このレポートは、「日本の廃道」2010年5月号に掲載された「特濃廃道歩き 第27回 浪江森林鉄道 真草沢線」を加筆修正したものです。当記事は廃道探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。
◆ 9:36 第二インクライン 上部
どうにか這い上がった久々の平らな地面は、すがすがしい風の通り道だった。周囲には切り立った露岩が多くあり、涼しげな針葉樹が生えていた。水気の乏しい、高さを感じる場所。上り詰めたという満足感が、後から後から湧き上がってきた。
私は、前代未聞の遺構「三段インクライン」の踏破に、成功した。
だが、ここが終点というわけではないようだ。インクライン下の「中部軌道」を引き継ぐように、新たな水平路が一方向に通じていた。おそらくこれが、「上部軌道」の跡なのだろう。
上り詰めた脇には、第一インクラインで見たのと同じような、大きな石垣の土台があった。ここに制動機が設置されていたのだろう。しかし、屑鉄はおろか、ワイヤーのひとかけらも残っておらず、廃止の古さを伺わせた。もはや、廃墟というより、遺跡と呼びたくなる風貌だった。
第二インクライン 推定緒元
(一)斜路延長:150m
(二)最急勾配:35度
(三)高低差:60m
この路線の「二段目」と「三段目」を結ぶインクラインであり、これをもって希有なる「三段インクライン」が実現した。長さ高低差とも「第一インクライン」を上回っており、福島県内では最大規模のインクラインと見られる。
二つののインクラインを含む、ここまでの延長は約1.5km。内訳は、下部軌道1km、中部軌道0.2km、そして二つのインクラインの合計が0.3kmだ。たったこれだけの距離で、220mも標高を上げていた(現在地の標高は約370m)。こうした数字から導き出される平均勾配は14%以上もあり、通常の道路や鉄道の限度を遙かに超えている。この高度差の半分は、合計0.3kmのインクラインに集中していたのであり、そこを除いた平均勾配は9%程度となり、これもかなり急勾配だが、どうにか手押し軌道の範疇に収まる。
無理矢理。 ……この路線のやり方を表現すれば、そういう言葉になると思う。
休憩を挟んでから、「上部軌道」へ出発。
今回の探索における最大の攻略目標であった三段インクラインを終えたことで、肩の荷が下りた気分がしたし、同時に一抹の寂しさを感じた。
だが、これで終わりではない。これほどの“大仕事”を乗り越えてまで、かつて林業家たちが辿り着こうとした「終点」は、どこにあり、そして何があるのか。それを確かめなければ、探索を終えることは出来ない。
上部軌道はトラバースで西へ向かって進んでいく。左側は大谷で、これは真草沢の源流部だった。何度もインクラインで突き放したが、まだ追い縋ろうとしているのだ。
地形は傾斜がかなりきつく、岩がちだ。陽当たりのよい尾根を中心に、天然モミと思われる針葉樹が広葉樹に点綴する、いかにも奥山らしい林相を見せていた。
この軌道の開発者は、このような光景に林業上の価値を見出したのだろうか。地形は険しく、ここへ辿り着くだけでも困難。そのうえ、この山の隅々にまで機械を入れて、伐採や集材を行うのは、とんでもなく大変だと想像する。周辺で大規模な伐採が行われたようにも見えず、「なんのために」この路線を敷設したのか、正直、まだ見えてこない。
山腹に段を切りながら西へ延びていく路盤。風化が進んでおり、遺構に乏しい。油断すると、路盤を見失いそうだ。
インクラインを出て150mほど進むと、水涸れした谷状の地形が行く手に迫った。この季節の疎林の森は、もともと視界性に優れるが、谷の閉じた地形が相まって、どことなく小劇場のような居心地の良さを感じた。
「居心地が良い」というのは、探索中の私にとっては、何かの成果を期待できる場面だということと同義に近い。私は長年の経験から、この地形にある種の発見を予感しており、それは的中した。
終盤戦。私を喜ばせる発見が、また新たに待ち受けていた。