このレポートは、「日本の廃道」2012年8月号および2013年4月号ならびに5月号に掲載した「特濃!廃道あるき 駒止峠 明治車道」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 福島県南会津町
探索日 平成21(2009)年6月26日

2009年6月26日 13:32
オート三輪の廃車体

森の廃道に取り残された、オート三輪自動車の廃車体を発見した! 私はオート三輪が実際に走っている光景を見た記憶はないものの、これまでオブローダーとして古い交通の資料を好き好んで沢山見てきたせいで、そういうものがあったことは知っていた。とはいえ、私の専門は道であり、道の上で活躍する車輌については門外漢である。気が利いた解説は出来ない。ただ、凄いものを見つけてしまったということは分かった。

初めて目にするオート三輪は、小さいようで、大きいような、不思議な車という変な感想を持った。これはたぶん、「二輪車(バイク)よりは大きいが、四輪車(クルマ)よりは小さいな」という、同じ自動車というカテゴリに含まれる二輪と四輪の中間体である三輪車に対する、なんとも無邪気な感想だった。あと、新幹線みたいな流線型の車体が格好いいとも思った。

改めて、駒止峠の旧旧道であるこの路上に前時代の遺物であるオート三輪が残されていた理由を考えてみると、この種の車がまだ多く現役だった昭和40年代くらいまでは、林道のように使われていたのだと思う。オート三輪車は乗用車としてよりも貨物車としての活用が多く、かつ三輪の構造は、四輪のトラックより路面の不良に強いため、不整地の多い林業の場面では市街地よりも遅くまで利用されていたといわれる。今でも大型の三輪トラックは岩手県などで少数ながら現役で活躍している。

ここに車が放置された理由は分からないが、おそらくここが麓側から自動車で登ってこられる末端付近だったのだろう。ちょうど現在の地形図にも破線で描かれている部分が、一昔前までは林道として現役だったのではないだろうか。峠越えとしての全体の利用はとうに跡絶えていたはずだ。

車体の各部を撮影してきた。私の知識ではあまり込み入った説明は出来ないし、誤りもあるかも知れない。詳しい方のコメントもお待ちしている。

車体前部の左側面に、「Daihatsu」(ダイハツ)のロゴがあった。同社は東洋工業(現マツダ)と共にオート三輪界を引っ張る二大巨頭だった。最終的に昭和47年までは新車の製造を続けていたようだ。

現代の車と同じく後ろに向かって開くタイプのドアから車内を覗く。車の右側面や、荷台部分は、長年の豪雪に押しつぶされていて、ほとんど原型をとどめていない。運転席も大破しており、ほとんどオープンカー状態だが、その割に正面から見た時の全体のシルエットは健在なのがラッキーだったし、嬉しい。オート三輪の外観は、ネットでも簡単に見られるが、内部となると遙かに情報量が少ない。もっとたくさん撮影してくれば良かった。

運転席だった位置からボンネットを撮影。なぜかハンドルが見あたらない。腰掛ける椅子は、バイクのようなサドルタイプではなく、2人掛けのシートタイプだった。このことからも、オート三輪としては比較的後期に当たる最も普及した形式だと思われる。

左のドアをよく見ると、白いペンキで文字が描かれていた形跡があった。下は枠の中に「自家用」か。上は大きな文字で「南会津郡○○(二文字)村」のようである。現在でも貨物自動車に事業者名が書かれているのはよく見るが、ドアいっぱいくらいの大きな文字でその所在地が書かれているというのは、昔の文化なんだろうな…。自動車が村全体でも数台しかなかったような時代を彷彿とさせた。

これは荷台部分だが、ほとんどもう土に還ってしまっている。よく見ると荷台の床材は木材で、土に還るのも早いだろうなと妙に納得した。

後方より車体と道全体を撮影。本当に何気なくある。後ろからだと三輪車だとは分からない。私が前側からこの車に出会ったのは、より幸運だったといえる。

廃道探索における至福の場面はいくつかあるが、最後の踏破の瞬間と、未知のものとの遭遇というのは、その代表だ。ここまで峠からずっと苦しい展開だったが、逆転満塁ホームランの大発見だった。本当に涙が出るほど報われた気持ちになった!!!

離れがたい歓びの地に別れを告げ、“もう一つの至福”を目指した下山を再開する。

写真は廃車体の現場から100mほど進んだ所の小さな沢だ。旧版地形図ではこの位置に水準点(標高835m)が描かれているのだが、見あたらなかった。

前回、読者の皆さまから多数のコメントをいただきました!

前回(第15回)の公開後は、ふだん以上にたくさんのコメントをいただきました。全てはオート三輪発見の成せるわざ! しかも前回公開の少ない写真から、車種を「ダイハツが製造した三輪トラック」と言い当てたものが多くあり驚きました。
コメントにお知恵をいただき、改めて今回の廃車体の正体を述べるとすれば、昭和37(1962)年頃にダイハツが製造したオート三輪であり、当時は積載量の違いでPL型(1トン積)、CF型(1.25トン積)、CM型(1.5トン積)があったようですが、荷台が短い感じなので、今回のはPL型ではないでしょうか。
みなさま、本当にコメントありがとうございました!
次回、この道の象徴的と思える風景と遭遇、再び歓喜の叫びが森に木霊する?!