東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた2020年秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

旅路後半

 野田村の道の駅を出た後にある十府ヶ浦公園が、少し印象に残っている。
 私が歩いている間使っていたみちのくトレイルクラブ発行のマップブック(※)では、道が種類によって5色に分けられている。オレンジ色の太線が歩道を含む舗装路、細線が未舗装路や林道で、緑色の太線が舗装してある遊歩道、細い方が自然歩道や登山道だ。濃い灰色がサイクリングロードで、これは全線でも後半のほうに少しあるくらい。十府ヶ浦公園は太い緑が通っていた。
 ここに来るまでに私が歩いてきた「緑色の道」はほとんどが未舗装の自然歩道で、太線は初日に歩いた八戸区間だけだったから、私はこの公園も森の中の道だと思い込んでいたのだ。なんだかんだ言っても、この時の私はまだ山歩きや森歩きに関しては入部したての一年生。一人で森に入るのだというそれなりの覚悟と緊張感を丹田に込めて向かってみたら、鬱蒼とした無人の森は、なんとも見通しの良い、舗装されたまっすぐな道だった。あれっという拍子抜けしたような安心感が、なんてことないことなのだけれど、妙にしっかりと感覚に残っている。

十府ヶ浦公園

 公園を抜けひたすら車道を歩いていた辺りだったと思うのだけど、道がどかーんとショベルカーに塞がれていたことがあった。ホームページの注意情報にも載っていない不測の事態で、でもここで引き返すわけにもいかない。どうにか通らせてもらえないかと、作業員さんにすみませーん、と声をかけてみた。しかし、工事の音で全く声が通らない。すみませーん!とボリュームを上げて叫ぶと、あれ?と顔を上げてくれた。作業を中断させてしまったことに恐縮しつつ、今みちのく潮風トレイルという道を歩いていて、ここを通らせていただきたいんですけど、と事情を話すと、女の子一人で?歩いてるの?と驚きながらも、そういうことなら、とショベルカーのキャタピラの上を歩いて通らせてくれた。お礼を言って、先に進んだ。
 世の中、何とかしようとすれば何とかなることがあるらしいということを、このときはじめて知った。

玉川

 野田玉川の駅を通り過ぎ、道路の下を通る短いトンネルのような道を通る。暗くて水が溜まっていて、周りの壁から足音が反響してきて少し不気味だった。こういうところで怪談は起こるのだと少し早足で通り過ぎると、もう閉じてしまったらしい民宿の、看板だけ残っているのを見つける。ああここがまだあったら泊まっていくのにと、薄く不安で膜を張られた心がちょっと泣き言を漏らした。
 坂がだんだん低くなっていき、数分後、左手に海が開ける。日が沈む前の、空も海も青い、太陽の光だけが夕暮れの兆しを含んでいるあの時間。日が傾いていく焦りと、このまま日が暮れていく様を足を止めて見ていたいという気持ちがないまぜになるあの時間は、歩いている間何度もであったからだろうか、今でも体に沁みて覚えている。
 坂を上ると西屋屋敷跡があって、そばには神社も建てられていた。お参りをして、階段を降り、ぐるっと周りを見渡してみる。説明書きによるとあの有名な歌人、西行法師が景色に魅せられしばらく庵を結んだ地なのだそうだ。木々に囲まれながらも重さを感じないくらいの広さがあり、木々の間から海も見える。彼が住んでいた時も、きっと気持ちのいい場所だったのだろう。とはいえ昔は今よりよっぽど長距離の移動が大変だったろうに、有名な歌枕とはいえよく関西圏からここまで来て、美しいところだ、よしここに庵を結ぼうなどと思ったものだ。フットワークが軽いというか、昔の人は今よりしがらみが少なかったのだろうか。出家していたのだからそもそもしがらみなんてないか。それにしても法律やその地域のコミュニティとかあるだろうに…など、つい色々と考えてしまう。自分が生きていなかった時代のことを考えると、イメージが先行してしまってその実態をうまく想像できないということがよくある。庵を結ぶ人が身近にいない私は、それがどんなことなのか、どうやって命をつないでいたのか理解できない。加えて私の頭の中では、昔の人のイメージにどうしてもあの大和絵が張り付いてしまっていて、立体で生活している像が結びづらいのだ。衣服や調度品、家など、現在でもその形がリアルに存在している物たちは何とか配置できるのだけれど、人に関してはどうしても、その背中まではなんとか立体になっても、振り向いた顔がのっぺりと麻呂に覆われているのだ。だから今確かに存在する西行が住んでいたこの小高い丘と、絵の中の二次元的な姿がくっついてくれない。でもそのミスマッチな信じられなさが、時空を超えて存在するもののロマンなのかもしれない。

玉川の海

玉川野営場

 玉川野営場には一回坂を下りてまた登らなくてはいけない。一箇所、地図上でもわかるほど鋭角に折れたルートがあるのだけれど、その角にあったトレイルの標識には助けられた。その先も結構急な坂で、上からのぞいたとき、続く道がかなり下に遠く見える。坂を降り、民家がぽつりぽつりと建っている中、その間を通ってぱーっと上がっていく。玉川野営場の看板が出ているのが見える。坂を上りきると、こぢんまりとした野営場が開けていた。初めは車が一台、白いやつが停まっていたのだけれど、すぐ降りていった。それから人も来なかったので、実質貸し切り状態である。今までテントを張ったところは毎回誰かしら人がいたので、一人きりでテントで寝るのはこれが初めてになる。少し心細いな、と気を紛らわせるためにせっせと野営場の掲示板を読んでいると、クマが出ます!注意!の文字を見つけてしまった。なんてこと。今までのところとは違い、この野営場は海の近くといえどしっかり木々に囲まれていて、一応有刺鉄線のようなものは張り巡らされているとはいえ、このどこかからクマが出てくるかもと思うと気が気でない。奥に祠のようなものがあったので、一晩場所をお借りします。どうかお守りくださいと心の底から祈って、テントを張る場所と食事をとる場所をできるだけ離し、夕飯の準備を始めたのだった。

 夕飯の前にふと思いついて、トイレの確認をしようとトイレ棟に向かった。ぐるっと棟の周りをまわって確認したのだけれど、おかしい、鍵が開かないのである。虫が入るのでシャッターを閉めてくださいという張り紙がしてあるのはいいけれど、閉めてください以前に開かない場合はどうしたらいいのだろうか。これは困った。データブックには特に冬季閉鎖などの注意書きはなかったから、トイレの存在を疑わずここまで来てしまった。今のところ大丈夫だけれど、明日の朝までには絶対に必要になるはずだ。一番近くのトイレは1km先の野田玉川駅。管理人さんが来てここを開けてくれないかという淡い期待を寄せながらも、いざとなったら文字通りそこに駆け込むしかない。覚悟を決めた夕暮れだった。

 この日の夕飯はパスタともらったマツタケだった。玉川野営場にはいくつか机が設置されていて、水場もしっかりしているから料理するときありがたい。パスタには、ソースになるかと買ってみたサラダ用ドレッシングと、小袖海女センターで買った酢だこを入れてみた。マツタケは結局調理してもらう機会を逃してしまったので、自分でやらなければいけない。スマートフォンで調べながら、なるほど、洗うと香りが落ちてしまうのか、傘の開き具合で調理方法が違うのか、などなど、付け焼刃のマツタケのいろはを頭に叩き込み、まず軽く泥を落とすことにした。そっと、さっと、と意識しながらマツタケを入れていたジップロックの中で洗ったのだけど、袋の中に残った水を流すときにふわっ、とマツタケの香りが漂ってきて、ああもったいない、多少の泥くらい気にするべきではなかったのだと後悔する。ハサミで軽く入れた切れ込みから縦二つに割き、そのままゴトクの上にのせて炙る。表面から水が出てきたら食べごろらしい。やきたてのマツタケがタダで食べられるなんて、すごい場所である。予想以上にうまく焼きあがったマツタケはシャキッとしていて、お吸い物の香りがしておいしかった。
 一方そのころ、放置されたパスタの方はお湯を吸い込んですくすくとふくよかに育ち、小麦粉と水の練り物と化していた。お湯、出しておけばよかった。

マツタケ お手本を見たことが無いから、本当にうまく焼けているかはわからない

 夕飯を食べていると、一人のおじいさんが野営場に入ってきた。手ぶらだったから地域の方だったのだろう。もしかして管理人さんかも、と思い、声をかけてみた。聞いたところその方は管理人さんではなかったのだけれど、一緒にシャッターが開かないか確認してくださり、しばらくしたら来ると思うよ、と声をかけてくれてお別れした。玉川野営場は無料で泊まれるが、任意でお金を払うこともできる。この広さの土地を野営場として成り立たせるには草刈をはじめとして結構な労力が必要だと思うから、それへの感謝の気持ちもこめてお金を渡したかったのだけれど、結局ここを出るまで、管理人さんには会えずじまいだった。
 とはいえ、人の存在を感じたことでクマへの恐怖心もいくらか薄まり、ラジオを聞きながら、その後はぼーっとベンチに座ることができた。

 この日は夕焼けがきれいだった。私以外誰もいない広い芝生が桃色に染まっていく。クマよけとエンターテインメント両方の役目を背負ったラジオの声をBGMに、炊事棟の影が濃紫に深くなっていく。こんなに広いところで一人になったことは生まれて初めてで、だれに何を言われるでもなくただただ日が落ちていくさまが美しく、私もそれをただ見ていた。桃色が青みがかった紫になって、少し肌寒くなってきたころ、ずっと座っていたい気持ち、立ち上がることで途切れて終わってしまうこの感じをもったいなく思う気持ちをなんとか断ち切り、テントに向かった。

 夕暮れの穏やかな気持ちはいざ夜となると私より先に眠ってしまって、どうしても怖い気持ちがわき出してくる。やっぱり一人、クマが出ると言われる場所で寝るのは気持ちの良いものではない。食べ物のにおいとはできるだけ距離を取ったし、ラジオもつけている。できることはしたけれど、だからといってこのむやみな恐怖心がどうにかなるわけではなかった。どのくらい不安だったかというと、残りのギガ数を気にする余裕もなく、ユーチューブに上がっていたダンス動画を何度も繰り返し見てしまうくらい。この日は結局一晩中ラジオをつけていたと思う。たしか3時くらいに起きた時、二度寝に邪魔で消したけど。

(※)2020年10月時点のもの