東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた去年の秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

寺下観音への道

 寺下観音って仏教なのか神道なのかわからないと歩いているときは思っていたが、寺も観音様も仏教である。何を考えていたのだろう。勘違いしたまま、杉だろうか、針葉樹に囲まれた細い道を歩いていくと、一歩踏み出すたびにさくりさくりと音がなった。道に降り敷き積もった葉の音だ。針葉樹の林は暗い上に見通しが悪く、無性に不安に駆り立てられる。これはこの年のMCT全体がそうだったのだけれど、ところどころ昨年の台風の影響で道の脇が崩れたり、木の枝が折れたりしている。気を付けていれば問題なく歩けるけれど、この時はまだ慣れていないのもあって、びくびくしながら歩いたのを覚えている。そんなに長くない道のはずなのに、明るい場所に出るのはまだかまだかとやけに気が急いた。早く抜けてしまいたいけれど、ルートから少し外れて記載されている五重塔跡は気になる。ここだけ早足で寄ることにした。ルート上に記載されたスポットには他に灯明同跡もあったのだけれど、鳥居の先に見上げるほど急な階段があって上るのに抵抗があったのと、その入り口に立てかけてあった古びたトレッキングポールがなんだか不穏で、今回は遠慮させていただいた。しかし今の冷静になった頭で思えば、誰かが階段を上がるときにポールが邪魔になって、入り口に置いていただけだったのかもしれないな。
 五重塔跡は本ルートを少し脇に入ったところにあり、今はもう塔はなく、小さな空間に説明版が立てられているだけだ。説明書きを読み、しばし考え込む。こんなところに塔があったのか、しかもそこそこの大きさの…今はもうこんなに人っ気のない森の中に、かつて何人もの人間が資材を運び、塔を立てたという事実が不思議だった。法隆寺の五重塔のイメージが強いのか、塔と言えば開けた人の多いところにあるものだと思っていたからなおさら。この党が建立された当時はもっと開けた場所だったのだろうか?
 それと詳しくは覚えていないのだけれど、その近くに庵の跡地もあった気がする。確かこの五重塔の建造に関わった人…この庵跡は他のところより少しくぼんでいて、暗い林の中でも光が差し込んで明るかった。不自然に空いたスペースと史跡を示す柱を見つめながら、かつてここに暮らした彼に思いを馳せる。一人この森の中で庵を結び、動物だってたくさんいただろう、そんな中夜を明かして、朝になったら水を汲み、野菜を食べ、瞑想し、歩き、また床に就く…まず出た感想は、勇気があるなぁ、だった。私だったらこんな森の中一人で寝るのは心細いと思うし、動物だって怖い。すごいなぁ。でもきっとそれは、今まで都会に住み、毎日温かいご飯と堅牢な住居に住んできた、という今の時代と私の育った環境の影響も大きいのだろうと思う。彼は何を考えたのだろう。私が今立っているこの場所で、同じように自分の庵を見下ろしたこともあったのだろうか。時と共に変わっていった社会と人、同じ姿で、それでも変わりながら回ってきた森、道はそれらを縦に、横に、縫い合わせる糸のようだと思った。

 そうそう、この道で私は二度目のマジックを見つけたのだ。道の真ん中に、木の枝でMの字が作られていた。MTCのMだろうか。このマジックを次の人にも体験してほしくて、早くこの暗くて怖い森を出たいという気持ちを抑え、落ちていた枝でCとTを作っておいてきた。トレイルマジックの定義はそんなに詳しく知らないけれど、まだそんなに知名度の高くないこの道で、誰かが誰かに向けて、見る人がいるかも定かではない中サプライズを仕掛けてくれた。それだけで、十分うれしいものである。

海へ

 光が見えて、道が開けた。寺下観音に着いたようだ。山からの清流が集まって道の脇に流れていて、龍神さまをはじめ、色々な神様の名前が書かれた札が各所各所に立ててあった。川には龍神が住む、川の神様は龍であるなど何となくの知識はあったけれど、確かにじっと目を凝らしていると川の流れに龍の姿が見えるような気がした。水飛沫の髭が舞い、光の反射できらめく鱗をちらつかせながら胴体であるあおい清流が流れていく。私たちを囲むようにかぶさる木々の、碧緑色をした天蓋の下。勢いよく泳ぐ神様が、いた。

 寺下観音の本堂は階段の上にあって、さすがにここは行っておきたいと思って階段を上る。荷物が重い。登り切ってぐるりと辺りを見回すと、四方が小さな仏像に囲まれていた。木に囲まれ、灰色に緑がかかったような空気が心地よい。挨拶と旅の安全祈願を済ませるとおみくじがあるのに気が付いて、せっかくだからと引いたら大吉だった。
 まだまだ旅はこれからである。幸先のいいおみくじに嬉しくなりながら、階段を下った。

 そこからすぐそばのところに茶屋、東門がある。事前に調べてみたところその日はちゃんと営業しているようだったので、ここで昼食をとる。他に人が入っている様子もなく、若干一人では入りづらかったけれど、食糧計画的にここで食べておかないとお昼を食べ過ごしてしまう。勇気を出し、足を踏み入れた。つくづく、旅はこういうところがいいなあと思う。常に非日常で同じところに留まることがないからこそ思いきれることって、結構あるのだ。扉を開けると入口のところで靴を脱ぐようになっていて、歩き始めてからずっと同じ靴下だから少し躊躇しながらも靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて奥の扉を開けた。中は全体的に暗く、クラシックな感じ。楽器が置いてあったりもして、そういえばホームページを見たときミニライブをすることもあると書いてあったのを思い出す。テーブル席に通され、うどんを注文する。新そばの季節だったけれど、うどんの気分だったのだ。店内には私と店員さんだけ。注文を取ってもらう間、何か話したほうがいいのかという気持ちと、登山で疲れ人と話す気力が残っていない現実が頭の中でせめぎあう。答えが出る前に注文は済み、店員さんはいなくなってしまった。チャンスの神様は前髪しか生えていない、前髪をつかみ損ねたら、後ろは禿げていてもう掴みようがないのだ…小学校の時の校長の話を、こんな時に思い出す。少しの後悔はあれ、話さなくていいという安心感にやっと息を大きく吐けた。マスク越しだけどね。結局店員さんがうどんを持ってきてくれた時に話しかけてきてくれて、トレイルを歩いていること、今日はどこから歩いてきてどこまで行く予定か、など話すことができた。別の神様が来てくれたみたいだ。
 食事を終えたら今の時刻と種市までの距離、どこで補給をするかなどを確認して、1時間ほどで店を出た。その日初めて感じたはっきりとした人間の社会生活の気配に安心して、元気をもらってまた歩き始めた。

 しばらく歩くと、小さな集落に出る。ルート上にあるという大銀杏の木には行かなかった。迂回ルートを通ったから、気づかず通り過ぎてしまったのかもしれない。地図を見ると本ルートと違う道に鉛筆で矢印が引いてあったから、きっとそうだったのだろう。迂回ルートを行っても少し戻れば銀杏の木を見に行けたのだけれど、時間的にわざわざ道を戻って木を見る余裕がなかったのだと思う。それからまた何回か集落を通って、JR八戸線をまたぐと漁港に出た。海岸線と垂直に内陸へ入り込んだ道が、ようやく海に戻ってきたのだ。左を見ると、昨日右へ曲がったときに見た看板が見える。本当に、そのまままっすぐ行けば十分程度で着くところを、一日以上かけて回り道してきたのだ…こんなに時間が経って、こんなに長い距離歩いてきたのにほぼ同じところに戻ってきているのが不思議で、同時になんだか安心した。たくさん歩いて、結果直線距離でちょっとしか進んでなくても、それでもいいんだよと言ってもらえた気がしたから。

線路