで少し書いたのだけれど、寝るときに断熱材として敷くマットをカットした余りのところ。バックパックに外付けされた大ポケットにぴったり刺さるくらいの大きさだったから、少し横幅が広い枕くらいのサイズ感だ。こうやって地べたに座るときにちょうどいい。これもまた、教えてもらった知恵の一つである。

もう刈られているところも
漁港

 そこで昼ごはんを食べていると、サコッシュの中でスマホが鳴った。母からだ。また心配してかけてきたのかと電話に出ると、どうやら違うらしい。なんでも、私の前を歩いていたNさんというハイカーさんが、今日の私の渡渉を心配して一緒に歩きに戻ってきてくれたらしい。心強い!ひとりでの渡渉はやっぱり不安だったのだ。しかも天気は下り坂で、そのときはトツトツと雨もパラついてきていたから、本当にありがたかった。Nさんは今どこにいるのだろうか。母に聞くと、まあ、事はそううまくいかないものである。曰く、Nさんはサプライズのつもりでルート上の陸中八木駅で私を待っていたらしいのだが、私の出発時間がNさんの予想より早かったらしく、彼がそこに着いたとき、私はすでに陸中八木駅を通り過ぎてしまっていたのだ。なんと。結局、母を通してNさんに私の連絡先を教え、かけてもらった電話に出る。通り過ぎちゃったみたいですね、そうだねー、などと言いながらどうしようかと話をした結果、私はこのまま歩き、Nさんはまた電車に乗ってこっちへ向かうということになった。じゃあまた後で、と電話を切ったのだが、この時私たちは待ち合わせ場所をちゃんと決めておかなかったのだ。最後の方にちらりと「まあ川まで来たら絶対会いますよね」とは言ったのだけれど、これがのちのハプニングにつながるのだった。

曇り空と水

 私はそのまま国道を進み、迂回路から本ルートに合流。有家の海岸はまた工事が明けたら来ようと決め、車道を歩き続けた。中の熊野神社の前でパキッと左に折れ、海に向かって歩いていく。ここを曲がらずにまっすぐ行けば高家川の渡渉自体を迂回するルートにつながるのだけれど、車通りが多くすぐそばをダンプがたくさん走っていく道だと教えてもらっていたので、素直に本ルートのほうに進んだ。途中、八戸線を横切る踏切を通る箇所があって、踏切の名前に狐の字が入っていたことを覚えている。渡った直後に踏切が降り、電車が通っていく。Nさんはこれに乗っているのか、ここで待ってもいいけど、こんなに近くにいるなら先に歩いていてもすぐ追いついてくれるだろう。そんな風に思って、私はその場所を離れ、歩き出してしまった。

 踏切を越えると、松林越しに海が見えるようになってくる。突き当たって、そこからは右に曲がって海岸線と平行に歩く。ここに着いたのが午後1時半過ぎくらい。雨こそ降っていなかったけれど、あたりには冷たく湿った空気が満ち、空は白く曇っていた。海の色は空の色というのに、こういう時の海は白とは程遠い。やけに暗く鈍く揺れて見える。見ていて不安になってくる。赤茶の地面と灰色の松の葉、すき間から白い空が覗く道は、川に着くまでずっと続いた。

 同じ景色が続く中、かなり歩いたところでパッと視界が開けた。林が途切れたようだ。先は分かれ道になっていて、右に行くと高家川に、左に行くと漁港に下るのだけど、見えている道と地図上の分岐が頭の中で一致せず、1回まちがえて漁港の方に降りてしまった。どこかで道を見逃したかとかなり引き返した後に、GPSでやっぱりさっきのところでよかったのだと分かり、1往復分余計に歩いてようやく高家川に到着した。踏切からここまでの道でNさんが追いつくかと思ったけれど、結局会わずに川まで来てしまった。まあ思ったより長い道だったから、ゆっくり歩いて遅れているのかもしれない。休憩がてら少し休もうと、川辺に取り付けられたトレイル利用者用のカウンターを打って数字を足してから、先程も使ったマットを取り出して河川敷に座り込んだ。一呼吸ついて、改めて辺りを見回す。高家川の水は空の曇りを反射して、鈍い緑の塊として行く手を遮りながら滔々と流れている。川上の中野白滝へ向かう回り道は台風の影響で封鎖されているし、川を渡渉した後の道も、ところどころに張られたテープを見た感じ急そうだ。後ろには仮設のトイレが一台。いざとなったらここにテントを張る予定だったので、一応地面にペグが刺さるか確認する。こっちは何とかいけそうだ。ただ、物理的にテントを張れるかどうかと、こんなに近くでざあざあと水の流れる音がする場所で安眠できるかは別なので、私としては早くNさんが到着するのを待つばかりだ。この時点で私が川についてからかなりの時間が経っていたので、おかしいなあと少し不安になってきていた。しかし、連絡を取ろうにも電波が悪いから電話もできない。1人で進むことになるかもな…と思い、いったん本当にひとりで渡渉ができるのか見てみようと腰を上げた。川に足を入れてみると、結構深い。ふくらはぎの真ん中が浸かるくらい進んでみると、川底が見えない上に、流れも意外と早いみたいだ。 足の水に浸かっている部分から、ひとりで渡ろうという気持ちも川の水と一緒にぐんぐん流れ出してしまうようだった。視界の端にすいすいと影が見えるので目を凝らしてみると、ぱしゃん、とはねた。鮭だ。初めて生きているのを見た。そういえばもう季節は秋。鮭たちが産卵しに川を遡上しにくる季節だと知識で知ってはいたけれど、実物を目の前にしてみると結構大きくて怖い。渡っているときに足元を通られたら、あのぬるっとした大きな魚が足に当たったらと、今考えればそんなこと鮭の方からお断りであると思うようなことが当時は頭を占めてしまって、不安でますます渡渉へのモチベーションは下がってしまった。結果、少なくとも一人で渡るのはやめようと私は川岸に戻ったのだった。