このレポートは、「日本の廃道」2005年9月号、10月号、11月号に掲載した「特濃!廃道あるき」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 岩手県八幡平市(市道 藤七温泉線)
探索日 平成17(2005)年7月24日

K地点 大揚沼
2005年7月24日10:03

白沢の歩行開始地点から2.3km、麓の柏台から数えておおよそ8kmの北側沿道に、大揚沼とそれを取り囲む湿原地帯がある。見晴らしの良い高所ばかりを選んで通るアスピーテラインからは離れた場所なので、全く人の気配のない静けさに包まれている。この旧道が独り占め出来る見どころだ。

もっとも、道は地図上の印象より少しだけ池より遠い所を通っているので、その美しい姿は、この写真のように草陰からチラリと見える程度であった。それがまた遠慮がちで美しいというか、雄大な八幡平の山容をバックに見る海抜1100mの高層湿原の麗しさは、有名な尾瀬沼と燧ヶ岳の取り合わせを彷彿とさせるものがあり、かつてこの道を選んで登った山好き達を大いに喜ばせたであろう事は想像に難くなかった。木道なんていうオシャレだかエゴだか分からないサービスもここにはない。

池畔の路上には、大変珍しい「現代生まれの石畳」が
断続的に続く。詳細は前回を読んで欲しい。

相変わらずほとんど池の姿は見えないが、池に最も近づいた辺りの路上に見慣れない金属製の白い標柱が立っていた。表面にシール文字が張られていたが、大半が脱落している。辛うじて残っている「 然記念物」「文部省」などの文字から、地形図にも注記がある「大揚沼モリアオガエルおよびその繁殖地」という国の天然記念物指定の標柱だと分かる。

モリアオガエルは、樹上生活を主体とする小型の蛙で、日本の固有種である。本州から佐渡島の比較的広い範囲に棲息しているが、生活環境の変化に弱く、地域によって絶滅が危惧されている。全国的にも、この岩手県の大揚沼と福島県大内村の平伏沼という2箇所だけが、人為的影響をほぼ受けていない生息環境として国の天然記念物の指定を受けている。大揚沼の指定は昭和47年だが、昭和45年に開通したアスピーテラインが池から離れた位置に整備されたことがプラスに働いたと思う。逆にもしこの旧道が観光道路として整備されていたら、環境は激変しただろうなぁ。

大勢に見せるために指定しているわけではないから、訪れる人をだいぶ選ぶことも多い「国の天然記念物」の真摯な世界が、ここにある。真剣な研究者だって、ここへ来るのは一苦労だからね…。

L地点 10:12

沼を離れると、しばらく平坦だった道が行先を思い出したかのように登り始めた。それと同時に、ここまで辛うじて残っていた自動車の轍が消え去り、両側の濃い笹藪が路上にも侵入するようになってきた。路上へ根付いた灌木や、邪魔な倒木も現れ始め、それらを払いのけたり跨いだりしながら進まねばならなくなった。

まあ、ここまでが予想外に粘り強い車の轍に助けられた感じであり、このくらいの廃道的展開は、想定の範囲内。ガシガシ進む。

車の轍は消えたが、依然として石畳は断続的に現れた。路面全体が舗装されているわけではなく、自動車の左右の轍にあたる位置だけが、それぞれ幅50cmくらいの石畳になっていて、中央は手付かずの土道だったり、いくらか石が敷き詰められていたりと、まちまちだった。少なくとも30年以上は手入れを受けていないと思われるが、石畳がある場所の路盤はほとんど壊れず残っていた。堅牢性に感服する。石畳がある場所はヤブも遠慮しているので、大いに歩行の役に立ってくれた。

視界の通らぬ濃い森の底に、埋れるようで埋れきらない細い石畳の列が続いている姿は、古代人が残した遺跡を思わせた。ここを「ジープ」のような車が自走して、まだ遙か彼方の海抜1400m、雲上の藤七温泉まで通じていたというのは、いっぱしのファンタジーのようにも感じられた。

M地点 大揚沢
10:22

大揚沢は、地形図にもその名前だけが注記されているが、肝心の水の流れる記号はない、地味な沢だ。

そこへ行くと、音も立てずに流れる小さな沢が確かにあった。道は沢を跨いでいたが、やはり橋はなく、痕跡すら発見できなかった。

水の周囲はヤブが深く、我々は危うく道を見失いかけた。が、大きく外れる前に、くじ氏の的確な進路指示によって、どうにか沢の先の正しい道の跡を見出すことが出来た。まだまだ先は長い。注意して、前進継続。

次回、道中最大の人工物に遭遇する⁈