『このレポートは、「日本の廃道」2013年7月号に掲載された「特濃廃道歩き 第40回 茂浦鉄道」を加筆修正したものです。当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。』

幻の大陸連絡港と運命を共にした、小さな未成線

 

所在地 青森県東津軽郡平内町

探索日 2010/6/6

 

 今回からは茂浦鉄道に関する机上調査の報告だが、その前に、探索の前に得ていた事前情報と、それを元におこなった現地調査の成果について、まとめておこう。

 

 

◆ 事前情報と現地調査のまとめ

 

 

茂浦鉄道は、かつて存在した茂浦鉄道株式会社が、陸奥湾に臨む夏泊半島の茂浦と、東北本線(現青い森鉄道)の西平内駅付近の間を結ぶべく明治末期に計画し、その後着工するも開業せず未完成に終った、私鉄未成線である。

 

探索前に得ていた情報は、青森県水産総合研究センター発行の「増養殖研究所だより第112号(平成20年6月発行)」に掲載された幻の茂浦鉄道という記事だった。

 

◇「幻の茂浦鉄道」の内容まとめ

 

  • 明治39年、茂浦鉄道株式会社は茂浦での築港と鉄道計画を策定し、(国の)許可を得た

 

  • 明治42~43年頃に本格的な工事が行われた

 

  • 計画概要:水産総合研究センター附近に築港工事を興し、そこから鉄道を敷設して、南方山麓から隧道を掘り、小豆沢に抜けて、東北本線と結ぶ

 

  • 着工から3年ほど経過すると、隧道工事も進み、茂浦から隧道に至る間の路盤は軌条を敷く段階まで進捗していた。築港も防波堤をなる石を海中に投げこむ作業が一部着工していた

 

  • しかし、着工から数年で、資金その他の関係で工事中止となった

 

  • 現存する遺構としては、垣合地内に鉄筋コンクリート製の「溝橋」が現存。その先、「小豆沢までのトンネル跡があるはず」とされるも、未確認

 

 

記事を読み終えた段階での主な不明点は……

 

〈探索前の主な不明点〉

 

  1. 全長、軌間、駅数などの路線データ

 

  1. 会社設立や建設の目的およびその背景

 

  • 工事中止の要因やその時期

 

  1. トンネル跡の現状

 

 続く現地調査では、西平内駅付近から、茂浦地区までの全線について、現存する工事跡の発見につとめた。

その結果、事前情報にあった溝橋が、茂浦沢を横断する地点に、巨大な未完成の築堤とともに発見されたほか、所在地・現状共に不明だった峠の隧道についても、

 

 

稜線の東西両側の相対する位置に、崩落によって自然に埋没した坑口跡地を強く疑わせる明瞭な凹地と、そこに連なる人工的な切り通しの地形が確認され、隧道の位置及び、その工事が具体的に進行していたことが窺い知れた。しかし残念ながら開口部は存在せず、内部の状況は不明に終わった。

 

 図は、事前情報により予測されていた路線の位置と、その周囲で実際に発見された線路跡(遺構)のまとめである。

 想定されていた路線の全長は約6.5kmだったが、具体的な遺構が発見されたのは、峠の隧道の東口から、茂浦沢の築堤および溝橋までの、約1.2kmであった。距離ベースで20%弱の土工完成度である。もっとも、このうち推定全長200mの峠の隧道の掘削が、どの程度進んでいたのか、貫通していたかどうかが不明であり、隧道がほとんど完成していなかったとすると、もう少し進捗度は低くなる。また、今回発見されなかった土工が現存している可能性は低いと考えているが、一度は作られたものが、後の圃場整備などで失われた可能性は否定できない。

 全体的に、峠の区間の茂浦側、おそらく全線で最も地形的に難工事となる山岳区間で先行して工事を進めたが、起点終点両側の平地に近い部分や集落の周辺では、工事は進んでいなかったように感じた。しかし、西平内駅付近での聞き取りでは、かつて土地の買収が行われたということが出ていたので、おそらく工事前の用地買収段階まで進んでいた区間は多かったものと思う。そうでなければ、山岳区間で本格的な着工をみることもなかったであろう。

 

 以上、ここまでのまとめでした。

 

 

 次回、本邦初公開(リライトによる新記事)となる、「茂浦鉄道株式会社設立趣意書」を紐解きます。ご期待下さい!