このレポートは、「日本の廃道」2010年5月号に掲載された「特濃廃道歩き 第27回 浪江森林鉄道 真草沢線」を加筆修正したものです。当記事は廃道探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。
林鉄界の秘宝! 幻の「三段インクライン」を解明せよ!
このレポートは、「日本の廃道」2010年5月号に掲載された「特濃廃道歩き 第27回 浪江森林鉄道 真草沢線」を加筆修正したものです。当記事は廃道探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。
『 導入 』
◇ 南東北最大規模の森林鉄道
浪江森林鉄道は、JR常磐線の浪江駅に隣接して設置されていた貯木場を起点に、高瀬川の渓谷をさかのぼり、葛尾(かつらお)村の中心地落合へと至る、おおよそ28kmの森林鉄道であった。機関車が導入され本格的な森林鉄道としてスタートしたのは大正14年頃で、阿武隈山地の豊富な森林資源の開発に活躍したが、木材の輸送手段がトラックへ切り替えられたことから、昭和35年までに全線が廃止されている。
「全国森林鉄道」より引用
浪江森林鉄道の本線は、大部分が高瀬川の本流に沿っていたが、そこへ南北の山から合流してくる多数の支流にも、支線を延ばしていた。そのため地図上に見る路線網は、まるで一つの水系のようである。
これらの支線はどれも比較的に小規模で、伐採事業の進展に伴って改廃が頻繁にあった。多くの支線の中でも、中丸木沢線は、最近まで原形を留めた木橋が多数残っていたことから、愛好者によって「木橋の楽園」と称されるほどの、個性的で魅力ある支線だった。
今回は浪江森林鉄道の数ある支線の中から、真草沢(まくさざわ)線を紹介したい。「全国森林鉄道」には、このような記述がある。
昭和に入って真草沢、夏湯沢、中丸木沢、家老川、焼築(やけちく)沢といった支流や沢に支線が敷設されている。畑川から出る真草沢支線には、戦前、三段を介するインクラインがあったという。戦後は、焼築と中丸木沢に100mほどの距離のインクラインが存在した。
(「全国森林鉄道」p.47より引用。太字は筆者による)
◇ 三段インクラインを有した真草沢線
昭和35年3月現在における「全国森林鉄道一覧」(「汽車・水車・渡し船」(橋本正夫)巻末資料)にこの路線は記載されておらず、戦前に建設されたものの、長くは続かなかったらしい。気になるのは、「真草沢支線には、戦前、三段を介するインクラインがあった」という記述である。これはもしや、「木橋の楽園」に比肩する、「インクラインの楽園」だったのではないか?!
■インクラインとは
インクライン(incline)は、斜降軌道や傾斜鉄道ともいい、高低差のある2地点間に敷かれた軌道上を、鋼索(ケーブル)によって原動機(制動機)と結ばれた車輌を走らせる装置である。いわゆる「ケーブルカー」である。一般に、旅客用のものをケーブルカー。林業、工業、鉱業、その他一般貨物運搬用など、産業用のものをインクラインと呼び分けるケースが多い。インクラインとケーブルカーは基本的構造が共通するが、インクラインは安全装置などがある程度まで省かれている。そして軽易に作設撤去が出来るようになっている。
■林業用インクラインの特徴
中でも林業用のインクラインは、伐採地の移動による改廃が多いため、特に簡易なものが用いられていた。そして、基本的に「下り車」が盈車(えいしゃ、木材を積載した車輌のこと)で重く、「上り車」は空車であることが多いため、両者をロープで結び、つるべ落としの原理を用いて動力を節約して上げ下げするものが多かった。
次回からいよいよ探索本編がスタートします! お楽しみに!