このレポートは、「日本の廃道」2010年2月号および4月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.26」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 山形県飯豊町〜小国町
探索日 平成21(2009)年5月11日(探索2日目)

6:40
落合口(旧国道分岐地点)

今日はここに車を停めて、自転車で出発することにした。今まで何度も来て、もう見慣れた場所だ。昨夜も通っている。しかしここが、三島道と、その次の世代の道の分岐地点であったとは、昨日までは全く考えないことであった。

ここを直進する道は旧国道で、さらに100mほど進むと右に旧々道(昨晩歩いて登った道)が分かれている。直進は旧国道であるだけでなく、明治26年に開通したとされる旧々道でもある。対してここを左折する道は、今回の探索で明らかになりつつある、旧々道よりもさらに古い「三島道」だった。

何気ない分岐が、ある気付きを境に途端に大きな意味を持つ。こういう体験は実は珍しくない。オブローディングのひとつの醍醐味だと思っている。

昨晩は真っ暗な中でどんなところとも知らないままに歩いた道を、明るい光を浴びながら、悠々とした気分で漕ぎ進む。峠へ向かって進んでいるが、分岐から先は微妙な下り坂になっている。一方、右に見える旧国道は登っていくので、どんどん落差が大きくなる。

さらに進むと森を抜け、左手に広い宇津川の谷の広がりを見渡せるようになった。昔は谷底の低地一帯が水田として利用されていたようだが、今は一面の枯れ野原だ。

そして谷の上流方向に「どでん」と連なる緑の山並みがある。さほど高くはないが、随所に茶白色の地肌を露出させた、侮りがたい険しい山だ。

昨晩、決死の気持ちで歩いた道が、この眺めの中にある。

茶白色の地肌が所々に露出した山々が、昨夜の現場だ。ここからだと、全く道のラインは見えないが、間違いなくあそこを通って下りてきた。そして途中で道を見失ってしまった。

今日は昨日の道ロストのリベンジをする。

6:44
「第一谷」横断地点

「第一谷」は、この目の前で道路を暗渠でくぐり宇津川へ注ぐ小さな沢の仮名だ。道は分岐からここまで緩やかに下ってきた。自転車でなくても意識せず通り過ぎてしまいそうな平凡なシーンだが、ここは重要だ。

なぜなら、大正3(1914)年の地形図に描かれている、「三島道」の名残とみられている行き止まりの里道は、この沢の袂で右へ折れ、峠へ向かって登っていくように描かれているのだ。

新旧地形図を比較すると、この通り。

旧地形図の道は、この谷を大きく上手へ迂回してから渡っていた。今ある道は真っ直ぐ渡っているので、明らかに線形が違っている。

では、その「三島道」との分岐は、判別できるだろうか?

「三島道」の始まりは、ちょうどこの写真の立ち位置から、右を向いた辺りじゃないかと思うわけだが…。

右向け、右!

うーーん…。

これは………、道といえば道っぽいけど、問題は谷のすぐ奥に見える大きな砂防ダムの存在だ。あのそう古くはなさそうな砂防ダムの建設のために、目の前の道らしいものは使われていたっぽいし、なにより、砂防ダムを乗り越えて進むのは面倒だ。

ここは一旦スルーして先へ進むことにした。首尾良く探索が進めば、砂防ダムの上からポンとここへ出ることになるかも知れない。

6:50
「第三谷」横断地点

「第一谷」から200mほどで小さな「第二谷」を暗渠で渡り、さらに200mで、写真の「第三谷」(谷名は全て仮称)に至る。旧国道との分岐地点から約900mの位置で、昨晩、死地より這々の体で転げ出てきた私が、この道へ辿り着いた、生還の記念地である。

そして、今日はここから昨日と逆ルートで山へ上り、明るさを武器に、昨日は見失った道の続きを見つけ出そうと思う。

入山前に、ここまで自転車で辿ってきた宇津川沿いの道の行方を、もう少しだけ追いかけてみたいと思った。地形図だと、このすぐ先で行き止まりのように描かれているが、意外にここまでの轍は太くしっかりしていた。もしかしたら地図にない道が、ずっと奥まで生きているのかもしれない。だとしたら、知っておきたい。自転車の機動力は、こういう寄り道を気軽にさせてくれる。

6:54
決壊地点と砂防ダム

「第三谷」から、さらに300mほど進むと、果たして「第四谷」が現れたのだが、道は途絶えていた。暗渠が崩れ落ちていたためである。

歩いて越える分には、進めないことはなさそうだが、車の轍もここで終わっていたので、撤収することにした。本題はここではない。

分断地点から宇津川の先を遠望すると、地形図に描かれている大きな砂防ダムが見えた。古い地形図にはないこの川べりの道は、当初は耕作に、後に砂防ダムの建設に用いられ、今は末端から役目を終えつつあるらしかった。 

「第四谷」より、宇津峠がある稜線を見上げた。まるで、一枚岩のスラブに、薄く緑のシートを貼り付けたような、貧弱な植生の山々だ。肥沃でないせいで高木が少ない。こういう景色は、山の向こう側の小国町や、福島県の只見地方、秋田県内陸の森吉一帯などでもよく見られる。これらの土地の共通点は、豪雪地で雪崩の多発地であるということだ。一目見ても道を維持するには不向きな地形だと分かるが、薩摩出身の三島は、その難しさを予期していただろうか。

昨日の私は、この眺めのどこかを、闇に追われながら、左から右へ横断しているはずだが、こうして見ても、道の形は見えない。積雪期ならば見えるかも知れないが。

さて、「第三谷」に戻って、予定通り入山しよう。

7:30
「第三谷」より入山

昨日は戦々恐々の気分で下った谷を、意気軒昂と登っていける、この幸せよ。これは生き抜いた者の特権だ。

問題は、これからうまい具合にルートを確保できるかだな。昨日、どんな場所で迷ったのかという記憶はあるが、何か目印を残してきたわけではない。

「第三谷」と勝手に命名した狭い沢を100~150m遡ると、谷が二手に分かれた。昨夜は右の谷から下ってきた憶えがある。

それにしても、谷に入ったところから私は大量のアブに絡まれて辟易している。清明集落跡にもいたが、遙かに上回る多さだ。刺してくる種類ではないので実害は少ないが、水面と勘違いするのか、眼球へ飛び込んでくるのがウザい。夜にはいなかったんだけどな。

右の谷へ入ると、さらに狭くなり、水もほとんど流れなくなった。昨日はここを下ってきた。木々の奥に見える白茶色の崖が、おそらく昨日の断念地点を包含していると思う。

アブの大群に辟易しつつ、進むほど急になる谷筋を登っていくと、沢筋に大量の倒木と枯れ草がダムのように詰まっている場面にぶつかり、容易に進めなくなった。そこで苦しくなって左の灌木の急斜面に取り付いた。

急斜面ではあるが、手掛かりとなる樹木が豊富にあり、登ることは難しくない。これを登っていけば、間違いなくどこかで、昨日踏破したルートと交差するはずだった。あとは、それに気付けるかだが…。

7:51

道らしき平場を発見!

三島道へのリベンジは、いつだ!