『このレポートは、「日本の廃道」2011年12月号および2012年1月号に掲載された「特濃廃道歩き 第36回 深浦営林署 追良瀬川森林鉄道」を加筆修正したものです。当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。』

 

 

未だ知られざる

白神山地の森林鉄道に挑む。

所在地 青森県西津軽郡深浦町
探索日 平成23年6月18日

 

 前回見てもらったとおり、本編第16回を以て終点に辿り着き、探索は終了した。それが平成23年のことであった。これを書いているのは令和3年であり、ちょうど10年が経過している。この間一度も再訪はしていない(藪の浅い時期にレールをじっくり鑑賞したい気持ちはあるが、まだ果たせず)。
 ここではレポートの仕上げとして、探索後10年の間に得られた知識や新情報を全2回の補足編として追記しておきたい。今回はその1回目である。


◇補足① 
「本当の終点」に関する考察

 

 多数の橋が未完成であったとみられる現地の状況を最大の根拠として、追良瀬林鉄の終点付近おおよそ500mは最後まで未成に終わったと考えている。だとしたら、本来想定されていた終点はどこだったのかを考察してみた。
 今回、我々は追良瀬川を河口から17kmまで遡っており、最奥の集落からでも12km、車が入れる林道からだと7kmの奥地まで到達した。湯ノ沢付近に洪水で破壊されたままの砂防ダムが1箇所だけあったが、付近の川にも山にも最近は人手が加えられておらず、沿川唯一の通路である林鉄跡も廃止から50年が経過しほとんど自然に還っているので、自然に満ちた原始河川のような印象であった。
 だが、地図が教える現実は、これとは少し異なった印象も与えてくる。我々が到達した林鉄の終点も、追良瀬川の源流からはまだまだ遠いのである。白神山地の最奥部に位置する源流は20km以上も先だ。そして、この上流部にもいくつかの人工物がある。具体的には県道や林道、それと発電所の取水施設などである。
 ようするに、追良瀬川は林鉄の終点の先にもまだまだ続いていて、そこにも人間にとって利用価値がある土地が広がっていた。その利用を考えるうえで、林鉄の伸びしろはまだまだあったと考えられるわけだ。

 

 

 このことを地図でも確認してみよう。現在地の約4km上流で、「白神ライン」こと県道岩崎西目屋弘前線が川を横断している。そしてこの追良瀬大橋の袂には分岐があり、そこから上流2kmの取水所まで林道が伸びている。
「白神ライン」は、昭和37年に着工し、48年に開通したのだが、当初は林鉄と同じで青森営林局が管理する国有林林道であった。その名も弘西林道と呼ばれていた。弘西林道の開設目的は、追良瀬川上流部を含む弘西山地(現在は専ら白神山地と呼ばれる)の開発であった。
 さらに調べてみると、弘西林道の構想は昭和30年代に発表されていることが分かった。対して、昭和20年代まで小刻みな延伸が続いたが、27年でピタリとそれを止めた追良瀬川森林鉄道の存在がある。この林道と林鉄は、ともに追良瀬川の上流を目指した国有林林道として対比される存在だ。
 すなわち、追良瀬川上流部の開発は(当時既に時代遅れになりつつあった)森林鉄道に拠るのではなく、自動車道である弘西林道に拠るものにするという開発方法の転換が、昭和30年前後にあったと私は考えている。そしてこのとき、追良瀬川林道も弘西林道に接続する自動車道へ改良することが合わせて決定されたのであろう。この決定の直前まで林鉄の延伸工事が行われていて、そのため終点付近は未成に終わったのではないかと考えているのである。

 
 もしも、弘西林道の構想が登場せず、あるいは頓挫し、あと10年ほど林鉄の延伸が続いていたら、全長30kmクラスの長大な路線に成長していたかもしれない。本路線には存在しなかったらしい隧道も、途中に掘削されたのではないかと思われる。そのくらい、この先の追良瀬川は険しい渓谷になっていることが、地形図からは読み取れる。

 

 林鉄の未成線は、事業上の記録として残ることがほとんどないので、その有無についても、今回のように、現地の遺構からの想像に頼る部分が多くなってしまうが、この想像することが楽しいのは私だけであろうか。未成には、破れた夢がある。それがとても愛おしい。
 

次回、昭和61年の探索記を紹介。