このレポートは、「日本の廃道」2005年9月号、10月号、11月号に掲載した「特濃!廃道あるき」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。
所在地 岩手県八幡平市
探索日 平成17(2005)年7月24日
東北最高地点の温泉を目指した旧車道
岩手県道・秋田県道 大更八幡平線の県境にある見返峠は、海抜1514mで奥羽山脈を越える、東北地方有数の高い峠だ。この一帯を特徴付ける広大な火山性高山景観は、十和田八幡平国立公園の八幡平エリア核心部であり、毎年多くの観光客や登山者を迎え入れている。
見返峠の前後約47kmにも及ぶこの八幡平越えの山岳道路は、冒頭に紹介した県道の路線名よりも「八幡平アスピーテライン」という愛称の方がよく知られているだろう。中でも八幡平市の松尾鉱山跡から鹿角市蒸ノ湯まで約27kmの県境区間は、平成4年まで有料道路だった。この区間の開通は昭和45年のことである。
アスピーテライン開通の前年である昭和44年に松尾鉱山が閉山している。最盛期の昭和30年代には、海抜900mの高原に巨大な鉱山街を展開し、14000人近い人々が暮らし働いた東洋一の硫黄鉱山であった。だが硫黄を取り巻く急激な産業構造の変化に伴って回避不能となった閉山への対策として、鉱山周辺を拠点とした八幡平の観光開発が急がれ、そのメインルートであるアスピーテラインは自衛隊の力を借りて速成された。開通当初から県道だったが、路線名は今とは異なり、岩手県道・秋田県道 大更停車場八幡平鹿湯線と呼ばれていた。
実はこのアスピーテラインには、前身となった「旧道」と呼ぶべき道路が存在する。それこそが今回の探索対象である。
アスピーテラインの県境にある見返峠から分岐する岩手県道八幡平公園線を少しだけ下った海抜1400mの位置に、藤七温泉の一軒宿がある。東北地方では最も高所に位置する温泉施設として知られている。かつて藤七という木こりが発見したと伝えられるこの古い温泉は、アスピーテラインの開通によって山頂近くまで車で登れるようになるまで、八幡平の登頂を目指す多くの登山者が立ち寄る重要な登山基地であった。
八幡平におけるクラシカルな登山コースは、花輪線の大更駅から、松尾鉱山が経営していた松尾鉱業鉄道へ乗り換え、終点の東八幡平駅(旧称屋敷台駅、昭和47年に鉄道と共に廃止)で降りてから、北ノ又川に沿って伸びる延々14kmの登山道を歩いて藤七温泉へ登る(さらにそこから八幡平の頂上を目指す)ものだった。
昭和30年代の中頃に松尾鉱山から一気に八幡平主稜線上にある大黒森へ登る登山リフト(後に廃止)が整備され、これを利用する茶臼コースがメジャーとなるまでは、この屋敷台~藤七温泉コースの長い道が、長い間、八幡平登山のメインルートであった。
この地図は大正5年の地形図だ。「屋敷台」から「北ノ又川」に沿って「藤七温泉」まで赤色に着色した位置に、徒歩道を示す「小径」の記号が描かれている。これが今回探索するルートである。
そして、詳しい経緯は不明ながら、昭和30年代になると、この古い登山ルートは、「ジープ」のような自動車が通れる車道として整備されていたらしい。
昭和42年に出版された道路地図帳は、この登山道の位置に「ジープ道路」という独特の注記を行っている。この地図には当時建設中だったアスピーテラインの計画線や、廃止間際の松尾鉱業鉄道の姿も見ることが出来る。
現在「ジープ」といえば米国Stellantis North America社が商標を持つ自動車のブランドだが、もとはアメリカ陸軍が大戦中に大量投入した四輪駆動車の車種に由来しており、日本でも比較的近年まで強力な悪路走破性能を持つ四輪駆動車の代名詞であった。そして「ジープ道路」とは、普通の乗用車では通行が困難なほどのハードな悪路を指す一般名詞であった。
昭和36年に出版された登山ガイド書『十和田と八幡平(ブルーガイドブックス)』にも、当時この登山道をジープが通っていたことが、次のように書かれていた。
新緑と紅葉がすばらしい静かな沢沿いのコース。最近藤七温泉までジープ運行ができるようになったので利用者も増えてきた。松尾鉱山から茶臼を越える道ができなかった昔からのコース。 |
実際どの程度の頻度でジープのような自動車が通行していたかは情報が乏しく不明だが、藤七温泉まで車道が通じていたことは、当時の登山者によく知られていたようである。
名付けて“旧藤七車道”である。
また、この屋敷台~藤七温泉の車道化した登山コースは、県道でもあった。岩手県と秋田県が昭和34年に認定した、県道大更停車場八幡平鹿湯線という路線だった。
画像は昭和34年頃に秋田県が作成した県内の県道の位置を示した地図の一部だが、赤く着色した位置に県道 大更停車場八幡平鹿湯線が描かれている。当時は鹿湯と呼ばれていた現在の玉川温泉から、蒸ノ湯、八幡平山頂、藤七温泉を経由して大更駅へ達する、奥羽山脈を単独で横断する壮大なこの経路は、後のアスピーテラインの原点といえるが、当時の実態としては登山道を結んだだけの過酷な山道に過ぎなかった。
それだけに、昭和45年にアスピーテラインが開通すると、まもなく県道の経路はアスピーテライン経由へ変更され、藤七温泉を通ることはなくなった。路線名もその後数回の変更を受け、現在は冒頭に紹介した路線名となっている。
アスピーテラインの開通から15年以上が経過した昭和62年に発行された『ブルーガイドブックス』には、今回探索する道を指して、「アスピーテライン開通前までの自動車道、現在は車通行不可」の注意書きがある。思わずゾクッとくる注意書きだ。
まとめると、今回探索する旧車道は、県道 大更停車場八幡平鹿湯線の旧道であり、アスピーテラインの旧道でもある。壮大な山岳景観で全国的にも著名なアノ観光道路の旧道が、いったいどのような道であったのか、興味が湧いてこないだろうか。あるいは、ジープ道路という耳慣れない響きに、胸のときめきを感じないか。
私は興味津々だ!
次回、探索計画を発表します! |