『本稿は、平成25(2013)年6月に「日本の廃道」誌上で公開したレポートのリライトです。 当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。』

所在地 秋田県北秋田市
探索日 平成24(2012)年12月10日

◇私と森吉林鉄

森吉林鉄本線探索の最終目的地であった、太平湖を跨ぐ通称「3号橋梁」(本砂子沢橋梁)の跡地。

「3号橋梁」への接近を阻んだ水没した長大隧道にゴムボートで挑んだこともあった。平成16年の第4次探索のワンシーンだ。

 かつての私に、森林鉄道という廃なる世界の奥深さや、探索の難しさ、面白さだけでなく、仲間とともに探索することの強さを教え、結果として今日まで付き合いの続く多くの仲間たちを与えてくれた、我がオブローダー人生におけるおそらく最大の“恵みの地”が、秋田県中央部に雄大な裾野を拡げる霊峰森吉山の麓にある、森吉森林鉄道だった。

この初期の探索については、「山さ行がねが」にて平成15年から16年にかけて公開した5本のレポートになっているので、時間のある方は読んでみて欲しい(「山さ行がねが」の廃線レポート )。

このように全長33kmを超す森吉林鉄の本線については早くに探索を終えたが、その後は数ある支線の探索にシフトし、この地で出会った仲間とともに多くの支線を探索してきた。中でも粒様支線は全長10kmを超す最長の支線で、森吉一帯で最も奥地に位置する難しい支線であった。ここでの探索も数を重ねており、最も新しい探索は平成30年と最近である(その模様は、書籍「廃道踏破 山さ行がねが 伝説の道編」に執筆)。

ガチの探索ばかりでなく、私と森吉の仲間たちは数年に一度、森吉山の麓に集って親睦を深めてきた。今回お見せするのは、そんな親睦会を兼ねた支線の探索だ。

舞台の名は、森吉森林鉄道土沢支線である。

◇土沢支線のプロフィール

 国鉄阿仁合線(現秋田内陸線)阿仁前田駅に併設されていた前田貯木場を起点としていた森吉森林鉄道は、森吉山の北面を占める小又国有林からの運材を目的としていた。が、小又川沿いの全集落の生活の足として、或いは沿線にあった石炭鉱山の鉱石輸送、さらには森吉山の登山客輸送までをもこなした、秋田県を代表する森林鉄道の一つである。

 基幹となる本線は、昭和初期から敷設工事が進められ、前田貯木場~砂子沢~大杉沢間の全線36.7kmが森林鉄道1級として完成したのは昭和23年である。しかし開通から間もなく、営林署の担当区も置かれていた砂子沢集落一帯を貯水池化する秋田県の森吉ダム計画のために、昭和28年から33年までの間に8.6kmを廃止して湖畔に新設した5.8kmの新線への付け替えが行われた。以後は全長33.9kmとなった。湖畔の新線は全長800m級の日本一長い森林鉄道トンネルを含む立派なものであったが、全国的に森林鉄道撤去の趨勢となり、昭和44年に全線が廃止された。

 この路線には多数の支線も存在していたが、砂子沢で分岐する土沢支線は、そこからさらに枝分かれする粒様分線を含めて、最大規模の支線であった。我々は、『全国森林鉄道』(西裕之著/JTB発行)の巻末リストに掲載された以下のデータを参考に、土沢支線の探索を計画した。

・森吉林道 土沢支線 (森林鉄道2級)  全長7.3km 開設昭和5年 廃止同43年 
・森吉林道 土沢支線 粒様分線 (森林鉄道2級)  全長10.3km 開設昭和5年 廃止同39年

 これを執筆している現在では、更に詳細なデータが、『国有林森林鉄道全データ東北篇』(秋田魁新報発行)を利用できる。同書に掲載された土沢支線の消長は以下の通りだ。

・森吉林道土沢支線(森林鉄道2級)
 昭和5年度、森吉林道から分岐し、小又事業区5林班までの6674mを開設。
 昭和10年度、4林班までの1900mを延長開設。(8574m)
 昭和28年度、1856mを水没のため廃道。615mを延長開設。(7333m)
 昭和43年6月7日付けで、全線を車道に格下げ。

 上記の通り、土沢支線においても森吉ダム湖湛水にともなう路線の付け替えが行われているが、奥地は影響を受けていない。

 この土沢支線、先に探索した粒様支線とは、一つ尾根を隔てた隣の谷に並行するいわば兄弟のような関係だ。だが、廃止後の状況は大きく異なり、廃線跡へ近づく術が長時間かつ長距離の山歩き以外にない粒様分線に対し、土沢支線はその過半部が車道(林道)化しているため、車で廃線跡へ近づくことが出来るのである。

(ただしこれは平成24年の探索当時の事情であり、令和現在は林道が災害で寸断されて久しく、粒様分線よりはマシとはいえ、土沢支線も相当に長時間の廃道歩きをしなければ近づけない状況となっている)

◇土沢支線の探索計画

 上図は土沢周辺の最近の地形図である。全線7.3kmの土沢支線だが、本線との分岐地点からおおよそ0.3kmの地点にある土場(これは林道化後の状況で、林鉄現役当時もそうであったかは分からない)から先は、約4.2kmにわたって車道化し、土沢林道になっている。残念ながら、この区間に軌道の遺構はみられない。

 今回探索するのは、車道化を免れている4.2kmより先の奥地区間である。記録上、3.1km程度あると推測される。

現在の地形図では、いかなる道の表記もない山の中だが、等高線から読み取れる川沿いの地形には、それほど険しい印象はない。とはいえ、周囲の山が高くエスケープルートがとれそうにないことは、増水時のリスクを高めているし、そもそも探索の起点である4.2km地点へのアプローチには、下流側の最奥の集落から40km近くも山道(未舗装路を含む)を運転する必要があるなど、全く気軽に行く場所ではない。

 慎重を期すべき探索の時期は、藪の状態が落ち着いていて、川の水量が比較的少なく、アプローチの道路状況も比較的安定しているだろう晩秋を狙った。そして探索の参加メンバーだが、私と、ミリンダ細田氏、HAMAMI氏、柴犬氏、ちぃちゃん氏、ジョニー氏からなる秋田・岩手連合の総勢6名であった。

土沢奥地には、果たして何が待ち受けていたのか。それでは、本編をご覧頂こう。

次回より、本編開始!