『このレポートは、「日本の廃道」2013年7月号に掲載された「特濃廃道歩き 第40回 茂浦鉄道」を加筆修正したものです。当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。』

幻の大陸連絡港と運命を共にした、小さな未成線

 

所在地 青森県東津軽郡平内町

探索日 2010/6/6

 

◆ 小豆沢の眺め

 

 

 

写真は、小豆沢集落を東西に貫く旧国道から見渡した茂浦沢の全景だ。この穏やかな谷筋が、奥の山の裏に控える天然の良港たり得る茂浦湾への捷路として、とても有望なものに見えた。

この景色から想像するに、小豆沢側の工事は、茂浦側に較べれば、遙かに容易いものと予想されていただろう。工費や工期が余計にかかる難区間から先行するのは、昔から鉄道工事のセオリーだ。だからこそ、茂浦側にだけ、着工の痕がいろいろ残っているのかも知れない。

しかし、そんな難工事の一部を落成させながら、工事中止の憂き目にあったのだとしたら、関係者の悔しさは想像するに余りある。

 

 

小豆沢側では、遺構に関する収穫がなかった代わりに、先々で遭遇した古老からの聞き取り調査を試みた。

一人目は、田んぼで出会った「かかし」みたいに小柄なお婆さんだったが、小豆沢で鉄道工事はしていないだろう。聞いたことがないと、期待に反するお答えに。西平内駅近くの路上で遭遇した二人目のお婆さんも、同様にご存知ではなかった。

経験上、完成に至らなかった鉄道の話というのは、地元にはとても残りやすいものであり、いきなり二人も空振りしたのは予想外。あれれれれ? 想像していたよりも、遙かにマイナーな存在だった?! 小豆沢側には遺構がないのも影響しているかもしれない。

 

 

 

◆ 鉄道用地の言い伝え

 

 

 

だが、西平内駅から西に500mほど離れた旧国道上で出会った3人目の古老(70才くらいのひょうきんなお爺さん)は、茂浦鉄道の話が実在のものであったことをはっきりと覚えていた。

工事現場やその跡は見たことがないとのことだったが、ちょうど古老と遭遇した写真の空き地は、茂浦鉄道に関する言い伝えがあるという。それは、鉄道工事があることを聞きつけたある人が、値上がりを期待して、周囲の土地を買い占めしたが、結局買い手が現れずに大損したというのだ。

 

 

確かにこの空き地は、何のためにあるのかよく分からない。駐車場のようだが車は止まっていないし、バスの転回所のような案内も見られない。道路との仕切りに小さな丸太が置いてあったので、私有地の可能性は高そうだ。

 

 

残念ながら、この件についてこれ以上の情報はない。茂浦鉄道二関係して、小豆沢の一部の土地の買い占めが行なわれたのが事実だとしても、それが鉄道用地としてなのか、単に地域全体の地価の値上がりを期待してのものかも、不明である。

仮に前者だとすると、東北本線との分岐は、この図の青い破線のように想定すべきだろうが、これについては改めて「机上調査編」で考察したい。

 

 

◆ 西平内駅 

 

 

 

現地調査の最後に一行が訪れたのは、東北本線の西平内駅だ。もし茂浦鉄道が実現していれば、この辺りが起点(分岐地点)となり、開業と同時に駅が設置されていた可能性が高かったはずである。

しかし、現実の西平内駅は、茂浦鉄道の計画よりも遅れて、昭和14年に開業した。したがってこの駅が起点だったという根拠はないし、分岐駅の痕跡を思わせるものも、何も見つからなかった。

 

 

静かな駅前通りの風景。奥の突き当たりが旧国道だ。 

最後の4人目にお話しを伺った古老(手にワラビが入った袋を下げたお婆さん)も、茂浦鉄道のことはご存じなかった。ただ、若い頃には、茂浦沢を辿って峠を越えて茂浦集落まで歩いたことがあると言っていた。

その峠は、まさに茂浦鉄道が予定され、我々が先ほど隧道の朧気な痕跡を目にした場所に他ならなかったが、それでも知らないというのが、明治は遠くなりにけりな現実だった。

いや、ただ古いだけではない気がした。私の印象として、茂浦鉄道は、この小豆沢の住人には印象を残していない。たぶん、それほど期待もされていなかったのだ。だから、後生にあまり語り継がれなかった。

山中にいくつかの遺構が現存するだけでなく、そのことを記録として残そうとしている人もいる茂浦側とは、小さな峠を挟んだだけでも大きな温度差があるように思う。東北本線や国道4号のようなものを「持っている」むらと「持っていない」むらの意識の差は、大きいだろう。

 

 現地探索編、終了。

次回から、机上調査編をスタートします!