本稿は、平成25(2013)年6月に「日本の廃道」誌上で公開したレポートのリライトです。 当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 秋田県北秋田市
探索日 平成24(2012)年12月10日

 ■ 11:58 そこにあったのは?! 

この場所で仲間が発見したものは… 

何、これ?

 見慣れないものが、ネマガリタケの密生した川べりの斜面にあった。それは人より遙かに大きかった。仲間が全員集まり、「それ」を囲む形になったが、誰の口からも、すぐには答えが出なかった。

全体の形は、鉄製の大きな円盤。

 これが、林鉄と全くの無関係ではない「何か」であることは、円盤の外周部分を縁取るように取り付けられた林鉄でよく見るサイズのレールが物語っていた。

大変なものを見付けた予感がした。

 我々は手足を動かして“謎の円盤”の上に積もっていた大量の落葉や枯れ枝、廃枕木を撤去した。次第かつ急速に、“謎の円盤”は真の姿を見せはじめた。同時に私の中ではもの凄い興奮が湧き上がってきた。予感が、沸騰するほど熱い、確信へ!

“謎の円盤”の正体は―

転車台 のパーツ。

やりおった!

 土沢支線、やりおった!

 危うく、この超重大・超貴重な遺構を、見逃したまま立ち去る所であった。往路では我々全員が、このすぐ上の路盤を何事もなく通り過ぎていたのである。帰路でこの付近を探索の重点地と定めて行動したことや、単純な目の多さ、すなわちメンバーが多かったことが功を奏した。そのうえで、路上ではない藪の中に落ちていたものを見つけられたのは、やはり幸運だった。

『究極のナローゲージ鉄道』(岡本憲之著)より転載のうえ著者加工。

 発見された巨大な鉄製円盤の正体は、転車台(ターンテーブル)のパーツだった。転車台とは、主に機関車の向きをその場で変えるために利用される線路上の回転台のことである。この画像は、『究極のナローゲージ鉄道』(岡本憲之著)に掲載されていた、同じ秋田県内にあった杉沢森林鉄道の転車台だ。森林鉄道が利用するナローゲージ用の転車台にも、さまざまな規模・構造のものがあったが、ここに掲載されていたものと同型のものが、ここ森吉森林鉄道土沢支線の奥地で使われていたようだ。
 写真の転車台の構造は、転車台坑(ピット)と呼ばれるコンクリートの外壁に守られた円形の穴の底にレール付きの円盤を敷設し、そこに機関車が乗る転車台の本体が載るようになっていた。
 発見されたパーツは、転車台坑の底に敷設してあった円盤である。溶接固定された円形のレールや、中央の回転軸受けの存在が特徴だ。

 この画像は、秋田県秋田市の岩見森林鉄道三内支線大滝又分線(山行がのレポート)で平成20(2008)年に見つけた転車台坑だ。このようなコンクリート製ピットの発見はこれまでに数回あったが、他のパーツの発見は初めてだった。他の場所で発見されたという話も聞いたことがなかった。

 今回発見した転車台底部パーツの全貌。よく見ると、パーツのすぐ下の斜面には、ピット外壁のコンクリート片が、原型を止めたまま落ちていた。
 関連するパーツが並んで散らばっているこの状況、すぐ上の路盤がブル道になるまでは、レールや枕木と一緒に、転車台がそのまま設置されていたのではないかと疑わせるものがあった。もしそうだったら……、あと何年早く来ていたら完全な形を見られたのか?! ぐぐぐぐ……、こればかりは、仕方がないが……。周囲に見当らない転車台本体(転車台主桁)の行方も気になるところだ。

 裏側はこのようになっていた。ただピットに敷くだけなので、特に凝った作りはない。だが材料の節約や軽量化の都合からか、6つの丸い穴が空けられていた。それでも大人5人掛りでようやく支えられるくらい重い! 一人だったら絶対無理だった!

 円盤の中央部分には、転車台(主桁)の回転軸を差し込むための穴がある。円盤の周辺には大量の枕木も捨てられていて、もしかしたら、それらの下に転車台本体も埋れているかも知れない。

 果してこの転車台はどのように運用されていたのだろう。
 森吉林鉄で利用されていた機関車は、ここに写真を掲載したような「ガソリンカー」と呼ばれる小型の内燃機関車であり、ギアの操作で前進も後進も出来たが、運転台の向き的に前進が基本であった。そのため、距離のある路線の終端や、頻繁に折り返し運転が行なわれる拠点、あるいは貯木場内などに、機関車の向きを変えるための転車台や、編成状態のまま進行方向を逆転出来るデルタ線と呼ばれる方向転換施設がしばしば設けられた。特にスペースをほとんど必要としない転車台は山中で多く利用された。

 この土沢支線の転車台も、明らかに終点ではない位置にある(終点にもあったのだろうが、遺構は未発見)。だが、複線になっていた可能性が高い場所であり、頻繁に折り返し運転が行なわれていたのだろう。全ては断片的なピースからの推測だが、この辺りに、相当に大規模な一時的原木集積地、いわゆる山中土場があったと思われる。

 兵どもが夢の跡とは、こういうことを言うのだろう。こんな静かな奥地の森のさらなる奥地に、たくさんの機械力の注ぎ込まれた痕跡があった。全国屈指の林業県として、日本の発展を裏方より支えてきた秋田県の力の源を垣間見たようだった。林鉄の遺構としては派手な橋も隧道もなかったけれど、林鉄の活躍する姿を想像することに関しては非常に満足度の高い、いぶし銀の路線だった。
 このあと、全員揃って無事帰還。本探索を終えた。

【完結】

本編のご愛読、ありがとうございました。

次回作をお待ちください。