2020年9月22日、越喜来で楽しい夜を過ごし翌朝片山さんに夏虫山を案内していただいた後、いよいよ今回のゴール釜石までラストスパートだ。残り二日。羅生峠を越え、奇跡の集落として知られる吉浜を抜けその先の鍬台峠を越えると唐丹に入る。ここで最後の一泊をした後ゴールの釜石に入る予定だ。

吉浜は、明治29年の三陸大津波で全住民の約20%もの人が犠牲になった経験を踏まえ、当時の村長の英断で、全民家、道路、役場、墓地などの集落の機能をすべて高台に移転した。その結果、今回の東日本大震災の時には被害犠牲が最小限に抑えられたことから「奇跡の集落」と呼ばれるようになったところだ。確かに住民の住んでいる高台から下には一面の水田しか見えない。

吉浜津波記憶石 奇跡の集落

唐丹(とうに)に入ってからふと左側を見上げると、良い感じのリアス線駅舎が見える。駅前には比較的綺麗なトイレもあり、周りに民家はほとんどないが駅のすぐ前に商店が一軒ある。商店で食料を調達しながら店主の女性から小一時間いろいろと話をうかがった。彼女は大槌駅前でローソンを経営していたそうだが津波ですべて流され、親戚を頼ってここへ移ってきたとのこと。震災当時の大槌のことやこの唐丹での復興のことなど、ひとしきりその女性と話をしたあと、いよいよ野営の準備に取りかかり、明日は釜石まで最後の10キロくらいをのんびりと歩いてゴールしようとくつろいでいるところへ妻から電話が入った。

唐丹駅舎

実はその日の前日は結婚記念日で、それに合わせて、今回の行程では釜石にゴールする日にちあたりで釜石にいる漁師の友人のところへ妻が遊びに来ていて、そこで合流してから新幹線で一緒に帰る予定にしていた。電話の内容は、ぼくが唐丹まで来ていることを妻がその友人に話すと「こんなに寒いのに!そんなところで泊まるんならわが家に泊まりなさい!」と言われたとのこと。釜石まで約10キロ。思いもかけず布団で寝られるなんてありがたいことだし、明日改めて列車で唐丹に戻って釜石まで歩き直せばいいかということで即座に決断して列車に飛び乗り釜石に向かった。結局ここでもありがたい「トレイルエンジェル」のおかげで、洗濯もさせてもらいお風呂にも入れてもらい、思わぬ超豪華料理をいただきながらゴール前夜を過ごすことができたのだった。

その翌日またしてもハプニングが起きた。昨晩泊めていただいた家のある洞泉駅から釜石を経て唐丹まで戻り、改めて釜石まで最後のルートを歩くつもりで列車に乗るとなぜか途中で止まってしまった。外は激しい雨が降っている。通勤通学の乗客がぞろぞろ降りていく。どうしたのか尋ねると雨のために運休するとのこと。やむなく、その駅から逆コースを歩いて唐丹まで行き、そこから列車で釜石まで戻ればいいと気持ちを切り替えて雨の中を歩き出した。雨のためかえって暑さはなく約10キロ強を歩いて無事唐丹まで戻ってきた。そこから列車で釜石に戻ろうと駅に入ると今度は釜石行きの列車も運休になっているではないか。さてどうしよう。今回の行程の最終日で疲労の蓄積もあり、改めて同じルートを釜石まで引き返す元気はない。仕方なく釜石からタクシーを呼び、来るまでの間また商店のおかみさんといろいろと話しながら待つことになった。おかげで高額のタクシー代を払うことになったのだが、そのおかみさんとは二日連続で結構な時間お話ができてなんとなく親しくなれたし、まさに今回は最後の最後までハプニング続きの行程となったのである。

日本製鉄 釜石製鉄所

釜石に戻ると、市内在住の勤務を終えた別の友人が車で市内を案内してくれた。鵜住居(うのすまい)の復興スタジアムなども見学することができ、釜石の復興の様子や課題などの話も聞けて、おかげさまで一週間の素晴らしい締めくくりとなった。

釜石鵜住居復興スタジアム
絶品 釜石ラーメン

もう明日は歩かなくてもいいという日の夜の生ビールと、最後に食べた「釜石ラーメン」が疲れた身体にしみ渡るほど美味しかったことは言うまでもない。