東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた去年の秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。
みちのく潮風トレイル
私は去年の秋、みちのく潮風トレイルという一本の長い道を歩いた。現在南へ延伸中、当時は全長1,025km、東北の太平洋沿岸地域を走る長距離自然歩道で、北は青森県八戸市、南は福島県の相馬市まで続いている。人は地図の上から見たら点にすらならないのに、地図の上からも見える距離を歩いて行けるらしい。峠を越え、浜辺を歩き、沢を渡る。町を通ることもあるし、一日中ひたすら林道を歩く日もあった。交通の発達した今、数時間で通り過ぎてしまえるところをてくてくと二か月もかけて歩く、青森から福島に到着することが目的ならこんな理にかなわないことはない。道中、なぜ歩くのか、と聞かれることも多々あったし、私も正直わからなくて、聞かれるたびになんででしょうね、と答えるしかなかった。けれど一度歩き終わった今は、歩く速度で見えるもの、つながっていく関係性が確かにあって、便利な生活が私たちから隠してしまった大事な感覚がそこにあるのだと思える。バックパック一つ背負って、自分の足で、たまに誰かに乗せてもらったり、天気や気分に足止めされたりしながら歩いて感じた当たり前の生活のありがたさや自然の怖さ美しさ、震災のこと、色んな人に助けてもらったこと。けれどその全てきっと歩いてみないとわからなかったし、現実を前にして予想なんてしてもしきれないのだから、今回に関しては私に明確な目的がなかったことはかえってよかったのかもしれない。そのおかげでできたことがたくさんあるし、そのせいでやらなかったことも結構ある。そういうことをこの連載を通じて、思い出せる限り書いていけたらいいと思う。
なんでみちのく潮風トレイルを歩こうと思ったの?
トレイルを歩こうと思ったのはほんの思い付きだった。高校卒業後、宮城県にあるくりこま高原自然学校で二か月半に渡る住み込みのインターンをしていた私は、その間何度も森を歩き、沢に入り、時には北上川を下ったりもした。東京生まれ東京育ちの私にとってそこでの生活は知らないことの連続で、未知の楽しさを知った時だったけど、今までよいこで聞き分けがよく学校での成績もよかった私が、初めて特別でも優秀でもなくなった時間でもあった。そうやって自分の世界が開かれていく中、ふと森の中で思ったことがあったのだ。
「こういう森の中を一人で歩いてみたら、どんな感じなんだろう?」
みちのくを歩こうと決めた直接的なきっかけは言ってしまえばこれだけで、本当に、ただの好奇心。そして運のいいことに、私はそのともすれば日常に埋もれてしまう小さな好奇心を確かめるための時間と、人と、機会に恵まれていたから、次にやることができてよかったくらいの軽い気持ちで歩き旅に向かったのだった。
旅の準備
トレイルを歩きに行きたいと初めに話したのは自然学校の人たちで、何をしたいかもあやふやなままインターンに来た私のやりたいことがようやっと定まったということで、それに向けて体力づくりやロープワーク、一人でテント泊などいろいろな練習をさせてもらった。特段アウトドアの趣味もなかった私が、歩きたいと思ったそのときに必要な練習がすぐできる環境にいられたことについては、つくづくありがたいなあと思ったものである。体力づくりのために初めてした薪割りや、登山、13kmの遊歩道歩き、他にもたくさん。くりこまにいた間の色々な経験は、トレイルを歩いている間何度も思い出されては旅を支えてくれた。
そもそも私がみちのくを知ったきっかけというのが母がこの仕事をしていたからで、情報を集めるハードルはかなり低かった。まず連絡したのはみちのくはもちろん海外のトレイルも歩いているようなハイカーのSさんで、歩きに行く時期から道具のこと、食べ物のことまで全く見通しの立っていなかったところを直接詳しく教えてもらって、おかげでそれまでほぼ輪郭の見えなかった旅に、ぼんやりとはいえ像が与えられていった感じがする。実はSさんの書いた本も隅から隅まで目を皿にして読んだのだけれど、久しぶりの読書で知恵熱を出してしまったのだ。直接話を聞ける関係でよかったとしみじみ思う。東京に帰ってからは他のハイカーさんにも話を聞いて、思い返すと本当に出発前からも色んな人に助けられていたなあ。
それでも未知の1,025km、一つのバックパックで歩くという旅は不安をかきたてる。以前参加した長距離ハイカーのイベントで聞いた、数か月の準備期間を取った人の話を思い出しては自分の準備の浅さに心もとなさを覚え、東京に帰ってから出発までの二週間は久しぶりのわが家に気を抜いては進んでいない荷づくりに焦る日々。出発前夜の気持ちはなんとも情けないことに「ついに来てしまったか…」だった。そんなこんなで、知識も経験も付け焼刃で歩く前から大勢の人にえいやこらと支えてもらい、旅の間もなんどもなんども人にお世話になりながらもなんとか歩いた二か月の旅記録を、当時の記憶に名前を付けるように、大事に思い出しながらつづっていけたらと思う。