幻の大陸連絡港と運命を共にした、小さな未成線

 

所在地 青森県東津軽郡平内町

探索日 2010/6/6

 

 

◆ 7:50 再びの切通し

 

 

 

そして、低い築堤の先には、再びの切通しが。それも、今日これまで見たものでは、最大の規模だ。盛り土と切り土の繰り返しで波打つ地形をなだめ、直線的な緩勾配路を作り上げる、それは鉄道土工の典型的な風景だった。

そういえば、『幻の茂浦鉄道』の記事に、「当時村は工事の労務者が入り、酒場も営業されて活況を呈したそうです」とあった。この内容は、現地のこの風景と照らしたときに、初めて実感が湧いた。工事が中止されるまでの数年で、無人の山中に、これだけの土工を一から作り出した人数は、数人や数十人という規模ではなかったに違いない。

 

 

切り通しの底、つまり路盤になるべき場所に、一人では持ち上げられないくらいの大きな丸石が、いくつも転がっていた。切り通しを掘る最中に地中から出て来たものだろうか。どことなく、北辺の工事現場に活躍した、荒くれ労務者たちの豪快な仕事ぶりが想像された。しかしこういうのは、現場監督が気を利かせて酒を余計に振る舞ったりすると気前よく撤去されたり……という、勝手な想像。

 

 

この長い切通しの間も、相変わらず緩やかな左カーブと下り坂が続いている。写真は見下ろして撮影している。排水不良で底が泥濘んでいたため、写真に写るメンバーのように、脇の斜面をトラバースして通過した。

 

 

 

案の定、切通しの先にはまた築堤が。低い木が密生しているが、両側が低くなっているので、すぐに分かる。

だが、今度の築堤は何かが違っている予感がした。予感の理由は、ずっと続いていた長い左カーブだった。

 

 

樹齢100年もあろうかと思えるような巨木が、築堤に根を降ろしていた。工事直後の築堤に芽吹いた木が、ここまで育つほどの時間が経過しているのか。或いは、もともとあった地形を改変して、築堤に仕立て上げたのだろうか。同じような巨木が、築堤の斜面の下の方にも生えていた。深くて高い、築堤だった。

 

 

この築堤がこれまでのものとは異なっているという予感は、当っていた。左下方を見下ろすと、だいぶ遠くに、ザブザブと水の流れる沢があった。つまり、今度の築堤は山腹の小さなヒダを越えるようなものではなく、河川を跨ぐ、「橋」に相当する性格のものだった。左カーブを続ければ、そして、茂浦港を目指すのであれば、必ずどこかで渡らなければならない、茂浦沢との対決だった。 

 

この瞬間、『幻の茂浦鉄道』に存在が明示された唯一の遺構でありながら、ずっと場所が分からなかった「溝橋」との遭遇を、強く予感した!

 

 

◆ 7:58 茂浦沢の渡河築堤

 

 

 

中村氏が持参していたGPSによると、現在地は、我々が車を置いてきた地点から300mほど北で、築堤が跨ぐのは茂浦沢の本流だった。しかも、水面との高低差をかなり残したまま、渡河しようとしている。築堤が巨大なものであることは確信したが、大量の樹木が目隠しとなり、全貌を一望にできないことが口惜しい。

 

明治の人海戦術的大鉄道工事を証明する巨大な築堤が、ここに確かに存在しているのだが…!

 

 

このスケール感を、静止画では十分に伝えられないことが悔しいが、どうやらこの築堤、完全に完成しないままで放棄されたか、或いは完成後に一部で崩壊が起きたようである。

築堤上にあるべき平らな路盤は、川の中心に達する前に形を乱し、急に高度を下げていた。左岸の取り付きでは、河床から10m前後の高さがあったのに、そこから20mほど進んだ河心付近では、高さは5m程度まで急減した。

 

 

ともかく、我々はこの不完全な大築堤が、事前情報にあった「溝橋」の在りかと考え、探索隊を上流側と下流側に分けて、河床への下降を敢行した。

写真は下流側へ下って行く細田氏を堤上から見下ろしている。そしてこの直後、私は上流側へ下る隊の先頭に立って、谷底を目指した。

 

 

 溝橋発見!

 

 

 次回、最大の遺構を満喫する!