東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた2020年秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。
トイレ
アラームの音で目が覚める。トイレに行きたい。私は朝起きたらまずトイレに行きたい人なのだ。そうだ、そういえばここのトイレは使えないんだった。だんだん意識が覚醒してくる。駅に行かなければ!
荷物をまとめないと、と頭の片隅で声が聞こえたけれど、当然そんな余裕もない。別に誰も取りやしないよとスマホと財布だけ持って早足で野営場を出る。もう歩き出しからぎりぎりである。寸前である。朝起きてすぐそばにトイレがある「当たり前」が、いかにありがたいことなのかこれほど痛感した時はない。舗装路は普通に歩いて1時間3km、駅まで約1kmだから3分の1で20分、早足で歩いているから15分もあればつくだろうなどと計算しながら、必死に意識を逸らすことに注力する。昨日歩いた線路下、坂を上って西行屋敷跡には目もくれず、ああ朝焼けがきれいだなあと思うも写真にも記憶にも焼き付けることは叶わない。緩い勾配を上がって右手に見える野田玉川駅に必死にトイレを探し、仮設のそれを見つけて駆け込んだ。間一髪である。当たり前とはいつかの誰かが必死になって手に入れ、保ってきた宝だということ、そして人はそれがなくなってはじめてそのありがたさを痛感するということは、言われるだけじゃなかなかわからない。
朝
トイレからの帰り道、さっきより日が高くなり、海の上では朝焼けが終わりを迎えようとしていた。朝日というのは足が速い。もう余裕ですよ、という気持ちから2枚ほど写真を撮って進む。野営場に帰ったら軽食を食べて、いつもよりゆっくりと荷造りをした。昨日意図せず早めに進むことができた分、今日は多少ゆっくりできるのだ。テントを畳み終えたくらいのところで、犬の散歩に来たおじさんと会った。がんばってね、と応援の声をもらい、野営場を後にして昨日は余裕がなくて見られなかった海の方へ降りていく。人の声というのは一言だけでも心強いものだ。
降りてきたところには結構いろんなものが流れ着いていて、少しこわい。私が今まで行ってきた海は大体海水浴に使われるような砂浜が広がる海で、自分以外の誰かが一緒にいた。こうやっておおぶりな砂利の上にゴロゴロと皮をはがれた流木が打ち上げられているような海に一人で立つのは、自分もこの流木たちと同じだと言われているようで、もしここで私がいなくなっても誰も気づかないんだという実感に心もとなく不安になる。堤防の上を歩くこともできたのだけれど、折角だから海岸線を歩きたいと思って浜辺に降りた。定規でまっすぐ線を引いたような何も遮るもののない水平線と、打ち寄せる波の不規則な曲線を眺めながら進んでいく。砂利の浜は海と色が似ているから、砂浜との強烈なコントラストが想起される、あの夏の風物詩としての姿ともまた少し表情が違う気がする。粒の荒い浜辺をざんざんと歩いていると、ふと行き止まりに突き当たった。ルートはここのあたりで右に折れるようになっているのになぜだろう。この時私の右側は堤防、左側は海で塞がれていて、もう少し先に道があるのかもと壁になっている崖の向こうを覗いたけれど、向こうは断崖絶壁、歩けるようなスペースはない。でもここに降りてくる道は一本しかなかったはず、とだんだん焦りだしてくる頭は、堤防をよじ登るという解答をはじき出した。引き返してさっき浜に降りてくるときに使った道から戻ればいいものを、時間を惜しみ(寝場所に辿り着く前に暗くなるのが怖かったのだ)、テトラポットを足場にしたんだったか、そのままなんとか三点確保を駆使して這い上がった。最後の最後で堤防に乗り上げた時、手のひらが擦れて痛かったなあ。登り切って安心し来た方を振り返ると、少し戻ったところにちゃんと浜から上に登る階段がついていた。どうやら、ずっと海のほうを見ていたから階段の存在に気が付かなかったようだ。もう少し周りに注意を向けていれば、そもそもわざわざ浜に降りていこうなど思わなければこんな大変な思いしなくて済んだのに、とほんのちょっぴり後悔しながら、痛む手のひらをぶら下げて、国道に向かって坂を上っていったのだった。
寝場所
林道、舗装路と歩き続け、ぽっと開けたところに、国民宿舎えぼし荘がある。予約はしていないから泊まれない。近くにデータブックで「広場」と記載された場所があったので、そこでテントを張れないかと登ってみた。確かに広場と言っていいほどの十分なスペースがあり、ペグもしっかり刺さる。道路から遠い方に張れば下からは見えないし、今日の宿はここで大丈夫そうだ。テントを張って、今日はゆっくりえぼし荘で温泉に入ったりして過ごそうかと思っていたところ、視界の端に網のようなものが見えた。なんだろうと寄ってみると、農作業の形跡がある。なるほど、なんでこんな所に都合よく開けた平らな場所があるのだろうと思ってはいたけれど、ここは畑として使われていたのだな。しかしそうなると気になることがある。ここはまだだれかが所有している場所なのではないかということだ。しかもあまり草が伸び切っていないところを見ると、定期的に草刈りなどの手入れもされていることが予想される。そんなところに勝手にテントを張って、万が一鉢合わせてしまったら…と思うと、なかなかここも良いテント場とはいかなさそうだ。下ろしていた荷物をまとめ、ここから少し行ったところにあるらしい商店で話を聞いてみようとその場を離れた。
遊歩道を下り、道路に出たはいいものの少し困ったことが起きた。この遊歩道、かなりの急坂だったのだ。地図上でも等高線がギュッと詰まっていたから傾斜がキツいことは予想できていたけれど、それ以上だった。たとえ先程いたところにテントを張っていいとわかっても、この坂をまた上るのはあまり気乗りしない。だって降りるだけでも大変だったんだもの。まあどこで泊まるか問題は置いておいて、とりあえず話を聞くため店に向かった。
お店は家の端にちょこんとついていて、明かりはついていなかった。けれどこのあたりでテントを張れる場所を聞いておかないといけない。開店はしているらしいお店の中に入り、用があったら押してくれと置いてあったベルを鳴らす。すると、ご自宅の方からだろう、はーいと声が聞こえておばあさんが出てきてくれた。インスタントのきつねうどんを1つ買って、事情を話してこのあたりでテントが張れそうな場所ってありますか?と聞いてみる。一応さっきの広場のことも聞いてみて、そこも大丈夫だろうとのことだった。けれど、この先だったら普代の方にあるんじゃないかしらと教えてもらったので、せっかくなら先に進もうとお店を後にした。海に向かって歩いていき、川に架かる橋を渡る。このあたりはまだ大きな工事が続いていて、さっきのお店がついたお家も新しく立て直されたもののようだった。
まついそ公園という、整備の行き届いた海のすぐそばの小さな公園でお昼ご飯にする。幅は狭いものの芝生もあって、ここでならテントが張れるかもしれないと東屋の下で菓子パンを食べながら考える。昼食を取り終え、ジップロックとビニール袋で二重にしたゴミ袋にゴミをしまう。いっぱいになってきた袋をギュギュっと押して空気を抜き、できるだけ小さくしてバックパックの脇ポケットに挟んだら、荷物を東屋に置きペグが刺さるか試してみた。土の層が薄いのか、イマイチうまく刺さってくれない。トイレもあってきれいとはいえ、こんなに海の近くでテントを張るのも落ち着かないだろうし、まだまだ日も高い。わざわざここで無理してテントを張らなくてもいいかと、結局テント場は決まらないまま公園を出発したのだった。
データブック上にはこの先何度か広場の表記があったからそのどれかに泊まれるだろうと、行けるところまで歩こうと決める。トレイルの道標を頼りにこんなところを?と疑うような細い道に降りて行ったり、車にはねられたであろうタヌキの死骸を見かけたりしながら舗装路を歩いていく。
ここら辺の記憶はあいまいで、きっとトレイルを歩いている間に何度も同じようなことがあったからだと思う。そして今こうして書いている間にも、着々と細部を忘れていっているとわかるのが少し寂しい。けれど、それでもいいかと思うようにしている。普段は記憶の引き出しの奥にひっそりと詰め込まれてしまったこういう感覚こそ、もう一度同じところを歩いたとき、より強烈に、懐かしい匂いを放ちながら色を取り戻してくれる気がするからだ。何度も思い出し人に語った記憶はいつの間にか「お話」になっていくけれど、普段思い出せないような、ずっと外の空気に触れていなかった記憶たちが久しぶりに意識に上がってきたとき、それは鮮烈に、リアルな感覚として体に浮かび上がってくるのではないだろうか。