1 土木作業員だと思って道を尋ねたら環境省の職員だった!!!!

2020年9月、気仙沼大島、唐桑半島など既に歩いているエリアを除いて気仙沼駅から釜石まで約一週間で歩いた。
残暑の残る厳しい暑さの中気仙沼駅を昼頃スタート。初日は、4月に開通したばかりの気仙沼大島大橋手前を唐桑半島方面に左折して唐桑半島根元の唐桑町石浜にある民宿「なぎさ」までのルートだ。このルートはアップダウンは少ないが舗装路が大半で、厳しい照り返しで思いのほか体力を消耗する。

気仙沼駅
2019年4月に開通した気仙沼大島大橋(鶴亀大橋)

マップでは大橋のすぐ手前を左折することになっている。ところが橋に近づいてもなかなか左折路がでてこない。おかしいと思いながら行くと、もうほとんどすぐそこに大橋が見える。「いやおかしい!唐桑方面への左折路がない!」ということで、先ほど道路工事らしい作業員が何人かいたなと思って引き返し「唐桑方面への左折路はどこですか?」と尋ねながらふとその服を見てビックリした。なんと「環境省」と書いてある。
「みちのく潮風トレイル」はグリーン復興プロジェクトの一環として環境省が作ってきた道だ。しかもそこにいたのは、その第一線で4年間かけてひとりで全エリアを歩き「みちのく潮風トレイル」のルート選定を手がけてきた伝説の職員櫻庭さんだったのだ。碁石海岸にある大船渡自然保護官事務所の福濱レンジャーもいる。その日はあまりの暑さに、フルフェイスのUVカットの日よけネットをかぶっていたので先方も気づかなかったらしい。それを取って挨拶すると先方も改めてビックリ!!!彼らにしてみても、いかにもみちのくハイカーらしき人物が歩いてくるなと思っていたら、それがみちのくトレイルクラブの理事だったということだ。1000キロ以上もあるルートのなかで、たまたまこの日この時この場所でルート標識の設置に向けた作業をしていたとのこと。そこへぼくが同じようにこの日この時に通りかかって道を尋ねた偶然に、ただただ双方とも驚くしかなかった。

ちなみに、そのポイントは左折路というより落差のある左方向に下りていく狭い階段だったので、「左折路」という意識で歩いていたために気がつかなかったということが分かった。こういうポイントは他にも何カ所かあって毎回惑わされる。マップには右左折する階段である場合にはそのことを書いておくべきだと改めて思った。

2 民宿「なぎさ」の梶原さん

石浜漁港

この回の初日の宿泊は唐桑町石浜にある民宿「なぎさ」で「みちのく潮風トレイル」ルート上にある。立派な造りの玄関を入って声をかけると、人の良さそうなご主人とそのお母さんらしい柔和な表情の女将さんが出てきた。気仙沼の駅から歩いてきたと言うと、ご主人がビックリして「喉が渇いたと思いますが、うちにはアルコール置いてないのでこれから一緒に買いに行きましょう。」と言って軽トラに乗せられて唐桑町のコンビニに連れて行かれた。そこでそれぞれ自分の分のビールを買って帰って、宿のロビーでご主人と飲みながらいろいろな話をした。

只越漁港手前の静かな浜
民宿なぎさの梶原さん

この唐桑町石浜は鎌倉時代初期に頼朝の信任厚かった有名な梶原景時の兄景実が拓いた地で、すぐ裏には景実が建立した景時ら一族を祀る梶原神社があり、ついさっき横を通ってきた早馬神社も景実がその養子景茂(景時の三男)とともに建立したものだ。その関係でこの唐桑町は梶原姓が100軒を越える日本最大の梶原姓集落だ。ご主人もその景実の末裔にあたる方で錬武会という空手団体の指導者として地元で子供達に指導もしており、元ロックミュージックのドラマーでもあるとのこと。ふと見るとすぐ横の棚に「みちのく潮風トレイル」のリーフレットが置いてある。うれしくなって、自分は「みちのくトレイルクラブ」の理事で「みちのく潮風トレイル」全線踏破を目指して歩いているのだと言うと大変喜んでくれて、ナショナルトレイルである「みちのく潮風トレイル」ができて目の前がルートになったことがうれしくて応援しているんだと熱く語ってくれた。トレイルの関係者が泊まってくれたということで大いに喜んでくれたのだった。客はぼくがただ一人だけだったが話は大いに盛り上がり、夕食の時にはご主人も自分の食べる分を自ら運んできて、長机で飲みながら差し向かいでいろいろと語り合ったのだった。
翌日の朝食時にも、わざわざ自分で撮った震災の時のビデオを流しながら当時の状況をいろいろと話してくれた。偶然泊まった宿でまた思わぬ出会いがあり、良い経験をさせていただくことができたのだった。 
翌日は唐桑町からひたすら北上し、唐桑半島の北側広田湾に面した入り江にある大理石の岩礁でできた美しい大理石海岸を経て陸前高田に入り、観光協会にご挨拶にうかがった後、街の東部に位置する箱根山まで歩いた。

只越漁港手前の静かな浜
大理石海岸

陸前高田は震災の年の夏に来たときには他地域に先駆けて瓦礫の撤去が最も早く進んでいたのだが、その後の復興がなかなか進まず長い間土盛りの状態が続いており心配していた。今回来てみると「奇跡の一本松」付近一帯は「高田松原津波復興祈念公園」として綺麗に整備され、そのなかには東日本大震災津波伝承館が併設された立派な「道の駅高田松原」も完成していた。また観光物産協会のある市街中心エリアはそこから更に2キロほど奥に移っていたが旧市街中心エリアは依然としてほとんど建物もなく、町として確実な復興の息吹を感じながらも、震災の年に見た一面荒涼とした無残な町の姿が頭の中に甦ってくるのであった。

奇跡の一本松
道の駅高田松原
東日本大震災津波伝承館の内部
2011年8月当時の市役所付近
2011年8月の市街地の様子

3 広田半島から大船渡へ!

3日目は陸前高田の箱根山をスタートに広田半島のどこかで1泊入れて、二日間でゆっくり歩く計画だった。半島突端の黒崎仙峡にいい温泉施設があるということで、そこで水の補給をしてすぐ北にある大祝か小祝の浜辺りでテント泊のつもりだった。
途中、「みちのく潮風トレイル」の手作りマップを作ってくれた有名な広田小学校に近づいていった時なにやら賑やかな音楽が聞こえてくる。なんと、ちょうどその日は広田小学校の「運動会」の日だったのだ。広田小学校には「みちのく潮風トレイル」への理解が深く、いろいろな形で教育活動にも取り入れてくれている先生がおられるので、途中ご挨拶に寄りたいと思っていたが、しばし楽しそうな様子を見学させていただいただけで先を急ぐことにした。

ようやく水補給を予定していた絶景ポイントの黒崎仙峡に着いたが、なんとその温泉施設はボイラーの故障とのことで休館中だったのだ。ここでも「やっぱり何でも起こるのがロングトレイルだよなぁ」などと一人ぼやいたが後の祭り。もう20キロ近く歩いてきており手持ちの水はほぼ尽きている。他には水補給できそうなところはない。水がなくてはキャンプはできない。マップで見ると半島出口まではおよそ10キロ。その手前、ここから4キロほどのところに漁港がある。漁港があれば水補給はできるだろう。途中水補給さえできれば、あとはテントを張れるような場所があったらそこでキャンプすればいいと判断して、取りあえず半島入り口の小友方面に向かって歩き出した。

黒崎神社
黒崎仙峡

幸いなことに六ヶ浦漁港というところで自販機があり水の確保はできた。ところが行けども行けどもとてもテントを張れるような場所はない。気がついたら半島の出口である「小友」はもうすぐそこだ。結局ここではゆっくり楽しんで歩くはずが、かなりのハイペースで約30キロ強。またしても一日で半島を出てしまったのだった。小友から碁石海岸までは既に歩いているのでタクシーを拾って碁石海岸キャンプ場へ。碁石海岸には自然保護官事務所とサテライト施設のひとつである「碁石海岸インフォメーションセンター」があるのでそれぞれご挨拶に寄り、その日はここでキャンプすることにした。

碁石海岸インフォメーションセンター
碁石海岸キャンプ場