東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた2020年秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

足音

 前の2日で予想より早く進めたので、この日の旅程には余裕があった。この日の宿泊場所は、今いる場所から10kmほど先にあるくろさき荘。天気予報で次の日からしばらく雨の日が続くと言っていたので、雨の間、しばらくそこに泊まることにしていた。整備された道を10kmなら、3時間とちょっとで着いてしまうだろう。いつもの癖で6時頃には起きていたから、視界はまだ薄暗い。今日はゆっくりできるぞ、と寝袋の中でぬくぬくとねむりの余韻にひたっていたその時、こちらに向かってくるザクザクという足音が聞こえてきた。なにかな?と思いつつ、そういえば昨日ここを教えてもらったとき、テントの周りに食べ物を置いておくと言ってもらったっけと思い出す。まだ私が寝ていると思っているのならこのまま寝たふりをしよう、とそのままテントの中でじっとしていると、足音はテントの周りを何周か回った後、しばらくして来た時と同じようにザクザクと帰っていた。すぐに出ていくのも無粋かなと迷っているうちに意識にもやがかかってきて、私が二度寝に引きずり込まれていった。
 次に目を開けたとき、視界はすっかり明るくなっていた。ちょうどいい時間だ、さて外はどうなっているかなと這い出てみると、なんとまあ、なにも置かれていないではないか。菓子パン一つ落ちていないようで、なんだ、と少し残念な気持ちになりながら、じゃあ?、さっきの足音はなんだったのだろう?もしかして、早朝のお散歩コースに突如現れた謎のテントをどうにも無視できなかった地元の人だったのかな、と思い至る。怖がらせてしまっていたらごめんなさい。お散歩コース、一晩お借りしました。

朝ご飯

 食事セットを持ち、風の当たらないところを探してお湯を沸かして、昨日坂の下の売店で買った赤いきつねに注ぐ。今夜は宿で泊まるから水の心配をしなくていいし、時間に余裕があるからこんな優雅な朝も過ごせてしまうのだ。この日の朝は結構寒くて、東屋の下のできるだけ奥まったところで縮こまり、お湯のぬくもりに手を添えて暖を取っていた。あの時感じたあの感じ、あの感じはなんて言うのだろう。10日目にもなると少しは旅慣れてきて、クッカーを開き、アルコールストーブをセットしてお湯を沸かすのにも手間取らなくなっていた。夜の世界をいっぱいに満たしていた波と風の音は、昨日の記憶が嘘かのように遠く穏やかだ。あたりは漠として白い空気に包まれ、きりっと寒くて、私は一人、我が物顔で知らない土地の東屋のベンチに座っている。誰と話すでもなくうどんをすすっている。朝ご飯を食べるということ以外何から何まで非日常のイベントごと。それなのに、一人だ。こんな非日常を、だれとも分かち合わず、私は一人で体験していた。林間学校でもなく、キャンプ体験でもないのに、朝、外で一人、火を使って沸かしたお湯で温かいご飯を食べているのが不思議だった。この時間、人がいないのがきっとこの場所では日常で、そこにうどんの音が響いているのがなんだか申し訳ないような、楽しいような。うどんからふと顔を上げた時のあの静かさみたいなものに、ひとりで旅をしてるとよく会った。一人だー、という実感なのかもしれない。そんな瞬間が結構、楽しかったりする。

くろさき荘へ

 出発直前になぜか母から連絡が来て、この日のうちに田野畑まで行けるんじゃないかと言われた。
 しかし、それにはちょっと出発時間が遅すぎる。でも同時に、実際明日から雨でしばらく歩けないなら今日できるだけ歩いておいたほうがいいんじゃないかという義務感のようなものも芽生えてきて、結局出発してしまった。半休みたいな感じで町を歩いて、色んな所に寄ってみたかったのに…ゆっくり過ごせるという緩んだ気持ちは先の見えない焦りに変わって、急いで荷造りをしてその場を後にした。

 宿に向かう道の途中、普代水門を通った。津波を防いだ、大きくて頑強な水門。海に面し川も流れている普代の町並みが守られていたのは、昔からあるだろうお店が残っていたのは、この水門があったからなのかと、昨日歩いた町を思い出す。私が歩いている道は、10年前、震災が襲った場所なのだと、そしてそれを語り継ぐ道でもあるのだと、感じたものを、聞いたことを、心に刻みながら歩いていこうと改めて思った。

ネダリ浜

 短いながらも出会いがあり、感じるものがあり、色濃く思い出に残った普代の村を後にする。橋を渡って舗装路をしばらく歩くとネダリ浜に出て、切り立った崖の下はりつけられた細い遊歩道に入る。曇り空の下、すぐ左隣、足下に海を感じながら歩く。歩道の海側に打たれた杭は何本かこちら側に倒れていて、錆びた鉄骨がコンクリづくりの丸太ん棒から覗いていた。そこは道が濡れていて、人の頭くらいの岩が転がっていたから、波が荒い日にでも押し倒されてしまったのだろう。こんな崖が形成されているところだ。人間がくっつけたものなど、こうやって倒されてしまうのはよくあることなのだろう。

2020年10月当時

 ところでなんでこんなに沈んだ空気の文章になっているのかというと、実は歩き始めてからおなかが痛くてしょうがなかったのだ。その上どこまで歩くかもあやふやな状態だったから、もうどうしようもなく機嫌が悪くて、歩いている当時ですら見える景色の暗さが自分の体調に左右されているのがわかるくらいだった。先まで歩いて帰ってくるかくろさき荘で終わりにしてしまうかずっと悩んでいたけど、このあたりでついに諦めが義務感に勝利して、到着が昼に前倒しになるという連絡を宿に入れたのだったと思う。先を歩くことは断念したものの、くろさき荘までは何とか歩き切らなければならない。こんなところで夜は越せないからだ。人生はなんとか“なる”のではなくなんとか“する”のだと、このときはじめて実感した。なんとかなるというのはどうにかこうにか動いた結果に得られるものであって、まずはなんとかしようと動かなくては始まらないらしい。ツライ。でもしょうがない。ここで足を止めてしまったらなんともならないのである。

手掘りのトンネル

 だから歩く前に聞いていたおすすめスポットであるネダリ浜も、手掘りのトンネルも、実はあまり楽しめなかったのだ。けれど一つだけ、そんな中でも心に美しいものとして映った景色があった。手掘りのトンネルを抜けた後。弁天漁港の、石を割ったような、あおい海面。この景色が目に飛び込んできたとき、思わず足を止めてしまった。不機嫌も腹痛も、この色を無視して済ませることはできなかったのだ。何の変哲もない拳くらいの岩を、トンカチでカーンと割ったら鉱物がみっちり詰まっていた時のような気持ち。地面の下でゆっくりゆっくり育てられたかのように、深く澄んだ水のかたまりだ。曇り空の下でこんなに澄んだ色を映す海を、私はそれまで知らなかった。いや、見たことはあったのだ。小袖海岸を歩いているとき、奥まった岩のくぼみに溜まっていた海のかけらは、そういえばこんな色をしていた。この色は小さな岩のくぼみで、入り組んだ崖の間で、静かな海面に岩の影が落ちてできるのだということは、それから何度かこの色を見るうちに気付いたことだった。
 いままで知り合いのハイカーさんに「みちのくのトレイルで好きなところはどこ?」と聞かれるたび、はっきり答えられなかったのだけど、私の好きなところは、こういう色をした海なのかもしれない。写真は撮ったけど載せない。青い石の海を今日から心に飼っておいてほしいです。いつかほんとうにその海に出会ったときに、そっと還してあげるまで。