『このレポートは、「日本の廃道」2013年7月号に掲載された「特濃廃道歩き 第40回 茂浦鉄道」を加筆修正したものです。当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。』

幻の大陸連絡港と運命を共にした、小さな未成線

 

所在地

青森県東津軽郡平内町

 

 茂浦(もうら)鉄道は、かつて存在していた茂浦鉄道株式会社が明治末期に計画し、着工まで漕ぎ着けるも、開業することなく未完成に終った、私鉄未成線である。青森県中央部、夏泊半島の西岸にある茂浦という小さな漁港と、東北本線(現「青い森鉄道」)を結ぼうとしたもので、現在の行政区分に当てはめると、全線が東津軽郡平内町内で完結する、短距離路線だった。

 

 

この路線は、有名な廃線本である『鉄道廃線跡を歩く』シリーズにも掲載されたことがなく、ネット上にもほとんど情報のないマイナーな存在であり、ご存知の方は少ないと思う。青森県内で鉄道未成線といえば、太平洋戦争中に下北半島の北岸一体で建設が進められた、国鉄大間線が有名である。また、下北半島と対をなす津軽半島に目を向ければ、当初この半島を周回する計画だった国鉄津軽線は、戦後に東側区間だけを開業させて工事を終えている。この二つの大半島に挟まれた小さな夏泊半島にも、大間線や津軽線よりもさらに古い明治期の鉄道未成線が存在していたというのが、今回のテーマである。

 

 

茂浦鉄道の「終点」が置かれるはずだった平内町茂浦は、小さな漁港を持つ半農半漁の集落だ。近世は製塩が盛んだったというが、夏泊半島内で見ても特別に目立つ集落ではなかった。にもかかわらず、明治における最先端の交通機関だった鉄道の終点として抜擢され、さらに国の正式な免許を得て着工に至っている事実は、興味深いものがある。

 

 

(1)「茂浦鉄道」の希少な情報源

 

 この鉄道に関する情報は、平成21年から22年にかけて、「山さ行がねが」の情報提供フォームを通じ三人の読者さまから別々に寄せられた(※)。そして全員が、同じ文献を典拠に挙げていた。それは、青森県水産総合研究センターが発行している「増養殖研究所だより第112号(平成20年6月発行)」に掲載された幻の茂浦鉄道という記事だった。

 

 皆様も一度、リンク先で目を通していただければと思う。以下はその前提で書き進める。

 

(※)本件の情報提供者は次の三名様です(到着順)。シェイキチ様(【ザ・森林鉄道・軌道in青森】管理人)・katze様・九舟様。この場を借りて御礼申し上げます。

 

 前景の記事には、冒頭に「平内町史」の引用だとの断りがあるが、単なる引用に終わらず、筆者である水産総合研究センター職員が、未成線の存在を伝える遺構である「垣合地内の水路に架された溝橋(鉄筋コンクリート)」を訪れて写真を掲載しているほか、「この橋(前述の溝橋のこと)の先に小豆沢までのトンネル跡があるはずですが、さすがに藪を漕いでいく元気がなく断念しました」という記述があって、私にような探索に飢えているオブローダー魂を激しく揺さ振ってくる。これはセンター職員氏の仇を討つ必要がありそうだ!

 私は相当に興奮しながら記事全文を読み終えたが、その内容をまとめると、以下のようになろう。

 

◇「幻の茂浦鉄道」 事前情報のまとめ

 

  • 明治39年、茂浦鉄道株式会社は茂浦での築港と鉄道計画を策定し、(国の)許可を得た

 

  • 明治42~43年頃に本格的な工事が行われた

 

  • 計画概要:水産総合研究センター附近に築港工事を興し、そこから鉄道を敷設して、南方山麓から隧道を掘り、小豆沢に抜けて、東北本線と結ぶ

 

  • 着工から3年ほど経過すると、隧道工事も進み、茂浦から隧道に至る間の路盤は軌条を敷く段階まで進捗していた。築港も防波堤をなる石を海中に投げこむ作業が一部着工していた

 

  • しかし、着工から数年で、資金その他の関係で工事中止となった

 

  • 現存する遺構としては、垣合地内に鉄筋コンクリート製の「溝橋」が現存。その先、「小豆沢までのトンネル跡があるはず」とされるも、未確認

 

一方、この記事からは分からない事も多かった。

 

〈主な不明点〉

 

  • 全長、軌間、駅数などの路線データ

 

  • 会社設立や建設の目的およびその背景

 

  • 工事中止の要因やその時期

 

  • トンネル跡の現状

 

 これら不明点の解決が、今回のレポート(現地探索+机上調査)の目的だが、まずは現地調査からだ。

 

(2)「茂浦鉄道」のルートを予想する

 

 

前回紹介した【幻の茂浦鉄道】の記述」から、茂浦鉄道の計画ルートを予測したのが、この地図だ。

 

 工事は「水産総合研究センター付近」の築港地予定地に始まり、茂浦集落を経て、「垣合」(これがどこを示すかは不明)に「溝橋」(現存しており、写真あり)を設けて「南方山麓」を「隧道」で抜け、「小豆沢」から「東北本線」に合流する計画であったという。

 

 このうち、特に大きなヒントとなったのは「小豆沢」という地名だ。西平内駅の北側一帯が現在も大字小豆沢と呼ばれており、ここに茂浦側から山越え(隧道)で出て来て、そのまま西平内駅付近に下っていたのではないかと想像した。これは現在の県道9号夏泊公園線が越える「アネコ坂」から見て、東へ尾根を一つ隔てた沢沿いである。

 

 現地踏査は、平成22年6月6日に、この予想ルートを元に行った。まずは、「隧道」と「溝橋」という、予期される二大遺構の発見に全力を尽くしたい。遺構が発見されれば、それらを結ぶ正確なルートを解明することも出来るはずだ。

 

(参考)旧版地形図の比較

 

 現地踏査前の平成22年当時、検索サイトで「茂浦鉄道」を調べても「幻の茂浦鉄道」以外ヒットせず、実際に探索を行なうには情報不足が否めなかった。そこで既に手元にあった旧版地形図から未成線の痕跡を見つける事が出来ないかを考えた。

 

 

この最も古い大正元年の地形図は、まさに鉄道工事が行われていた時期のものと考えられるが、工事との関連を疑わせるものは何も描かれていない。築港中だったはずの茂浦港もない。東北本線はあるが、近くに駅はない。ただし、今回予測された鉄道のルートに沿って、徒歩道(破線)が描かれていることが確認できた。

 

 

 今度は昭和28年の地形図だが、小豆沢地区の東北本線上に、現在もある西平内駅が出現した。さらに、茂浦鉄道の想定ルート上に、「国立療養所」が現われている。だが、峠越えの区間には変化がなく、鉄道工事を窺わせるものは、何も描かれていない。

 

 次回より、現地での探索開始!