本稿は、平成25(2013)年6月に「日本の廃道」誌上で公開したレポートのリライトです。 当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 秋田県北秋田市
探索日 平成24(2012)年12月10日

 ■ 10:48 両岸から来た道が合流 

 半分だけ原形を留めている太くて立派な木橋を愛でながら、4度目の渡渉によって右岸へ戻ると、そこは伐採により拓けた広場になっていて、ブルが縦横に行き交ったらしき深い凹凸が茂みの下に無数に刻まれていて、歩きづらかった。だが心を静めてよく観察すると、川を渡って来た軌道跡と、ずっと右岸沿いに来たブル道が、この広場で合流していたことが理解された。

 我々はまた1本に戻った軌道跡兼ブル道を辿って上流へ向かう。終点まで、もう1kmを切っているはずだ。

 左岸に戻って200mほど進むと、また道が二手に分かれた。右の道(赤線)は、ザブザブと無遠慮かつ無造作に川へ入り対岸へ向かっている。対して左の道(黄線)は、水平をキープしながら上品に川べりを巡っていた。明らかに左の道が軌道跡、右の道はブル道の作法だと分かる。
 もちろん、迷うことなく左の道へ行く。
 軌道跡の忠実なる従者と化した我々には、すぐさまご褒美が与えられた。

苔色の大きな石垣だ!

 ブル道による破壊を免れた、いぶし銀の遺構に興奮した。石垣なんてありふれた遺構ではあるが、探索に熱中しているときに出会うと、その都度新しい興奮が湧き上がってくる。ひとえに、残っていて当然なものなんて一つもないからだろう。
 石垣は石の表面が見えないほどの苔に覆われていて、茶色と灰色が支配的な秋の森に仄かな彩りと温もりを与えていた。そして、この素敵な石垣の軌道跡には、もう一つの「喜び」が潜んでいた。

レールが敷かれたままだ!

 これはビッグニュースだ!土沢の隣の粒様沢にある粒様分線にも、終点間際の数キロにわたって撤去することができず放置されたレールが敷かれたままになっている。その粒様沢に比べれば遙かにアクセスしやすい(一般的にはここもアクセス困難な山奥だが)土沢でも、敷かれたままのレールを見ることが出来るとは!
 しかし、ブル道から外れた途端にレールが敷かれているのが見つかったということは、もしかしたら、ブル道に蹂躙されるまでは、さらに広い範囲に残っていたのかも知れない。だったら惜しかったなぁ。

 見つけたレールのどアップ画像。レールの頭をなぞるように、靴の先でぶ厚い落葉を払いのけていくと、枕木に固定されたままのレールがはっきりと姿を見せた。間違いなく敷設状態のレールだ!
 見つかったレールは川側のもので、当然山側にも敷かれている可能性が高いが、山側のレール位置は、落葉だけでなく長年堆積した落石に埋れていて、容易に発掘できる状況ではなかった。ツルハシなどの有効な道具もなく、山側のレールを見つけることは残念ながら出来なかった。

 ■ 11:04 レールが見つかったカーブ

 この写真で振り返っている川べりのカーブ、おおよそ50mほどの区間には、レールが埋没している可能性が高い。ブル道が対岸に離れているおかげであろうか。或いはそれ以外にもレールを回収できなかった理由があるのか。

 レールが残る石垣のカーブの続きは、かなり古い土砂崩れで路盤が埋没しており、押し流されたと思しきレールが流れの中に落ちていた。この写真の奥の人物(ミリンダ細田氏)が見上げている平場が、軌道跡の続きである。手前側が崩れて埋れている状況が分かるだろう。

 ところで……

 恥を忍んで書くが、私は最初、この崩れた斜面を迂回せずに、軌道跡の高さでトラバースしようとした。途中までうまくいっていたが、撮影のため不安定な斜面に立ち止まっていたのが悪かった。足元が滑ったのだと思うが、咄嗟にバランスを崩し、なんとそのまま背中側から後転するような姿勢で、背丈よりも高いところから、岩場の浅い水面まで派手に墜落した。
 この事故を誰も撮影していなかったが、私の後続のメンバーは見ていた。全く情けないミステイクであった。幸いにして負傷はなく、身体とカメラを流れに清められただけで済んだ。カメラは濡れちゃマズかったが、これも運良く故障はしなかった。

 さほど危なくもなさそうな斜面でも油断は大敵であった。

 ■ 11:10 小さな滝に残されていたもの

 歩き始めからまもなく2時間だ。あまり難しいところはなかったが、歩き易い整地された道ではないし、ゆっくり歩いたから時間もかかった。しかし、GPSで現在地を確認すると、終点と予想していた領域に差し掛かりつつある。そこは上流から3本の小沢が集まって「土沢」になる場所で、等高線を見ると僅かながら沖積平地がある。到達すれば、谷が広がったような感覚を受けると思う。

 気付けばまた川の中から這い上がってきて軌道跡を踏み潰し始めたブル道に悲しみを憶えつつ、上流を目指した。

 土沢に2mほどの落差を持つ小さな滝があった。軌道跡は滝を見下ろすように付いているが、そこから覗き込むと、滝の直ぐ下流に大量のレールが散乱しているのが見えた!
 これが思いのほか量が多く、上から見下ろしたのでは全体数を把握できない。気になった私は、ちょっと寄り道して、滝壺へ下りてみた。

レール墓場…。

凄い量のレールが路盤下の斜面に散らばっていた。

 一般に、林鉄のレールを撤去するタイミングは二つある。一つは廃線になった直後である。この場合、終点側から少しずつレールと枕木を撤去して、レールについては現地に残さず運び出し、他の路線へ転用したり、スクラップとして売却したりしていたようだ。枕木については、現地に山詰みで放棄される事が多かったようである。
 もう一つの撤去タイミングは、廃止からしばらく経ってから車道化(ブル道のような作業道も含む)の際に行なわれる場合だ。この場合、廃レールを転用する先がないし、レールの品質も劣化していて売却益も期待できないので、そのまま現地に放棄される場合が多い。

 土沢支線の場合は、どうも後者ではないかと思われた。ここにはかなり大量のレールがまとめて捨てられた形跡がある。それがいつであったかは不明だが、比較的近年にブル道が侵入するまでは、相当の距離にわたってレールが敷設されたまま残っていた可能性が高いように思う。

うぐぐぐぐ………。

次回、折り返し地点となる終点に到達?!