『本稿は、平成25(2013)年6月に「日本の廃道」誌上で公開したレポートのリライトです。 当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。』

所在地 秋田県北秋田市
探索日 平成24(2012)年12月10日

◇ 2012/11/10 7:10 太平湖を見下ろす道端 

<隠し撮り写真で探索メンバー紹介> 左から順に、ジョニー氏、ちぃちゃん氏、柴犬氏、ミリンダ細田氏、HAMAMI氏(←車のウィンドウに映り込んでいる)。当時まだ出会って1年くらいしか経っていなかった柴犬氏以外は、全員が森吉林鉄探索の経験者であった。

 早朝、北秋田市阿仁前田の「いつもの」コンビニに集まった6名は、そこで1年ぶりとは思えないほど簡素な再会の挨拶を済ませてから、買い出しをした。それから3台の車に分乗して、探索の舞台である土沢へ向けて出発した。阿仁前田から土沢までの距離は約44kmあるが、道程の4分の3を占めるのが県道比内森吉線だ。かつて森吉林鉄が担っていた小又川流域の幹線交通路という使命を引き継いだこの県道も、私が最初に「山チャリ」のフィールドとして接した20年前とはだいぶ様変わりしている。その最大の原因は、東北最大級の規模を誇る森吉山ダムの完成にある。そのため県道は10km以上も付け替えられ、水没を免れたダム以奥の全集落も無人化した。通勤通学とはほとんど無縁となった県道をひたすら走って、小又川上流を目指した。

 阿仁前田から28kmの地点は、太平湖と森吉山を見晴らせる絶好の眺望地点で、探索のため入山するときは大抵ここで一度車を停めて、その日の空模様や山の雰囲気を確かめている。
 しかしご覧の通り、今日の天気はあまり期待できそうにない。天気予報も雨が降る可能性を示唆していた。ただ、強烈な降り方になる可能性は低いと我々は判断していた。
 現在の県道はこのように太平湖を遠くに見下ろす道であり、1本のトンネルも使わず湖面から100m以上高い山腹を遠巻き迂回している。しかし、かつての森吉林鉄は湖畔に8本のトンネルと多数の橋を設けて直線的に突破していた。その区間での度重なる探索が、ここにいるメンバーの大半との出会いの場となった。

◇ 7:39 寄り道1:林鉄の香りのする艇庫 

 阿仁前田から34km付近で県道はようやく太平湖の畔に降りるが、この時点で湖はバックォーターに近づいており、湖というよりは少し幅の広い川のようになっている。そしてここには、今回探索する土沢支線と直接の関係はないのだが、我々がルーティーン的にしばしば立ち寄る“林鉄絡みのスポット”があるので、この機会に紹介しよう。
 ここには太平湖で使うボートを格納しておく艇庫があるのだが、この艇庫に林鉄絡みの見どころがあるのだ。

 艇庫の中には複線のレールが敷かれている!
 複線のレールは、艇庫の陸側の端に始まり、そのまま通り抜けて、緩やかなスロープを下って湖面へ消えていく。最初にこれに気付いた時には、まるでスノーシェルターの中にある林鉄の停車場のようだと、大いに興奮したが、もちろんこの艇庫そのものが林鉄の廃線跡というわけではない。
 だが、敷かれているレールは、廃止になった森吉林鉄から回収されたものである事は、以前の古老聞き取り調査で明らかとなっており、実測された軌間も762mmと林鉄に準拠しているのだ。

 艇庫を出た複線は、緩やかな傾斜のスロープを下って、そのまま湖面へ消えていく。台車に乗せられたボートがこのスロープを人力で上下するはずだが、その光景は見たことがない。
 奥に見える細い湖面が太平湖の末端で、対岸のやや高い所を横切る平場が見えると思うが、あれが昭和34年に完成した付け替え後の森吉林鉄本線の軌道跡である。あそこを右へ辿っていっても、4kmほどで土沢支線の起点へ辿り着けるが、屈強な廃道になっている。また、太平湖が作られる以前の水没した旧軌道は、青いツナギを着用した人物(ミリンダ細田)が立っている辺りの川べりを左右に横切っていたはずだが、藪が深く痕跡は見当らない。

 艇庫内には見当らない台車だが、建物の外の林地内に1台が打ち捨てられているのを見つけた。鉄製のフレームの前後に2つの車軸が取り付けられており、上部のボート固定用の太材を除けば、非常に小型の運材トロそのもののように見える。しかし、改造車なのか、当時の運材トロそのものなのかは、残念ながら分からない。

◇ 7:54 寄り道2:大杉沢の廃橋 

 36km地点は、森吉林鉄本線の終点で、当時は小又川沿い最奥の集落である大杉沢が存在した山間の極小平地だが、このすぐ手前で県道が小又川(厳密には湖より上は大杉沢と呼ぶようだ)を渡る橋の脇には、林鉄時代のコンクリートガーダー橋が現存している。新旧の軌道はこれより下流で1本になっており、この橋は森吉林鉄本線に残る最奥の遺構である。
 この廃橋を眺めることも奥地を目指す我々のルーティーンだったが、下を流れる大杉沢の水量の多いことに、一抹の不安を覚えた。大杉沢は土沢や粒様沢と共に、小又川の源流を構成する比較的大きな支流だが、ここの水量が多いということは、土沢も増水している可能性が高い。……大丈夫だろうか。
 そして、この直後に車での移動を再開した我々の前に、増水への不安を一層掻き立てる場面が…。

 みたいに! 

 大杉沢で舗装された県道比内森吉線を離れ、六郎沢沿いに伸びる六郎沢林道という砂利道に入って間もなく、路面が全く見えないほどの大量の流水が道幅一杯に白波を馳せている場面に遭遇した。幸い、路盤は形を保っていて、3台の車は問題無く通過することが出来たが、放っておけば路盤を洗掘して破壊しかねない勢いだった。帰路でもここを通るしかないわけで、車ごと閉じ込められないか、ちょっと心配になる…。
 なお、この事態になった原因は、すぐ上流にある小沢を渡る暗渠が土砂で埋もれて、その沢の水が全て路上へ流れていたせいだった。

 土沢への長い走行もようやく終盤になっている。大杉沢から土沢までは約8kmの行程で、前半の5kmは六郎沢林道という比較的整備された林道なのであまり不安はない。しかし、終盤3kmのネギ沢林道は、六郎沢から土沢へとネギ沢の尾根を越えて入り込む峠越えの道で、接続している土沢林道が行き止まりということもあって通行量が少なく、いつ行っても何かしら手を加えないと車が通過できない程度には荒れている気が気でない区間だった。最悪今回もこの区間は歩くつもりでいたが、幸いにして、路上に散らばる落石や倒木を6人の力技で何度か寄せる必要はあったものの、慎重なハンドル捌きの甲斐あって、3台の車列は峠を越えて土沢の谷へ下り込むことが出来た。
 軌道時代は素直に川に沿って上流から下流へ運ばれていった土沢の木材は、下流が太平湖に沈んだことと、その湖畔を走っていた林鉄の廃止によって、隣の六郎沢からネギ沢林道を経由した峯越しアプローチを余儀なくされるようになった。だが、このような燃料費的に不利があっては、伐採しても採算が取れないのかは分からないが、既に運材トラックの走行は途絶えて久しいらしい。(なお、2021年現在はネギ沢林道および土沢林道は本格的に荒廃が進み、自動車はほぼ通行不能である)

 長途44kmを約3時間かけて走破し、今回の歩行開始地点へ我々は辿り着いた!

次回より、土沢林鉄を歩くぞ!