【机上調査編 第2回】より、前述の「日本の廃道」では未公開の、完全新規の執筆内容となります。

 

幻の大陸連絡港と運命を共にした、小さな未成線

 

所在地 青森県東津軽郡平内町

探索日 2010/6/6

 

【机上調査編 お品書き】

 

第1章.会社設立と計画

第2章.工事の進捗と挫折

第3章.復活の努力と解散(←今回)

 

第3章.復活の努力と解散(続き)

 

東津軽鉄道計画ルート検証 その4(3マイル地点付近)

 

 

起点山口駅から3哩(マイル)(4.8km)地点の手前で峠の隧道(小豆澤越隧道)を抜けると、茂浦地籍に入り、終点の茂浦港へ向かって長い下り坂が始まる。周囲には今も昔も集落はなく、高森山の山腹を切り開いて路盤は開設された。

 

 

 縦断面図を見ると、現在地がこの鉄道の最高地点に近いことが分かる。厳密な最高地点は隧道の東口近くにあり、そこから隧道内を含め、茂浦集落がある低地に至るまでの1哩半(2.4km)にわたって、本鉄道の最急勾配である25‰(パーミル)の下りが続くという設計だった。勾配を保つために距離を稼ぐ必要があり、茂浦沢をぐるりと回り込むような大きな半円形のカーブを描いて下るような迂回する線形になっていた。

 おそらくこの辺りの車窓からは、下り行く先の茂浦港のカラフルな街並みと、それを取り囲む明るい水田、街の向こうに広がる青い陸奥湾には緑の茂浦島が間近に浮かぶ、そんな旅心を刺激する沿線きっての眺望が、楽しめたことだろう。現状は木々が生い茂っていて景色は全く見えない

隧道から約半哩(0.8km)の地点で小さな川を横断する。茂浦で陸奥湾に流れ込むこの川は、茂浦沢と呼ばれる。鉄道は茂浦沢を一基の溝橋で横断する計画だった。

そして、隧道から茂浦沢までのこの一連の区間は、茂浦鉄道の工事が最も進んだ区間だった。2010年の探索当時も、全線にわたって築堤や切通しからなる土工の痕跡が藪の中に残されており、茂浦沢には現存する最大の遺構である溝橋が、ほぼ完全な形で残っていた。

今回は、現地探索が最も充実したこの区間について、茂浦鉄道の計画を継承した東津軽鉄道の残した各種図面と照らし合わせながら見てみたい。この区間の現地探索レポートは本編第7回からであるから、合せてご覧いただくと良いだろう。

 

 

 いきなりだが、この執筆のためにグーグルの航空写真を見て、私はとても驚いてしまった! 10年前に我々が探索した未成線跡と重なるように、真新しい舗装道路が見えているではないか!

 

 

航空写真に写る林道らしき道は、隧道西口の少し先、この写真を撮影した3哩地点付近から、茂浦沢を渡る溝橋の手前まで、約400mにわたって未成線跡の位置を占めている。そのため、我々が探索した未成線跡は、既に舗装された路面の下になってしまったようだ。

 なんということだろう! あのとき探索していて良かったという気持ちだけでは片づけられない複雑な気分だ。大正初期からごく最近まで、ずっと手付かずのまま残されていたはずなのに、私が探索して間もなく消えてしまうなんて。もっとも、このような探索活動を続けていれば経験のないことではないし、ずっと無為に過ごしてきた未成線跡が、林道化という形で地域の活性化に少しでも役立つならば、それは本望なのかも知れないと自分を慰めるのだが…。

 

 

 この車道化によって、あの日仲間と一緒に掘り起こした思い出の「土管」(航空写真)は、おそらく撤去されてしまっていることだろう。遺構と呼ぶにはささやかな土管だったが、なくなったと思うと淋しい。なお、あんな小さな土管でも、図面上にもちゃんと存在していた。

 

 

 縦断面図の当該部分を拡大したのがこの画像だ。解像度が悪いので文字が一部解読不能だが、「○水土管巾一呎(フィート)」と書かれていて、つまりここに直径30cmの土管が埋設されるということだ。当然ではあるが、まさしく設計図通りに工事が進められていたことが分かる貴重な土管だったのだ。

 

 

 土管が埋められていた築堤の先にあるのが、この美しい掘割りだった。ここも車道化してしまったようだが、図面からはこうした掘割りや築堤の存在も読み取ることが可能だ。地面の高さを意味する激しく上下する線と、線路の高さを意味する直線の位置関係に着目し、前者が上なら掘割りや隧道、下ならば築堤や橋梁が、そこにあったはずだと推測可能である。それだけに、平面図と並んで縦断面図が、遺構を探す最重要な資料なのである。

 

幸いにして、最大の遺構である茂浦沢を横断する大築堤と、その下に掘られた暗渠(築堤と暗渠を合せて溝橋である)は、車道化を免れているようだ。次回はこの茂浦沢橋梁を図面から振り返ってみたい。

 

 

次回に続く!

(それにしても、毎回行き当たりばったりで書き進めているから、航空写真で車道が登場しているのには本当に驚かされた…。遠からず再訪して現地を確かめたい。)