このレポートは、「日本の廃道」2010年2月号および4月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.26」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 山形県飯豊町〜小国町
探索日 平成21(2009)年5月10日

ツタが絡んだ電光掲示板に、塞がれた立派なトンネル。この廃道というものが1枚の写真に凝縮したような風景を、現地やあるいは誰かのレポートで見たことがあるという廃道ファンは、少なくないと思う。山形県飯豊町と小国町の境にある宇津峠は、廃道好きには少しばかり知られた場所なのである。ここには現在使われている国道113号より古い、江戸時代、明治時代、昭和時代という3世代の旧道が残っているのだ。

このうち明治時代の車道は、これもまた廃道ファンにはよく知られた、有名な「道路県令」こと、三島通庸(みちつね)が手がけた道として著名で、私も過去に探索している。

平成21年5月10日、夕刻。飼い犬に餌でも与えるくらいの気軽さで立ち寄った宇津峠の旧道で、私は衝撃的な事実に直面する。

きっかけは、地元の古老たちが設置したらしき、まだ新しい案内看板だった。

その看板の片隅に小さく書かれた――

三島新道切割(清明口)

――の文字は、これまで私が三島通庸によるものと思っていた明治時代の旧道が誤りで、真の三島通庸の旧道が別に存在した可能性を、私に伝えていた。

それを知覚した後の私の行動は、早かった。

否、

拙速だった。

なんであんな時刻から、山へ入ってしまったのか!立ち止まるチャンスは、何度もあったのに‼

道路を知りたいという熱に拐(かどわ)かされ、同時に、自分が信じてきた道に裏切られた衝撃から、廃道探索者が絶対に保つべき冷静な判断力を奪われた私は過ちを犯す。

その結末は……。

2022年5月中旬より連載開始予定。ヨッキれん史上最悪級の危機を、一緒に見届けてくれ‼