宮沢賢治生誕130年
十和田八幡平国立公園・八幡平地域
指定70周年

十和田国立公園に八幡平、岩手山、秋田駒ヶ岳などからなる八幡平地域が追加指定されたのは昭和31年(1956)7月10日。令和8年(2026)は、十和田八幡平国立公園として70周年の節目を迎える。

十和田国立公園は昭和11年(1936)に指定されたが、それ以前に、詩人・童話作家の宮沢賢治が、岩手山周辺を国立公園に推していたことは、あまり知られていないかもしれない。

岩手山と焼走り溶岩流をバックに、本を広げる人
焼走り熔岩流。本を持とう。山へ出よう。
現地で読む『春と修羅』(復刻本)は格別。

宮沢賢治は中学生のときに2学年の行事として初めて岩手山に登った。以来、賢治は、ひとりはもちろん、友人と、家族と、教職についてからは生徒を引率し、幾たびも岩手山に登った。2度目の登山では、西岩手火山へも向かい、火口湖を短歌に詠んでいる。

木漏れ日が差す文学碑
『春と修羅』に収められた「鎔岩流」が、
展望台下の文学碑に刻まれている。
足元に広がる黒い石
一面に広がる黒い軽石のような岩塊は、
スコリアと呼ばれる火山の噴出物。

登山靴などない時代、中学生の足元は足袋にわらじ。盛岡から歩くか、汽車で行き小岩井駅、滝沢駅から歩き、柳沢の岩手山神社の社務所や宿で少し休み、深夜岩手山に向かうパターンが多い。

それは心象スケッチとして作品にも残された。『春と修羅』には4行で終わる「岩手山」、花巻農学校の生徒との夜通し登山を描く「東岩手火山」、焼走り熔岩流を歩いた「鎔岩流」と、タイトルそのままに書き記した心象スケッチが、まるでタイムカプセルのように、その時、その場所の、賢治の心象を描いている。

ピンク色の花を咲かせる鉱山植物「コマクサ」

普段は運動が得意ではなかったという賢治だが、山ではかなりの健脚ぶりを発揮し、人々を驚かせた。人生に迷うと賢治は山に登り答えを得て帰ってきたという研究者もいる。

「イーハトーブフィールドブック」の表紙

イーハトーブフィールドブック
岩手山 宮沢賢治と出会う国立公園

発行:環境省東北地方環境事務所
宮沢賢治と国立公園を知るB5判ミニブック。7月上旬、十和田八幡平国立公園内のビジターセンター等で配布予定。