東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた去年の秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。
フォレストピア階上
そのまま舗装路をひた歩いていると、昼過ぎくらいにはその日の終着地点、フォレストピア階上という階上岳麓の食堂についてしまった。まあ今日は21kmしか歩かなかったし、着く前に日が落ちてしまうのが怖くて早めに出ていたのでまあ妥な時間ではある。でも安心なのか拍子抜けなのか、入り口をくぐる時の気分はなんとも気の抜けたものだった。2つある入り口の、階上岳に近い方ではジェラートが売っていて、1日歩いたご褒美のようなアイスたちについ吸い寄せられてしまう。甘いものはフルーツ味以外苦手なくせに、好奇心に負けて桑の葉味のアイスを買ってしまった。旅の非日常感は、こういう時に背中を押すのがうまいのだ。桑の葉アイスは抹茶アイスをふんわりぼかしたような味がして、一緒に頼んだコーヒーとよく合った。コーヒーの隣、ビニールにくるまれ、折り鶴の中にちょこんと入れられたチョコレートがかわいらしくて、チョコはあまり得意ではなかったのだけれど、残すのがかわいそうで食べてみたら疲れた体によく沁みた。
早くに着いたからゆっくりしようと思って、机に置いてあったここのジェラートが載っているであろうアイス特集の雑誌を読んだ。なかでもアイスの屋台の記事がおもしろかったな。私はアニメや絵本の中でしか見たことがないけれど、昔は放課後、子供たちが屋台に集まる光景がよく見られたそうだ。いろんな色のアイスだったり、袋に入ったやつだったり、見ているだけでわくわくするような魅力を放つアイスたち。もうほぼ姿を消してしまったからこそにじみ出る魅力、という部分もきっとあるのだろうけど、まるで絵本からにじみ出てきたかのようなときめきを感じる。店がなくなってしまう前に、一度でいいから行ってみたいな。
寝る場所
長居しすぎるのも申し訳ないからそこそこで店を出て、グーグルマップのストリートビューであらかじめ目星をつけておいたテントの張れそうな場所に向かう。するとなんということ、思いっきり建物の敷地内ではないか。道路からの写真しか見ていなかったから、てっきり小さな土手か、放棄された畑かなんかだと思っていた。これは勝手に張ってはいけないと思い、一度下ろした荷物を背負いなおして別の場所を探す。近くに公園があったからそこにしようと思ったのだけど、丁寧に「テントは張らないでください」という張り紙が張ってある。丁度よさそうなのに。しょうがない、やってみるだけやろうと、さっきの施設の名前を検索して電話をかけ、事情を話してみることにした。確か町役場に繋がったのだと思う。電話口の方の「担当に変わります」の後、緊張と共に保留音に耳を澄ませる。ずいぶん長かった気がするけど、気持ちの問題だろう。変わった先の方にみちのく潮風トレイルを歩いていること、この場所でテントを貼りたいことを伝えると、ありがたいことに許可が下りた。軒下とかも使ってください、と言ってもらえるご厚意に心がほ〜っと緩んでいくのを感じた。ありがとうございます、と言って電話は終わり、一安心と荷物を置き直す。やれやれ、どんなに準備してもハプニングはあるよ、と言われていたけれど、これか!記念すべき初ハプニングであった。
夕飯は近くの食堂でとろうと思っていたのだけれど、行ってみると入り口の扉はピタッと閉じられている。臨時休業。フォレストピアでそばが食べられるかもと入り口まで行ってみたものの、店から出てきたおじいさん2人に、もう閉店だよ、と言われる。あらら、まあ食料は大目に買ってあるし、明日分をうまい具合に回せばなんとかなるか…とテントを張りに戻ろうとすると、さっきのお二人が、何をしているのかと話しかけてくれた。みちのく潮風トレイルっていうんですけど、八戸から相馬までの道を歩いている最中なんですと答えると、八戸!と驚かれた。まだそう南下していないこの場所でも驚かれるのか、ということにこちらも少し驚いた。以外だ。お二人はこのあたりでやるサイクリングイベントの話をしていたのだそうで、ここを走るんですか、とか、階上の紅葉はまだ先だよ、とか、日暮れにはまだ少し時間があるし、ちょっとした立ち話をする。すると今日はどこで泊まるんだ、という話が出て、ああ、あそこの芝生をお借りする予定なんですと話すとまたえぇっ!と驚かれた、というか、心配された。こちらの気温事情もよく知らない私からしたら、あそこはペグも刺さるし、少し小高くなっていて車からも見えなくて最適、と思っていたのだけれど、ここ数日でぐっと寒くなった上に今夜は雨になりそうだから、外で女の子がひとりでテントで寝るのはちょっと、とのこと。私は人からの親切に申し訳なさを感じてしまう人間だったし、あとその時は完全にそこにテントを張る気分だったのもあって、いえ許可も取りましたから…と遠慮したのだけれど、閉店に伴い店内から一人、また一人とお知り合いの方がいらっしゃって、けっきょくフォレストピアの屋根の下に泊まらせてもらうことになった。
都会の基本的な隣人関係は大体無関心に収まってしまうから、こういう思い切りのよい他者への親切心はなかなか見られない。むしろ嫌煙されてしまうことのほうが多いと思う。だからこの日のこの出来事は、そんな場所で生まれ育った私にとって、乾いたぞうきんを水に浸した時のような、初めは馴染まない、でも確かに染み込んでいく、そんなあたたかさを経験させてくれた。
寝るよー
暗い屋根の下、人目を防ぐため立ててもらった衝立のすき間から夕焼けが見える。夕飯の菓子パンも食べたし、ちょっと先の宿の予約も取れたし、ストレッチもした。ホームページに載っているみちのく潮風トレイル用の(?)ストレッチで、公式サイトから動画に飛んで一緒に体を伸ばすのだけれど、やった日とやらなかった日では結構差が出るのだ。硬い床の上にマットレスを敷いた状態で、狭いなあ、と思いながらストレッチをした記憶がある。そう、硬かったのだ。床が。屋根があるか雨は防げるし、周りに壁もあるから寒さもマシになる。何より何も知らない他人にここまでしてくれた厚意が私はすごくうれしくて、旅ではいろんな出会いがあるんだということをしみじみと感じたとてもいい夜だったのだけれど、なんせ、床が、硬い。マットの上に寝袋というスタイルは昨日と変わらないはずなのに、背骨と頭蓋に感じる硬さが昨日とは桁違いだ。この夜は人のぬくもりと一緒に、芝生や土のやわらかさを知った日にもなった。