『本稿は、平成25(2013)年6月に「日本の廃道」誌上で公開したレポートのリライトです。 当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。』

所在地 秋田県北秋田市
探索日 平成24(2012)年12月10日

 ■ 9:47〜9:57 小さな沢に架かる橋 

 歩き出しから約800m、土沢支線としては起点から約5kmの地点には、軌道跡がある右岸の山から土沢へ注ぐ小さな沢があり、軌道跡と交差していた。そしてそこには、探索者待望の“架かったままの橋”が、残されていた!
 軌道跡を蹂躙する形で進入しているブル道は、幸いにして橋を僅かに下流側へ迂回しており、それを壊さずに済んでいた。おかげで、深い笹藪に包まれた短い前後の路盤と共に、橋が残っていたのだ。合わせてレールも1本転がっていた。

 だが、“架かっている橋”は、もはや平常の状況ではなくなっていた。沢の水の大半は、本来通るべき橋の下ではなく、上を流れているのである。そのために、橋の高さ分だけの小さな滝が生まれていた。この状況、普通であれば、“架かっている”とは呼ばないかもしれない。我々の願望混じりの贔屓目だけが、そう呼ばしめたのかも。
 これは橋にとって大変気の毒な状況であるから、我々がこのタイミングで見つけた以上、何かしてやれることはないかと、真剣に考えた。

 これは、上から水を被ることを覚悟の上で潜り込んだ、橋の下の眺め。橋下にいくらかでも空洞が存在していて、確かに“架かっている”ことを証明したい一心であったが、見事に空洞の存在を確認できた。高さは、たった30cmくらいであるが……。
 しかし、上からは見えない橋の主構造である桁材の頼り甲斐を感じる太さと、しかしそれが無惨に折損している末期的な状況も、見て取れた。

…これは、出来る事なら…………。

 6人という大人数による人海戦術的作業で、少しでも橋の負担を軽減してやれないだろうか…。無駄な事とは承知しつつ、パーティプレイの勢いもあって、“ある作業”を始めた我々であった。

 橋の負担を軽減したい会の活動

 これは上から見た橋。水の下に橋がある、そんなあべこべの状況になっている。だが、上流側の川底の土砂を少し掘れば、一気に水流を橋の下へ移転させることが出来るのではないかと我々は考えた。

 我々は自らの手足を使い、川底の砂利を掘削し始めた。すると、ものの数分後には、見事に転流させることに成功した。長靴の爪先が地面を貫通した感触の直後、もの凄い勢いで流水の全てが穴へ殺到し始めたのである。そして、ほぼ同時に橋下より吹き出す濁水。あとはもう、自然の力に任せて流れが安定するのを見守るだけで良かった。

 作業後の橋の様子。数枚前の「作業前」の画像と比べて、見違えた。果してこの作業が真に橋の延命に繋がるのかは検証できないが、少なくとも、消滅間近の1本の橋が、最後にもう一度だけ「橋らしい」姿を取り戻したのは確かであろう。

 改めて鑑賞する橋は、主桁の上に枕木とレールを適当な間隔で並べた通常の軌道橋ではなく、枕木サイズの柱材を隙間なく敷き並べた路床を持つ、むしろ自動車や人間の通行に適したものであることが分かった。また、床版の両端に1本ずつレールが固定されており、それが転び止めと補強の役割を担っていたことも分かった(片側のレールは外れていた)。
 この形状から察するに、軌道時代のままの橋ではないのかも知れないが、その場合も主桁だけは流用している可能性が高いだろう。

 小さな沢での自己満足的土木作業にはおおよそ10分を費やしたが、再出発した我々は、続いて杉の植林地へと導かれた。軌道跡を歩き始めて、最初の具体的な林業の成果を目にしたことになるが、林鉄現役の時代に植えられたであろう人工林は、そもそもの豪雪や、奥地ゆえあまり管理が行き届いていないためだろうか、生育状態が良いようには見えなかった。下枝も払われていないし。
 なお、ここにも廃レールを2本束ねた電信柱が立っていたが、前に見たものとは微妙に形が違っていた。2本の廃レールを平行ではなく山形に束ねて、ハシゴのように横材で補強したデザインは、森吉だけでなく秋田県北地域の多くの林鉄で目撃される、おそらく標準的な廃レール電信柱だった。

 5分ほどで植林地を抜けると、再び土沢の清流が間近になった。写真の柴犬氏の視線の先にある立ち木の幹には碍子がある。電信線は見あたらないが、立木が電信柱の代りに用いられていたという、確たる証拠だ。

 序盤から矢継ぎ早に発見が続いた土沢支線の探索だが、ここに来て初めて「距離」を稼げる展開になってきた。ブル道と化した軌道跡沿いでは、相変わらず電信柱や碍子といった小粒な発見は散発的に続いていたが、いずれも2度目以降なので立ち止まる事はなくなった。どんどん奥へ進む。

 ざあざあと音を立てる土沢だけが、この世界の「動」であった。森は、冬への悲愴な決意に身を強ばらせているかのように、「静」まりかえっていた。

 ■ 10:15 ウロのある巨木 

 人が入れるほどのうろを幹に有する巨木が、軌道跡と土沢の間に生えていた。敢えて伐られなかったように思われる、ご神木然とした特徴ある姿は、かつてここで働いた人々の多くが記憶したと思う。
 ここは我々が歩き始めてからおおよそ1.8kmの地点、土沢支線の起点から数えて約6kmの位置であり、終点まで推定1.3kmとなった。もうこの辺りは、森吉林鉄の路線網全体の中における最末端、最奥地の秘境である。

 巨木の下の路盤に、1本だけ枕木が落ちていた。ブル道化した際に、一度は路盤から取り外されたはずの枕木だが、ほとんど傷みはなく、レールを固定していた犬釘までがそっくり残っていた。

次回、巨大な遺構に遭遇する!