このレポートは、「日本の廃道」2005年9月号、10月号、11月号に掲載した「特濃!廃道あるき」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 岩手県八幡平市
探索日 平成17(2005)年7月24日

【探索スタート】

探索のスタート地点へ
2005年7月24日8:00頃

全体図

平成17(2005)年7月24日の朝、旧藤七車道攻略を目指す探索隊の一行3名(私、くじ氏、ふみやん氏)は、岩手郡松尾村の中心的集落柏台へ集合した。現在の八幡平市柏台である。既に何度も探索を一緒にしてきた3人なので、挨拶もそこそこに、すぐさま探索対象を目指して移動を開始した。

ちなみに当時の私は秋田市に住んでおり(これを執筆している2023年現在も秋田市に住んでいるが同じ家ではない)、そこから150km近く離れた集合場所までは、ふみやん氏が運転する車に便乗させてもらった。さらに余談だが、私が探索の足となる自動車と運転免許を手に入れたのはこの年の8月であり、周りの友人たちと比べてもずいぶん遅かったが、この頃まではどんなに遠くても自転車で行こうとするほど自転車(山チャリ)に熱中していたし、脚力にも自負があった。なつかしい。

おっと。個人的な昔話はこのくらいにして、肝心の廃道レポートである。今から18年も前の探索の様子をお伝えしよう。今まで再訪もしていないので、2023年の時点ではどのくらい変貌を遂げているか全く知らない。無責任なようだが、私にはそんな場所が無数にある。もし最近の状況をご存知の方がいたら、コメントで教えてくれると嬉しい。

A地点 旧藤七車道入口
8:24

入った直後は舗装されていた。
背後はこれから挑む八幡平の山々だ

松川扇状地の上端に位置する柏台は、松尾鉱山が栄えていた時代には屋敷台と呼ばれており(昭和39年に柏台へ改称)、巨大な鉱山に出入りするあらゆる人と物を掌握する交通の要衝だった。松尾鉱山を通らずに藤七温泉および八幡平の山頂を目指した古い登山道である「旧藤七車道」も、ここを起点にしていた。

歴史民俗資料館のそばにある目立たない十字路が、旧藤七車道を受け継いだ現代の道路の入口だ。特に行先を案内する標識などはない。標高おおよそ450mの柏台から、標高1300mを越える雲上の世界、藤七温泉を目指す長い旅が始まった。3名を乗せた2台の乗用車は軽快に出発。

B地点 旧藤七車道入口
8:36

序盤の快走ダート

柏台の入り口から藤七温泉まで約13kmの道のりである。このうち約6km地点の「白沢」までは最新の地形図にも軽車道として描かれているが、一般の車両が通れるか事前に調べが付かず、もし「通行止」のゲートが現れたらそこからは歩く覚悟だった。だが幸いゲートはなく、車のまま進むことができた。

入口近くは舗装されていたが、すぐ砂利道になった。整備状況は林道並みだが、轍はしっかりと付いていて、山菜採りや山仕事、渓流釣りに発電所取水口の管理など、まだまだ往来があることが伺えた。しかし、元は登山道に由来するこの道で、現在の交通至便となった八幡平に登山する人がどのくらいいるものか。探索前にネットを検索した限り、もはや皆無のように思われた。

C地点 三米
8:46

夏草で激しく道幅を圧迫された急坂の砂利道を、
我々の車は唸りを上げて登りつめた

入口から約4lkm進むと「三米坑」という場所を通過する。海抜約720mの地点である。特に路上から変わったものは見えないが、ここは松尾鉱山の疎水坑があったところだ。かつて地中に網の目のように張り巡らされていた坑道内から発生した強酸性の湧水を地上の中和工場に集めて処理した後、この坑道を通して北ノ又川へ放流していた。中和が不十分だった戦前には、酸性の水のため、ここから下流の北の又川は無論、その下流の松川も、さらにその親川である北上川の盛岡市辺りまでも、ほとんど魚が棲めなかったという。現在はそのような「死の川」の面影は全くなく、一帯は緑滴らんばかりの樹海に覆われている。

三枚坑の黒沢に架かる橋を渡る

三米坑のすぐ先に黒沢橋という小さな橋がある。今の橋は平成5年に完成したもので、旧藤七車道の時代には同じ場所に別の橋が架かっていたと思われるのだが、最近になって、八幡平市が公表しているこの橋の点検記録から、探索当時には分からなかったこの道路の現在の路線名が判明した。現在のこの道は、八幡平市が管理する市道藤七温泉線というらしい。(したがって私が探索した当時は松尾村の村道藤七温泉線だったと思われる)

私はこのことを知って興奮した。探索当時はただの林道だと思っていたが、実際は今なお市道――すなわち道路法の道路――として存続していたのだ。導入編で述べたとおり、かつてこの道路は、登山道の実態でありながら、県道大更停車場八幡平鹿湯線に認定されていた時代があるが、昭和45年のアスピーテライン開通によって県道を剥奪された後も、引き続き道路法の道路としては廃止されず、村道→市道と認定を受け続けていたのである。実際の道路の状況がどれほど落ちぶれようとも、この道は今も確かに、藤七温泉を目指すに相応しい名を持っている!

D地点 白沢分岐地点
9:09

白沢手前の広場に車を駐め、徒歩探索の準備をした

我々の車は、盛況な夏草に車体をなでられながら順調に前進し、入口から約6kmにある白沢を渡った直後、地形図にも描かれている分岐地点へ到達した。海抜は880mもある。車の外へ出てみるとほんのりと涼しい。

分岐は砂利の敷かれた広場になっており、主の見えない1台のワゴン車が停まっていた。左の道は下り坂で、県営北ノ又発電所の取水施設に通じているが、ゲートがあり一般車両は入れない。我々が進むべき旧藤七車道(市道藤七温泉線)は、ワゴン車のお尻の向こうにある右の道だった。

覗いてみると……

分岐から右の道を覗いたが、これはとても車は…

うん! これは、

「ジープ道」

だね!!

大人しく、ここから先は徒歩で探索しよう。乗用車はムリだ!

次回、いよいよ廃道化した区間の探索を開始!