東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた2020年秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

山を出る

 宇留部山の沢を下りきって5分ほど林の中を歩く間に、2回くらい「広場」を通り過ぎた。視界の開けていない場所はどうにも不安で、泊まる気になれなかったのだ。村に出たら何とかしようと歩を進めていると、ぽ、と中学校裏に出る。中学校の敷地から林道への入り口には丁寧に道標が打たれていて、こんなところもルートにしちゃうのかと驚いた。ここが正規のルートであることは確かなんだけれど、学校って、何だか特別で生徒だけのための場所みたいな感じがしませんか?こんなところに入っちゃっていいのかしらと妙に後ろめたくて、そそくさとその場を離れてしまった。
 歩きながら、テントを張れそうな場所を探す。山の中はあんなに暗かったのに、町の中はまだ街灯もついていないほど明るい。小学生だろうか、帰路につく子供たちと何度かすれちがった。昼の名残が残る空の下、友達としゃべりながら駆けていくその様子を見ていると、ほんの数分前山中で感じた、あの皮膚に直接触れてくるような焦りや不安が嘘のように思えてくる。間近に感じる人の生活に体の輪郭が溶けだしてしまいそうなほど安心する。

寝場所、やっと見つかる

 しかし依然として宿なしなのは変わっていないわけで。足を止めるわけにもいかず、どうしたものかと歩き続けているうちに、気づけば普代村のルートは折り返し地点まで来てしまっていた。欲張って山を越えたりしたからこういうことになったんだと後悔するも、時すでに遅し。目を皿にして寝る場所を探していると、なんとかテントを張れそうな場所にたどり着いた。本日4回目の宿泊候補地だ。1回目はえぼし荘のそばの空き地、2回目はまついそ公園、3回目は力持川の岸辺だった。これでやっと決まり…と思ったのだが、というか日も暮れかけていたのだからそこにしてしまえばよかったのだが、川の脇にあるその芝生のスペースは、なんとも朝犬の散歩をするのにぴったりな遊歩道のように見えるのだ。朝人が来たら気まずいなー、という違和感は、一度芽生えてしまうと無視できない。ぷちりと顔にできたニキビみたいで気になって仕方ない。この懸念を無視してここに決めてしまおうか、別の宿泊地を探そうか迷っていたとき、ふと母から普代村の知り合いの人の連絡先を教えてもらっていたことを思い出した。それまでは、お会いしたこともない母の知り合いにいきなり連絡するのは気が引けるな、と思って意識から遠ざけていたのだけれど、ここまで来たらしょうがない。意を決して電話をかけた。プルルル、プルルル、スマホ周りの張り詰めた空気に息を詰めながら待っていると、「はい」と返事が聞こえる。つながった!事情を話し、とりあえず会ってお話しすることになった。お礼を言って、電話を切る。体から緊張の水がザーッと音を立てて抜けていく。何とかなりそうだという安心感が、頭からつま先までじわ~っと沁みだしていくのがわかった。人がいるって、なんてありがたいことなんだろう。あのときお世話になった皆さん、本当に、ありがとうございました。
 
 しばらく色々と話をして、聞いてみるとテントの張れる場所ももちろんあるとのこと。5回に渡った宿泊地選びもこれでようやく終わりだと思うと、周りの景色もパーッと楽しいものに見えてきたからすごいと思う。焦りは視界を曇らせてしまうみたいだ。トレイルを歩いていて良いことの1つは、こういうギリギリの体験をした後、どんな小さなことでもなんでも楽しく、ありがたく思えることだ。やっと決まった今日の寝床に向かう前に夕飯を調達した大きめのスーパーで、色んなものが売られていたのも楽しかった。生活、生活である。ここには何人も人が暮らしていて日々の生活があるのだということが、やけに嬉しかったのを覚えている。Nさんが食べられなかったと言っていたお肉屋さんのコロッケも買っていった。知らないところで一人買って食べるお肉屋さんのコロッケって、どうしてこんなに満ち足りた気分にさせてくれるんだろう。

中学校

 あと少しで目的地、というところで、思わず足を止めてしまった。
 場所はさっきの中学校前。私がモタモタしている間に中学校は下校時刻になってしまったようで、学校の前には中学生がたくさん出てきていたのだ。なんということだ。この中をやけに大きいバックパックを背負って1人で突っ切るのはかなり気まずい。しかし、このまま待っていたら文字通り日が暮れてしまう。やるしかない、と腹をくくった。
 できるだけ道の端を歩いて、できるだけ視界に入らないように、と早足で通り過ぎようとしたその時。隣から、こんにちは!という声が聞こえてきた。
 びっくりしてしまった。だって全然知らない人に、しかもこんな格好をした人にあいさつするなんて私の地元じゃまずありえないことだ。なんだか変な人がいる、という目で見られるくらいだ。なんとかこんにちはとあいさつを返すと、前からも、後ろからも、こんにちは、こんにちはと声がかかってくる。戸惑いながらも全部に返事をして彼らの間を抜けきると、あいさつをしてもらえた嬉しさもあったけれど、自分がどう見られるかばかり気にしていたさっきの自分が、少し情けなくなった。中学生は、パチパチとはじけて見えた。

おやすみ

 やっと目的地に着いた時には結構日が傾いてきていて、開けた場所とはいえ、辺りは結構暗くなってきていた。トイレに近くて道から見えづらいところに場所を取り、テントを張る。地面が思ったより硬くて無理して押し込んだから、この時ペグが少し曲がった。張り終えるころには日はとっぷりと暮れてしまって、最後は街灯の明かりを唯一の頼りにしながらの作業だった。さて、長かった寝床探しもこれでいよいよ終わりだ。ようやく今日の寝床を設置できた。
 テントに入る。海が近くて、テントの中でも波の音と海風の音が絶え間なく聞こえてくる。あんなに薄い布一つしか隔ててないんだから当然か。風がバタバタとテントを揺さぶって、ちゃんとペグが刺さってないから倒れそうだなあと思った。それでも温かい寝袋にすっぽりくるまっていると、ここにいれば大丈夫だという気になってくる。寝袋は第二の家のようになっていた。残りのちょっとの心細さは友達との電話でやり過ごして、長い一日の眠りについた。

コロッケと普代村