東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた2020年秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

歩き旅再開!

 数日間にわたり行く先を阻んでいた低気圧が去り、ようやく晴れ間が見えた。長雨の後なので足元に注意しなくてはいけないけれど、やっと歩き旅を再開できる。雨が上がるのを待っているうちに、気づけばくろさき荘に5泊6日も滞在していた。度重なる延泊にも対応していただいたくろさき荘の皆さんには本当に頭が上がらない。車で普代駅まで送ってもらったこと、おやきをかってもらったこと、お昼ご飯にカップそばをもらったこと…特にすることもなく部屋にこもりがちだったこの6日間を何とかやり過ごせたのも、人とのつながりを感じつづけられたおかげだと思う。いつかまた行けたらいいな。

 朝日の下、木漏れ日を浴びながら6日ぶりに土を踏む。宿にこもっていた間の、あのぬるま湯につかっているような6日間には確かな心地よさがあって、正直また歩き始めなければいけないことを憂鬱に思わなかったと言ったら嘘になる。けれど、久々に感じる瑞々しい空気、土のやわらかさや、さわさわと鳴る森の音に、想像以上に心が躍っている自分がいた。いつの間にか私はこうやって二本の足で土を踏み歩くことが、案外好きになっていたようだった。久しぶりに歩くことで高まっていた高揚感の中には、「今、自分は歩くという義務を果たしている」といった、安堵の気持ちも混ざっていたように思う。この間言われて気が付いたのだけれど、大体の人は日々の生活に疑問を持って「何もしない」ためにトレイルを歩きに行くのに、私は「何かをする」ために歩いていた。つまり、歩くこと自体がその時の私の居場所だったのだ。

 この日の絶対に忘れてはいけないミッションは、この先にある北山崎ビジターセンターでトレイルのマップを買うこと。トレイルを歩くときに意外と気を付けなくてはいけないのが、このマップの扱いである。それ一つ一つはたいして重くないものの、全ルート分をまとめて持つとなかなかに重く、歩く際の負担になってしまう。だからまずは次にマップを手に入れられる場所までの分を持って歩き始めて、使い終わったものから家に送るか、その場で処分するかして、また次の地点までのマップを買う。この作業を繰り返して歩いていくのだ。

くろさき荘を出てすぐの自然歩道 朝日が気持ち良い
左手に広葉樹林、右手に針葉樹林の広がる道 明暗の差が歴然だ

北山崎ビジターセンターへ

 北山崎のビジターセンターまでの道のりは海岸段丘の上を辿っていくルートで、はじめの方は柵つきのしっかりとした道が続く。そうして広葉樹の明るい道や針葉樹の暗い道を繰り返し歩いた末に、一度沢へ大きく降りていくところがある。この谷を越えたらもうビジターセンターなのだが、あの段々と下に降りていく感じがなんとも心細いのだ。下に行けば行くほど自分を取り囲む緑が深くなっていって、空もその分遠くなっていくあの感じ。谷の底、沢筋に到着するともうあたりに人の気配は全くなく、道の曲がり角にぽつりと打たれているトレイルの杭が、ここに人が立ったことがあるという事実をかろうじて証明しているだけである。スマホのGPS(私はスーパー地形というアプリを使っていた)と手元の地図を握りしめて、一歩踏み外せばどうしようもなくなってしまいそうな不安をどうにか押し込めて進んでいく。その上、今からするともう四年前、歩いた年からは一年前の台風の影響で、沢筋には大量に杉の木が倒れていた。立っていたら背丈の何倍も上から自分を見下ろしていたであろう杉の木を足元に跨ぎながら、こんなに大きな木が倒れてしまうほどの暴力的なパワーが、今自分のいる場所で確かに行使されたことがあるという事実に背筋が冷える。これは歩いている間本当に何度も感じたことだけれど、周りの物が大きすぎて、自分の小ささと無力さにどうしようもなく不安になってしまうのだ。
 この感覚には、私が都会という人間が制御下に置いている物、置いていると思っているものに囲まれて、安心しきって生きてきたことも関係しているのかもしれない。都会だって大雨が降れば川が氾濫することもあるし、地震が起きれば建物が倒れ、火事だって起こりうる。けれど人が木を切り、川を固め、アスファルトで地面を塞ぎ、危険な動物は遠くに追いやって、道には街路樹なんて植えてしまって。そんな一見自然を支配下に置いているかのような環境の中で暮らしていると、日常的に自然の恐ろしさを感じることはほぼないのだ。だから自分のこの恐怖感というものはある意味過剰なもので、ともすると間違った選択に私たちを導いてしまうものかもしれないとも思う。

 ちなみに、歩いているときこのことに気が付いたのはもう少し後のことだ。だからこの後しばらくは、というか今でも、私はまだ森の中や川のそばを過剰に恐れてしまっている。あまりよくないこととわかった上でその感情をここに書いてしまうことに抵抗があるのだけれど、どうかそれは許していただきたい。

沢筋を歩く

 沢を抜け坂を上がるとパッと視界が開けて、北山崎のビジターセンターに到着する。谷筋に降りてからずっとひとりぼっちの心もとなさでいっぱいだった心に、開けた景色と人の建てた建物の存在が沁みる。私が出たところは人の集まるところとは少し離れていたから、はじめは人が見えなくて少し焦った。センターが休館日だったりして、マップが手に入らなかったら困る。しかし心配は杞憂に終わって、センターの中に入ったらちゃんと人がいたし、平日にも関わらず展望台にはちらほら人の影が見られた。受付で宮古までのマップをもらって、これでまずはひと安心である。
 このマップなのだが、少し前までは折り畳み式で無料配布だったものを、冊子型にして有料で売るようにしたもの。ただ形を変えただけではなくて、舗装路と自然歩道の表記を変えたり、高低表をつけたり、他にも各ポイントのトレイルヘッドとエンドポイントからの距離、細かい漁港の表記など、色々と改良がなされている。私は両方の種類の地図を使ったことがあるけれど、やはり片手で広げられたり、旅程を想定しやすかったりと、冊子型の方がかなり使いやすかった。

 北山崎ビジターの職員の方にこの後の道のことを聞いたりさっきの倒木の話をしたりしていると、そうだ、と思い出したように、預かり物があるんだよと言ってお菓子とスポーツタオルを持ってきてくれた。くろさき荘のSさんからだそうだ。タオルはくろさき荘にトレイルを歩くために泊まった人への特典で、スルメイカとクランキーチョコは、がんばってね、というサプライズだそう。長く過ごし思い出も積もった宿から離れ、少なからず寂しさを感じていた私にとって、離れてからも私がここに来ると知って、私には何も言わずにわざわざお菓子を届けてくれたそのことがすごく嬉しかった。お菓子たちは行動食用のジップロックにしまって、受け取ったマップも濡れないようにジップロックに詰めておく。ビジターセンター内の展示をぐるっと見たら、そろそろ昼時。少し進んだところにあったご飯屋さんで海鮮ラーメンを食べ、先の食料補給地点までの食料確保に向かった。

北山崎ビジターセンターからの眺め

ごはんがない!

 しかしここで困ったことが起きた。レストハウスとも一つの売店で買い物をしようと向かったはいいものの、お土産品しか売っていなかったのである。考えてみれば当然、北山崎という観光地、食堂までついているところでわざわざインスタント麺や菓子パンを売る必要はないのである。もともとデータブックに載っていたマークは小文字のg、最小限の補給ができる商店、だ。今まで補給はしっかりできていたから、しくじったー!と思いながら、なんとか軽くてカロリーが取れるものを探す。結果買えたのはあんこのお菓子で、これで何とか次のポイントまでしのぐしかない、と覚悟を決める。当面の間、まともな食事はさっきの海鮮ラーメンが最後ということになるのか…と淡い悲嘆に暮れながら、最後の足掻きと思いカップのリンゴアイスを買って食べた。数人で連れ立って展望台に向かう人々を横目に、ひとりプラスチックの白いベンチに座りながら眺める。ここに到着したのが11時、もうそろそろ出発しなくてはいけないけれど、いつ日が暮れるかもあまり気にせず、軽装で笑いあう人たちを見ていると、こんなに近いのに自分とは違う世界にいるようでなんだか疎外感のようなものを感じる。アイスを食べ終えて、さあ私はもう出発だと腰を上げるも、問題点が1つ。このアイスのごみをどこに捨てよう。パッと見た感じゴミ箱のようなものは見当たらず、祭りでもないのに店員さんにゴミの回収を頼むのも気が引けた。とりあえず紙ナプキンに包んでサコッシュのポケットに入れ、少し気になるがまあいいだろうと続くルートの入り口を探す。本来ルートに設定されていた道が崩れてしまっていたので、ここから先ほんの少しだけ迂回路を歩くのだ。ところが北山崎は観光地なだけあっていろんな道が伸びていて、迂回路を見つけるのに手間取ってしまった。何度か間違えながらやっと人気のない遊歩道に迂回路の入り口を見つけ、さあこれからどんな道かなと地図をとりだすと、ビリ、という音がした。なんということ。さっきのアイスの残り汁がナプキンから沁みだして、引っ張った瞬間にふやけたマップが破けてしまったのだ。GPSがあるとはいえ地図が見られなくなるのは不便だと思い、とりあえずアイスはちゃんとゴミ袋に移して汁が漏れないようにした。ものぐさしないで初めからそうしていればよかったのだ。このせいで、しばらく地図を丁寧に丁寧に扱わなければいけなかった。破けたのがアイスが直接触っていたページだけだったのは、不幸中の幸いだったと言えるだろう。気を取り直して、谷筋に降りていく。

海鮮ラーメン(磯ラーメンという名前だったはず)