本稿は、平成25(2013)年6月に「日本の廃道」誌上で公開したレポートのリライトです。 当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 秋田県北秋田市
探索日 平成24(2012)年12月10日

 ■ 11:45 帰投開始 

 終点を確認後、帰路に備えるべく広場へ戻って少し長めの休憩をした。そうしているうちに、北の方から青空が覗き始めた。おそらくもう少しすれば日が射すようになるだろう。帰りはさらに気持ちの良い森が歩けるかも知れない。
 探索的な意味では、ここまでで所定の目標を達成している。ただ、一点だけ心残りがあるのは、途中の6.5km地点付近で目にした、川の両岸に分かれていた道の正体だ。帰りはその辺を重点的に確認したいと思う。

帰路開始。

 ■ 11:55 二手に分かれて行動開始

 帰りは道が分かっているし、探すものも多くないから、ペースが速い。わずか10分で、「気になっていた」地点の入口に達した。道はこの先、右岸と左岸に分かれている。往路では、左岸の道の一部を辿り、そこで謎の鉄骨パーツや半壊した(今回最大規模の)木橋を見つけているが、どちらの道も完全には辿れていない。
 ここで、6人いるメンバーを2隊に分けて、両方の道を同時に探索することを考えた。この土沢の幅なら、分かれても互いに声は届くであろうし、発見があれば、そこに全員集まることも容易い。
 私と細田氏、HAMAMI氏は左岸ルートを、ちぃちゃん氏、ジョニー氏、柴犬氏は右岸ルートを歩くことにした。

 “左岸組”は、最初に土沢を徒渉する必要があった。往路で確認した“半壊木橋”の脇を、また渡った。そしてこの写真は、左岸ルートから見た右岸ルートである。木立の向こうに、明瞭な平場が続いているのが見える。そこを歩く仲間たちも。
 あとで“右岸組”に聞いたところによると、右岸ルートに目立った崩壊や起伏はなく、全体に歩きやすかったとのこと。そして、純粋な軌道跡ではなくブル道化していたとのことであった。やはり、渡河のない右岸ルートがブル道として適格だったのだろう。

新発見あり!

 往路で索道の鉄製支柱の部品の一部とみられるスクラップを見つけたすぐ傍に、別のアイテムを発見した。直径50cmほどの鉄製ドラム(ケーブルを巻いておく道具)だった。
 これを利用する林業の機械は集材機や索道などがある。索道支柱らしきスクラップがあったことと即座に結びつけて良いか分からないが、この左岸には何かの施設があったように思う。

 左岸ルートは、川の蛇行の内側にある平坦な雑木林に浅い掘割りとなって直線的に伸びていた。そして木橋から100mほど進むと再び川に寄り、右岸ルートが見通せるようになった。この先でまた川を渡るなら、右岸ルートと再合流するだろう。

 ■ 12:05 道は再び1本に

 案の定だ。川岸の濃い笹藪に閉ざされた左岸ルートを辿ると、間もなく土沢に突出した丸石練積の橋台(半壊状態)に達した。

 そこから川に降りて確かめると、相対する右岸にも同様の構造をした橋台と、流出した主桁の残骸らしき太い丸太材が残っていた。
 われわれ左岸組は、右岸組とほぼ同時に、ここへ着いた。

 これで分かったぞ!一旦両岸に分かれていた林鉄のルートがここで1本に戻るのだ。この地図の通りである。両岸に分かれて進んだ距離は200mほどか。
 この2本のルートの関係性は、いろいろ想像する余地がある。逆に言えば、全て憶測の域を出ない。だが私は両方とも軌道跡だったと思っている。新線と旧線というのは一つの説だ。そして個人的には別の説を推したい。地形や残留物から考えて、左岸の平らなところに索道基地などの拠点となる施設があって、右岸の本線に対する側線的な役割を持った左岸線が敷かれたのではないか。前後に長い木橋を2本も架けてアクセスしたのだから、営林署にとってそれだけの価値ある土地だったのは間違いない。

 といったところで、両岸の2隊は無事合流して、往路における「心残り」は、これでなくなった。あとは下るだけだ。

右岸メンバーの誰かの声:ここに、なんかあるスよ?

 その声は、誰だったのか。

 この直後の「発見」があまりに衝撃的であったため、もうすっかり失念してしまった。だが、この「発見」の狼煙を上げたのは、間違いなく右岸ルートメンバーの誰かであった。何かを右岸で見つけたらしい。

 「なんかある」?

 声に導かれ、全員が橋台近くの右岸川べりに集合した。

そこにあったのは…

次回、最後の「発見」の正体とは……?!