このレポートは、「日本の廃道」2010年5月号に掲載された「特濃廃道歩き 第27回 浪江森林鉄道 真草沢線」を加筆修正したものです。当記事は廃道探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

林鉄界の秘宝! 幻の「三段インクライン」を解明せよ!

 このレポートは、「日本の廃道」2010年5月号に掲載された「特濃廃道歩き 第27回 浪江森林鉄道 真草沢線」を加筆修正したものです。当記事は廃道探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

 

 

『 現地探索編 』

 

(平成31年(2019)3月現在、この探索地周辺は、東京電力福島第一原発事故を受けて国が指定した「帰還困難区域」になっており、許可なく立ち入ることはできません)

探索日:平成22年(2010)4月4日   探索者:平沼義之(筆者)

 

 

◆浪江町小丸 かんとう橋 7:50

 

 

 ここ、浪江町小丸の申瘤(さるこぶ)地区は、浪江森林鉄道の本線ほぼ中間地点だったが、昭和34年に浪江貯木場~申瘤間がいち早く車道化によって廃止されてから全線が廃止となるまでの1年ほどは、中継土場が置かれていた。申瘤からは、中丸木線、三程線、そしてこれから向かう真草沢線など、多くの支線が南北に分岐しており、当林鉄の重要な拠点であったのだろう。

 

 

 申瘤から県道253号(※)を西へ1kmほど進むと、畑川という小さな集落がある。その中ほどで道が二手に分かれるが(写真の地点)、林鉄もここを通っていて、当時は左が本線で、右の現在県道になっている道は、三程線という林鉄の支線だった。

 私は左折した。

※福島県一般県道253号落合浪江線は、起点終点ともに浪江森林鉄道と類似しており、実際の路線も相当重なっている。特に全線の大部分を占める高瀬渓谷内の路線はほとんどが軌道跡である。畑川付近は数少ない例外なのだ

 

畑川集落内に棄てられていた林鉄用のレール。ちなみに本線用は6~10kg/m、手押しの支線では6kg/mの軌条が用いられていたというが、ここにあるのは見るからに華奢な6kg/mレールだった。

 

 

 左折するとすぐに高瀬川を渡る橋だ。高瀬川は、明治時代から水力発電が試みられた水量豊富な渓谷で、谷は広く、橋も本格的なものが架かっていた。そして、この橋がなんと、林鉄の忘れ形見なのである!

 素っ気ない鉄製の親柱に、直接ペンキで描かれた橋の名は、「かんとう橋」という。

 

「全国森林鉄道」より引用。昭和初期の「畑川橋梁」を上流側から撮影した写真だ。

現在この橋は、対岸で高瀬川発電所を稼働させている東北電力株式会社の所有物であるようで、2トンの重量制限が課せられているが、通行は禁止されていない。路面にあたる床板は、今どき珍しい木製であり、欄干は鉄製だ。

 

下流側から撮影した「かんとう橋」。こうやって新旧の写真を比較すると、橋自体はもちろん、欄干も同じ形状のように見える。

 

 林鉄時代には畑川橋梁と呼ばれていた4径間(内訳は左岸から上路プレートガーダー×1、上路トラス×1(2径間)、上路トラス×1)、全長70mという堂々たる鉄橋で、大正15年に高瀬川発電所の建設に伴って架設されたというから、林鉄が機関車運材を始めた当初からの橋と思われる。東北地方に現存する林鉄由来の橋としては最大級を誇る、貴重な土木遺産だろう。

 いきなりこんな“大物”に出会えて嬉しいが、これはまだ本題の「真草沢支線」ではない。

 

橋は高瀬川と真草沢の合流地点に架けらており、中央に写る大岩の左側は真草沢から流れ込んだ水である。

 

間近に見るトラスの部材は細く、設計荷重の小ささが感じられる。浪江森林鉄道では重い蒸気機関車が入線せず、4.5~5トン程度のガソリン機関車による牽引列車が運行したそうだ。

 

 

 次回から、真草沢支線へ突入します! 果たしてどんな始まりがまっているのか?