東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた去年の秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

東京、出発

真新しいバックパックとともに

 この日は出発日。長距離の移動は意外と体力を使うので、初日は歩かず東京から青森への新幹線移動に使う。インターン先のくりこま高原自然学校から帰ってきて二週間、道具をそろえたり数日分の旅程を決めたり(あと友達と遊んだり)と時間は慌ただしく過ぎてゆき、気がつけば出発当日。あまり実感のわかないままに、なんとも落ち着かない気持ちで駅に向かった。

 昼過ぎくらいに東京を出て、東北新幹線で八戸に向けて出発。しかし旅の始まりにそぐわず、東京駅に向かう足取りは重かった。だっていろんな人の協力を得て旅に臨んだとはいえ実際に歩いたことはないわけで、知らない土地で、今まで全くしたことのないことをしに行くのだ。準備期間に読んだ本はアメリカの自然にあふれたトレイルがメインの内容だったから、今から歩きに行くトレイルもずっと野宿、水の確保も危うい危険な場所なのだと思い込んでいたのも不安の原因の一つだった。しかも一か月では万全と思える準備でがきたようには思えなかったし、結果、私は定期テストに丸腰で挑むような気分でキリキリと東京駅に向かっていたのだった。予想以上に重くなってしまった8㎏のバックパックは私の足取りをより重くし、知らないことを前に沸き立つ気持ちは風前の灯火のごとく、かすかに揺れるばかりであった。

八戸より、陸奥湊へ

 一人新幹線に揺られ3時間、八戸駅に着くともう夕方で、駅の窓の外、見慣れない山と空を見て、ワープしてきたかのような錯覚を覚える。駅の窓から見えた空は、広がったピンク色がちょうど群青色に吸い込まれていくところだった。これから八戸線に乗り換えて、宿の最寄りの陸奥湊まで一本。来てしまったものはしょうがないと気を取り直し改札に向かったはいいものの、持っていたICカードは使えず、すごすごと切符を買ってホームに降りて行った。

 電車は二両編成で、地元では見ないコロンとしたフォルムに少し緊張する。車内に乗り込むと中は中高生でいっぱいで、ちょうど下校時刻に来てしまったことを少し後悔する。こんなに同じものを共有している人たちの中で、一人どデカいバックパックを背負っているのはちょっと気まずいのだ。車両の端にキュッと縮こまって電車が動き出すのを待つこと数分、やっと電車が走り出す。遠く外に目線を投げると、流れていく町の上にさっきより少し青の面積が増えた空が大きく広がっていくのが見える。慣れない広い空にぼーっと目を奪われていると、車内に『この電車は停車駅ごとに自動でドアが開きます』というアナウンスが流れた。びっくりした。ドアって全部自動で開くものじゃないのか。言われてみれば見えてくるドアの脇の見慣れない開閉ボタンとか、さっきは切符を買うのに手間取ったとか、ここでは自分の常識が通用しないことを改めて感じさせられてピッと緊張が強くなるのを感じる。ああ、一人の人間の常識が通用する範囲ってなんて狭いんだ。同じ国だってこのザマだ。車両の隅で息をひそめて数十分、体感でいったら数時間、空もだいぶ青くなってきた頃、ようやく陸奥湊駅についた。自分の家でこれを書いている今、改めて文字にしてみると自意識過剰の気にしいで情けなくすらなってくるが、歳を重ねるうちに自然と治ってくれることを望むばかりである。

 気を取り直して駅から外に出た途端、すうーっと海のにおいがした。海の近くに来たんだ。違う場所に来たんだ。さっきとは違う、自分の知らないところに来た高揚感。かぎなれないにおいが心地よくて、何度も深呼吸をしながら宿への道を歩いていった。

駅を出たあたりの町並み

一日目、終わり

 この日の宿はパンション弁慶。辺りが夕闇に包まれる中、居酒屋弁慶の大きな赤いネオンサインが目立つ。居酒屋と一緒に経営されているこの宿は長期滞在の人も多いらしく、玄関には軽い外出用のサンダルがぽつぽつと置いてあった。部屋は道路側に面した和室で、なんとなく海側を向いているような気がしたけれど、外は真っ暗でほぼ何も見えなかった。これから一人で長い道を歩いていくんだという不安感と、初の一人旅に浮き立つ気持ち。大げさなことに、この時はまだ生きて帰れるかわからないというような気持ちも抱いていたのだけれど、それでもいざ自分だけの部屋があてがわれ、一人で使っていいとなると気分も上がる。とりあえず友達に宿の写真を送って、部屋の説明書きを読み始めた。

 とりあえず夕飯を食べに一階の居酒屋の方に行く。おいしい魚料理から天ぷらまでついていて、こんな豪華な食事をとっていいのかと罪悪感を抱くくらいおいしかった。しかし食べ終わってしまうと、店員さんにどう声をかけていいのかわからないという問題が発生してくる。このままいなくなっていいのか、声をかけた方がいいのか、食器はどうしたらいいのか…10分ほどお茶を飲んでごまかし、近くを他のお客さんが通った時に便乗してなんとか席を離れることに成功した。今までどれだけ親に色々任せて旅行していたのかをひしひしと痛感させられる。その後はしばらく部屋でぼーっとしていたのだけれど、大浴場の使用時間が迫っていることに気付き急いで浴場に向かって、そのまま急いで風呂を済ます。広い脱衣所で一人髪を乾かすのは少しこわかった。部屋に戻って、地デジ化を境にうちから姿を消してしまったテレビを物珍しさでつけてみたり、友達に連絡したりしていると、気づけばもう寝たほうがいい時間になっている。これから数日の充電のできない日々のためモバイルバッテリーを満タンにして、電気を消して、布団にもぐる。しかし早く寝たい気持ちとは裏腹に、初めて一人で宿に泊まる高揚感、旅の始まりの緊張感がぐるぐると体を巡ってなかなか寝付けず、スマホで天気を確認したり、何度も寝返りをうったり…結局、やっと眠りにつけたのは日付を越えてからだった。