『このレポートは、「日本の廃道」2013年7月号に掲載された「特濃廃道歩き 第40回 茂浦鉄道」を加筆修正したものです。当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。』

【机上調査編 第2回】より、前述の「日本の廃道」では未公開の、完全新規の執筆内容となります。

 

幻の大陸連絡港と運命を共にした、小さな未成線

 

所在地 青森県東津軽郡平内町

探索日 2010/6/6

 

【机上調査編 お品書き】

 

第1章.会社設立と計画

第2章.工事の進捗と挫折(←今回)

第3章.復活の努力と解散

 

 

第2章.工事の進捗と挫折

 

前回まで、茂浦鉄道株式会社による、茂浦港および茂浦鉄道(全長約6.5kmの蒸気式軽便鉄道)の開設と経営計画の全貌を、同社が軽便鉄道法に定められた鉄道免許取得のために調製した一次資料「設立主意書」をベースに、解説した。

明治44(1911)年6月26日、同社は晴れて軽便鉄道法の免許を取得。事業は、明治時代の終わりとともに、計画段階から建設段階へと前進したのであった。

 

私が現地探索で目にした鉄道未成線の遺構である築堤や切取、溝橋、隧道建設の跡地などは、全てこの免許以降に建設されたはずだ。しかし、もはや年代的に、工事に関わった人物の証言を得ることは不可能である。工事の詳細を知る頼みの綱は、やはりここでも文献である。引き続き、「ザ・森林鉄道・軌道in青森」の管理人シェイキチ氏が収集、提供して下さった貴重な資料も利用しながら、茂浦鉄道の工事の進捗とその顛末を、時系列に沿って追いかけてみたい。

 

 

軽便鉄道法による開業の手続き

 

まずは、軽便鉄道法による免許から開業までの一般的な流れを解説しよう。

国から免許を得ると、次に求められるのは、工事施工認可申請書の提出である。期限は免許に指定がある。ここでは国と会社の間で、鉄道としての技術的部分の細部までの検討が行なわれ、普通は国側からいろいろと修正の要求が行なわれる。

指定期限内に申請書を提出し、修正を受け、最終的に施工認可を受けると、ようやく工事に着手できる。ただし、認可書には新たな期限が二つ示される。工事着手期限工事竣功期限である。

事情により、これら期限内に着工や竣功が行えない場合、国に対して1年間の延期を申請することが可能だった。

建設工事が十分進行し、開業の見込みがつくと、会社は運輸開始の許可申請を行なう。これを受けて国は技官を現地に派遣し、事前の申請書通りに作られているかの監査を行なう。不備があれば会社に改善要求が行なわれ、最終的に監査復命書がまとめられる。国は復命書をもとに運輸開始を許可する。これでやっと開業の日を迎えることが出来た。

このように、私鉄であっても国の監督権限が非常に大きい制度だった。なお、ここで「国」と書いたのは、具体的には国の私鉄行政を監督する主務官を指す。時代によって変化するが、逓信省鉄道局、内閣鉄道院、鉄道省、運輸省、それぞれの長のことだ。茂浦鉄道の時代は、鉄道院(明治41~大正9年)であった。

 

手続きをまとめると、次のようになる。

 

軽便鉄道法の鉄道開業の流れ

 

会社の行為             国の行為

1.免許申請

                 2.免許交付

3.工事施工認可申請書《期限有》

                 4.施工認可

5.工事着手《期限有》

6.工事竣功《期限有》

7.運輸開始許可申請

                 8.監査

                 9.運輸開始許可

10.開業

 

 茂浦鉄道は、「10」まで行くことはできなかった。では、どこまでなら進めたのだろう。少なくとも「2」まで行ったことは、前回までに明らかになったが。

 

 次回から、再び文献を参考に、茂浦鉄道が「3~9」のどの段階で力尽き、斃れたのかを、明らかにしたい。

 

 

 次回、茂浦鉄道、着工!