このレポートは、「日本の廃道」2010年2月号および4月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.26」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 山形県飯豊町〜小国町
探索日 平成21(2009)年5月11日(探索2日目)

9:00
「第二谷」突破!

案の定、手こずった。雪渓によって谷底を封印された第二谷、これを渡った先の急斜面には道形が見当らず、しかし谷底を通ることができないので、草付きを頼りに急斜面をトラバースしながら、執拗に道の続きを探し続けた。間違いなく夜やったら死んでたな、この作業…汗。しかしおおよそ10分後、谷を渡ったところから実に50m以上トラバースした先の山腹に、ようやく道の続きらしき平場を発見!

写真は、その辿り着いた道の末端から、振り返って撮影したものだ。奥に写っている大きな雪渓が、「第二谷」である。彼我の間の路盤は、完全に消えていた。

「清明」の集落跡を離れて以来、初めてスギの植林地が現われた。道の跡である平場にも遠慮なく植わっており、もはや道として認識されていないことは明らかだが、久々の植林地の出現は、人の生活圏への接近を如実に感じさせる出来事だった。

小さな谷があり、周囲の路上は葦原になっていた。谷の下を見ると、50mほど離れたところに見覚えのある砂利道が見えた。今朝も、昨夜も通った、あの林道だ。いよいよゴールは近い。そして私の内側から、昨夜取り上げられた分をも加えた熱い感情が、吹き出してくる。完抜(廃道を完全に踏破して通過すること)の予感と、三島通庸の未知なる道が峠から麓まで1本のラインを描き出した事実への感動が、私を燃えさせた。

こんなに、遺構が少ないのに、
こんなに、興奮しちゃって、
へんな、やつ。
へへへ。

見て欲しい、この巨木!道に覆い被さる幹の太さは、明治廃道――明治に廃道となった道路――の凄みを示す。こんな木が、通行人に邪魔だと思われずここまで育っているのである。通行人が、いかに少なかったかが分かる。

9:27
最後の尾根

「第二谷」から20分ほど進むと、「第一谷」との中間地点となる尾根に着いたが、

ぐおー!

激藪襲来!!!

最後の試練とばかり、尾根の先は強烈な藪道となっていた。泳ぐように全身を使って突き進むが、100mも200mも続くと、もう果てしなく感じてくる。道を捨てて右へ下れば、林道にすぐ脱出できそうな状況だ。これまでの傾向からして、この先に何かの遺構があるとも思えない。

でも、ここまで完抜を目の前にしているのだからと、踏ん張った!

9:38
「第一谷」到達!

最後の谷は、極楽~。

「第一谷」に近づくと、道はまた消えた。もう慣れっこだ。しかし今度は全然険しくない。残雪もない。

この谷のすぐ下流に、林道からも見えていた大きな砂防ダムがある。谷は堆積物によって埋まり、それを渡る道も架橋地点ごと埋没したようだ。遺構を探すどころではない状況だが、そんなことよりも、さらさらと小川が流れる平らなところに辿りついたことへの安心感に酔いしれた。ここは上高地のように綺麗に思えた。もちろん、大いに贔屓目で見ている自覚はあるぞ。

そしてこの明るい谷底からは、高い所を通る旧国道のガードレールが見えた。既知の風景に、未知の道が飛び込んでいく感触。なるほど、確かに三島道は独自のルートで麓まで辿り着いたと、普段は決して見ないアングルからの旧国道を見ながら、しみじみ思った。

広い河床を適当に横断して下流へ歩き始めると、再び一定の幅を持った道形が現れた。三島道の続きとみて良かろう。砂防ダムを越えて下って行く。

ちょうど私が森を抜け出して、見覚えのある砂利道を間近に見つけると同時に、甲高いエンジン音を響かせて、一台のジープが林道を駆け抜けていった。

現代社会への復帰と同時に――

三島道を踏破した。

9:45
旧国道へ落着

完抜達成!

「三島新道切割」の標柱がある町境の切り通しからここまで、昨日(ルートロストまでの)3時間、今日(ルート発見からの)2時間、合わせて5時間を「下山」のみに費やした。そして、道の長さの推定は約4kmで(探索のため歩いた距離は、この何倍もある)、高低差は海抜550mから320mへ230mを下ったに過ぎなかった。これはとても緩やかな道。悪くいえば冗長な道。

すごく、三島らしいです。

現地探索は、なんとか無事に終了。
次回、机上調査編へ。