本記事では、東北各地で今もなお活躍し、或いは役目を終えて静かに眠る、そんな歴史深い隧道(=トンネル)たちを道路愛好家の目線で紹介する。土木技術が今日より遙かに貧弱だった時代から、交通という文明の根本を文字通り日陰に立って支え続けた偉大な功労者の活躍を伝えたい。
季刊誌「おでかけ・みちこ」2019年12月25日号掲載
国道級の林道を目指した、大規模林道の夢の跡
トンネルはなぜ尊いか。それは、価値あるものを近くして、人の世界を豊かにするからだ。では、行き先のないトンネルには、どんな言葉をかけてやれるだろう。
山形県小国町の中心部から、北へ16キロメートル離れた石滝地区から、整備された山岳道路を7キロメートル上った奥地に、この小枕山トンネルがある。入口に立つと460メートル先の出口が小さく見通せる。照明がないので歩いて通り抜けるのには少し勇気が要る。
だが、このトンネルには行き先がない。トンネルを抜けて2キロメートル弱進むと、唐突に道路が消えてしまう。立派な山岳ハイウェイが突然終わる景色は、少しばかり異様だ。
現在は行き止まりの手前に「おぐに白い郷土の森」があり、そのアクセス道路(町道)として夏場利用されているが、そのためだけに山を越える立派な道が作られたわけではない。昭和63年にトンネルが完成した当時、この道は大規模林道・真室川小国線と呼ばれていた。
一般的に林道といえば、未舗装の山道を想像する人が多いだろうが、森林開発公団がスーパー林道(本連載第6回「黒崎森隧道」参照)の次に手がけた大規模林道に、その常識は通用しない。国が昭和44年に閣議決定した大規模林業圏開発計画では、全国に7つの大規模林業圈が設定され、それらの骨格となる林道を32路線、2267キロメートル整備するとされた。林業のみならず、産業開発や観光開発にも活用される、国道級の林道というのが謳い文句で、道路規格は極めて高く、原則2 車線の完全舗装路を、全体予算9550 億円で整備するビッグプロジェクトだった。
だが、計画は当初から上手く回らなかった。国内林業の低迷で需要予測の下方修正があり、またスーパー林道の反省から日本中で強まっていた自然保護の声とも戦わねばならなかった。
全長105キロメートルを予定していた真室川小国線においても、終点小国町側からの工事は昭和63年に最初の峠を攻略し、小枕山トンネルを完成させたものの、そこから柴倉山を越えて長井市へ、さらに葉山を越えて白鷹町へ通じる区間の建設は、平成10年に中止が決定された。
平成20 年には事業主体の緑資源機構(旧森林開発公団)も解散し、大規模林業圏開発計画は事実上放棄された。全国に散らばる元・大規模林道のうち、完工まで漕ぎ着けたものは、わずかだった。
建設中止が決定された際、小国町は最後まで推進の立場を崩さなかったという。豪雪や水害などで長期間「陸の孤島」となった過去の経験から、道への渇望は深かった。だが、結局残ったのは、どこへも抜けられず、夏の4か月以外は雪に閉ざされる、〝過ぎたる〞町道だった。