このレポートは、「日本の廃道」2010年2月号および4月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.26」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 山形県飯豊町〜小国町
探索日 平成21(2009)年5月10日

20:33
宇津川沿いの林道へ脱出成功

宇津川沿いにある名の知れぬ道、おそらく林道であろうその道は、未舗装の砂利道で、幸いにして廃道ではなかった。しかし麓の落合集落からはまだ遠く、こんな時間であれば当然、漆黒と静寂に包まれていた。

私はもうヘトヘトだったが、この場所にとどまる選択肢はない。そして、最寄りの人里である落合集落へこのまま下りる選択肢もまた、なかった。宿泊施設なんてあるはずもない集落で、民家へ宿を求めでもしたら、本当に遭難者じゃないか。

ここから「自力下山」を達成するためには、せっかく脱出できた宇津峠へ「戻る」必要がある。峠の近くに残してきた自動車と自転車を回収してこそ、車中泊という名の宿を手に入れられるし、次に進むことが出来るのだ。

とりあえず、この場所から、見知った最寄りの地点である旧国道までの距離は、地図読みで約900mだ。まずは林道らしきこの道を歩いて、旧国道を目指すぞ。

疲れた足に喝を入れ、黙々と歩いた。川沿いの道を下流へ向かっているのだが、ほとんど下りの勾配は感じない。歩きながら、2時間前に山中で見失ったきりの「三島道」の続きが、どこかで下りてきて、この川沿いの道に合流していないかを探したが、夜の闇は深く、あるともないとも、判断は出来なかった。

20:50
旧国道との合流地点

15分ばかり歩くと、ほっとするような舗装路に突き当たった。何度も通ったことがある旧国道だ。今回の探索の衝撃的な発端となった案内板のすぐ近くでもある。以前、旧道を探索したとき、ここに分岐があること自体は知っていたが、ただの行き止まりの林道だと気に留めておらず、歩く日が来るとは思っていなかった。

それにしても、2時間前に私の前から忽然と消えたあの三島通庸の廃道はどこへ行ったのだろう……。が、この続きはまた次だ。今は、無計画に散らばってしまった“私の道具たち”を回収する事が重要である。自動車は拠点、自転車は足だ。どちらも必需だ。

改めて地図上で状況を確認する。まず自動車は、宇津峠頂上から少しだけ小国側へ下りた分岐地点に、自転車は、清明集落跡に残してきた。まず車へ行きたいが、そのためのルートは二つ考えられた。

ひとつは旧々道の峠越え、もうひとつは、旧道の「宇津トンネル」で小国側へ抜けてから、小国側より旧旧道を登ることだ。

前者が近く、行程は2.2kmほどだが、平成16年に探索(「山さ行がねが」のレポート)したときには、所々藪が濃い廃道状態だった。ようやく危険な廃道を抜け出してきたのに、近道のために、また(識っている道とはいえ)廃道へ戻るのかという不安があった。一方の旧宇津トンネル経由ルートは遠回りで、3.4kmほど歩かねばならない。しかし小国側の旧国道は、今日の夕方に車で走ったばかりの道であり、夜歩くのも不安はない。でも、疲れた足で1km以上多く歩くことは面倒だと思った。

どちらにしようかと悩みながら、とりあえずどちらに行くにしても目の前の分岐は左折であると断じると、私は再び麓へ背を向け、乾いた旧国道を登り始めたのだった。

20:52
旧々道の落合口

わずか100mほどで、また見覚えのある分岐が現われた。ここを右へ行くと、宇津峠に通じる旧々道である。

旧々道を歩き通したのは5年前だが、実は2年前にも峠寄りの数百メートルだけを歩いている(「熱中時間」というテレビ番組の取材に応じたときの出来事で、「これ(旧々道)が三島の道だ」と自慢げに宣言してしまった、いま思えば痛恨の場面を生んでいる…)。その時は全線を歩いていないが、案内板が設置されたりした影響なのか、5年前よりはだいぶ手入れされていたことを思い出す。ならばと、今回もこの旧々道に先を託すことにした。多少廃道があっても、早く休息を取りたい私には、道が近いことが正義だと思った。

5年ぶりの旧々道を歩行する。夜歩くのはもちろん初めてだ。最初のうちは無理矢理車が入り込んだような轍があったが、やがて藪道となり、期待していたほどは整備されていなかった。総じて、勾配の緩やかな登山道といった感じの道だった。それでもヘッドライトがあれば道を見失う不安はなかった。

ずっと体力を回復する機会がないので疲れっぱなしだが、こうなってからも長時間歩けるのは、もしかしたら私の小さな特技なのか、単にそうするしかないからしているだけのことなのか、他人と比較ができないから分からない。

2年前に私がテレビカメラを前に大ボラを吹いてしまった九十九折りの少し手前に、たくさんの防雪柵が置かれている場所がある。これは旧々道ではなく、ずっと下にある旧道を守っていた施設である。日中にここまで来ると、峠の鞍部が間近に見上げられるのだが、今はその代わりに――

――驚くほど明るい月が、峠へ沈む最中であった。この情景を、まるで私を導くようだなどと恥ずかしげもなく思ってしまうのは、こんな時間まで探索を続けた私の生還を前にした高揚感がなせるわざであり、それこそがソロ探索の気ままな醍醐味でもあった。ここに至ってなお、誰かの足を引っ張ることをせずに済んでいるのだから、ソロは本当にいい。

私はもう峠直前の九十九折りへ達している。ここは米沢盆地の眺めがいいところで、今は控えめな街の明かりが空を染めていた。

この九十九折りはなぁ……。「これこそが三島が作った馬車道だ!」と疑っていなかった、あの日の自分を笑ってやる。夕方の出発以降、はじめて頬を緩めたはずだ。

この探索は控えめに言っても失敗だったが、どうやら生還という美酒に酔うことは許容されるらしい。しかも久々に刺激的な一杯になりそうだ。(私の場合、気を許せるのは酒じゃなく、よく冷えた炭酸飲料だけどな…笑)

21:41
宇津峠頂上

これまで何度も、三島を想いながら、歩いた峠の堀割だ。ここが三島の道ではなかったと分かった今も、峠の有り難みが薄れたわけではない。相変わらず宇津峠の旧々道は、メリハリが効いていて、私の大好きな明治の峠道である。疲れきった足でも50分で登らせてくれた。車道としても歩道としても、良いバランスだと思う。

対して、私が敗北を演じた「三島道」のなんと、“のんべんだらり”と山腹を冗長に歩まされたことか!あんな道では、たちまち雪崩にやられてしまって、二冬と使い物にはなるまい。そんなことは素人の目にも明らかだった。愚かなり、雪の降らない薩摩の三島。……なんて毒づきながら、峠を越えた。安堵の笑みで。

21:45
「三島道」分岐地点

車があった!

この場所から、随分と軽い気持ちで自転車を漕ぎ出したのが、午後4時半。現在の時刻は、午後9時45分。なんだかんだ言いながら、5時間を越す山歩きとなってしまった。しかも、目的を完遂せずの途中退場だった。侮り難し宇津の山。

腰袋から車のキーを出して…、カチャリンコ。

うふふふふ

全身がひどく弛緩し、このままシートを倒して寝てしまいそうだったが、実は夕飯を食らってないし、チャリもまだ山の中だ。もう一頑張りだ。車のエンジンを始動させて、5時間前の自転車の走りをなぞるように車を走らせる。

21:54
「三島道」分岐地点

標柱がある「三島新道堀割」の前に車を停めて、もう一度、棒のように重い足に鞭を入れた。さすがに車で掘り割りへは入れない。夜で風が止んだ堀割を徒歩で抜け、右へ曲がり、何度か枝を払ってかいくぐり、そうして…

2159

自転車もあった!!

自転車を車へ連れ戻し、すぐさま車を出発させる。峠を下って、最寄りのコンビニの駐車場に「チェックイン」。記憶にない何かを食べて、身体も拭かず、23時過ぎに眠りに落ちた。

生還。

三島道へのリベンジは、いつだ!