1 鮎川の裏山8キロを歩く

2019年11月東松島から北上運河を北上したとき、石巻から田代島、網地島(あじしま)を歩き継いで、最後に牡鹿半島鮎川で裏山一周の鮎川コースを歩いて帰る予定だった。しかし残念ながら、その時は最後の網地島から鮎川に渡船したあたりから右足首の故障で歩けなくなり断念して帰らざるを得なかった。

2019年12月に閖上(ゆりあげ)の名取トレイルセンターでみちのくトレイルクラブの理事会・総会があった翌日、11月の途中リタイアのリベンジということで車で鮎川に向かった。
牡鹿半島の先端部に位置する鮎川は半島の中心地として昔から捕鯨で有名な町だ。その象徴として港に置かれている昔使われていた大きな捕鯨船がひときわ目を引く。震災で壊滅した浜は着々と復興工事が進められており、浜から上がったすぐのところに牡鹿半島ビジターセンター、観光物産交流施設、おしかホエールランド(このときは工事中だった)の3施設をもつ立派な観光拠点施設「ホエールタウンおしか」ができていた。その駐車場に車を止めて、牡鹿半島の復興・再生・活性化のために活躍されている鮎川在住の犬塚恵介さんと合流した。

前々から牡鹿半島を歩くときにはお会いできたらと期待していたが、なんとこの日はその犬塚さんが同行してくれることになったのだ。犬塚さんは愛知県出身の方だが、震災後復興支援ボランティアとして活動するなかで牡鹿半島の魅力に惹かれて鮎川に移住した。2012年には「一般社団法人 おしかリンク」を立ち上げ、地域再生や社会的諸課題の解決に向けて実に意欲的に様々な事業に取り組んでいる。今や牡鹿半島の未来にとってなくてはならない若手のホープといえる人だと思う。
この日は鮎川を出発して約8キロ強裏山を一周して鮎川に戻るコースだが、途中犬塚さんから牡鹿半島の抱える諸課題についてもお話をきくことができた。ニホンジカの食害によって荒廃している牡鹿半島の自然環境を守るためにニホンジカが食べないウリハダカエデを植樹し、その樹液からメープルシロップを造り商品化することによって水産業以外の生業を創出したり、また未来を担う若手人材の育成のために築60年の古民家を改修して「やまのゐ」というゲストハウスを運営し、そこを拠点に首都圏の大学生達が地域の方々と交流したりものづくりにチャレンジするような実践塾を始めているなどの話は、他地域の地域再生・活性化にとっても大変参考になる取り組みで興味深かった。

鮎川浜から遙か石巻方面を臨む

このコースは短いながら、その昔仙台藩が唐船を監視していたという御番所跡の公園からは、美しい金華山を見渡すことができるし、現在では樹木に覆われてしまっているが金華山・黄金山神社の一の鳥居もすぐ近くにあって、ゆっくり歩いても半日もかからずに鮎川に戻ってくることができる歴史を感じる楽しいルートだった。山から下ってきて浜へ戻る途中、この地で盛んだというチェーンソーカービングの様々な作品が出迎えてくれたが、特に「おしかのれん街(令和2年3月末に閉店した仮設商店街)」でラーメンを食べた店の前に飾ってあった豪快な鯨の作品が、捕鯨の街らしくて印象的だった。

御番所
牡鹿半島御番所公園から金華山を臨む
チェーンソーアート

2 牡鹿半島を北上して渡波(わたのは)でライブハウス「ローディー」に泊まる

第16回、第17回で書いたように、牡鹿半島から北を本格的に歩くために2020年2月に改めて鮎川を訪れた。牡鹿半島北上コースは、半島の西側に続く十八成浜、小渕浜、表浜、給分浜、大原浜、小網倉浜、小積浜、荻浜、侍浜、桃浦浜、蛤浜などにあるいくつもの漁港を縫っていく様な変化に富んだルートだ。
途中、歴史の教科書で学んだことのある伊達藩の支倉常長らの慶長遣欧使節出航の地もある。このルート、距離はやたら長くシーズン最強の寒波の中で途中雪が降ったりして寒かったが、時々青空も見えたりして思いのほか楽しく歩くことができた。

遣欧使節出航の地・支倉常長の像
蛤神社

本来なら半島の北・万石浦の大浜に出た後右折して浦宿に一泊して翌日大六天山にチャレンジするのだが、前年の台風による災害の復旧工事の関係で大浜からの右折路は通行止めとなっており、逆に左折して渡波に出てそこで一泊することになった。
渡波は街なのでテント泊はできない。どこに泊まろうか迷っていたとき、仙台在住で友人のシンガーが渡波の駅のそばに安く宿泊できるライブハウスがあるので、事前に連絡しておくからぜひそこに泊まってくれというありがたい情報が入った。渡波の「ローディ―」はミュージシャン・千田豊和さんが経営するライブハウスだ。東京で音楽活動をしていた渡波出身の千田さんは東日本大震災の後故郷の渡波に戻り、ある程度のめどが着いたことで仙台に移って音楽活動を再開していた。ところが2019年10月の台風19号に伴う記録的豪雨は東北各地に大きな被害をもたらしたが、渡波を含む石巻も大きな被害を受けたことで、再び渡波に戻った。千田さんはその時に新たに「ライブハウス・ローディー」を立ち上げたとのことだった。東京や仙台で多くのミュージシャンと幅広い親交のある千田さんならではの復興と地域活性化への貢献のあり方がそこにあったのである。各地から多くのミュージシャンがローディーに集まり音楽活動を繰り広げる。そして、その後の交流がよりスムーズに行くようにと、ライブハウスの二階に宿泊可能な設備を整えたのだ。簡素ながらもこざっぱりした部屋に風呂、洗濯コーナー、更には自炊できるキッチンまで備えた実に快適な空間だ。食事は希望すれば取り寄せもしてくれる。何よりも信じられないくらい安い。あくまでも音楽活動に来るメンバー限定で宿泊させてくれるとのことだが、今回は仙台の友人の口利きで特別に泊めていただいたのだった。その晩の宿泊はぼくひとりだったが、途中から雄勝在住の千田さんの友人の方が合流してきていろいろな話に花が咲いた。そこで「みちのく潮風トレイル」の説明をしてハイカーへのサポートをお願いしたり、ぼくも大好きな音楽の話などでおおいに話が盛り上がり、夜になってからは美味しい酒を酌み交わしながら千田さんの生ギターで誰もいないステージに上がり、ふたりしていろいろな歌を歌いまくるうちにその日の夜は更けて行ったのだった。

ライブハウス内部
こざっぱりした部屋

おかげさまで、またしても素敵な出会いに恵まれて、牡鹿半島から陸前戸倉までの約一週間の初日の夜をかつてないくらい楽しく過ごし、その後のハードな行程に向けて大いに鋭気を養うことができた。ひとりで黙々と歩いているのにこんな偶然の出会いがあって、またひとつ自分の世界が広がる。これこそがロングトレイルの醍醐味であり最大の魅力なのだとあらためて思うのであった。